●縄文時代●弥生時代

テーマ:

●縄文時代●弥生時代

縄文時代と弥生時代,どちらが幸せ?
    縄文時代      弥生時代
  31歳     ←→ 40歳くらい
  狩りや漁    ←→ 稲 作
  食料不足    ←→ おいしいお米
  さまよう暮らし ←→ 定 住
  平 等     ←→ 貧富の差
  みな同じ    ←→ 負ければ奴隷のような暮らし
 
上のものが子供たちが得ている知識のようです。
小学校で偏りマルクス主義や共産主義を 案に含めているようなものだと警告する人もいるようです。
論文を取り上げるマスメディアも。
 
芯に正しいものならばいくら教えても良いけれど。
 
後は自分の目で確かめて下さい。


◆縄文時代 - Wikipedia http://bit.ly/y9UTUI
旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などが あげられる。
◆弥生時代 - Wikipedia http://bit.ly/wmoIYR
弥生時代(やよいじだい)は、北海道・沖縄を除く日本列島における時代区分の一つで あり、縄文時代に後続し、古墳時代に先行する、およそ紀元前10世紀中頃(ただしこの 年代には異論もある)から3世紀中頃までにあたる時代の名称である。
 
◆弥生時代の日本列島 http://bit.ly/zFD1D9
小山修三元国立民族学博物館教授の研究によると、弥生時代に先立つ縄文時代の早期から中期にかけて、日本列島の人口は極端な東高西低であったらしい。例えば中期には、推定総人口26万人強(北海道と沖縄を除く)に対し、近畿以西の人口は、1万人以下であったという推定である。
 
◆縄文のくらし 旧石器・縄文・弥生時代の生活 http://bit.ly/xG58wx

◆縄文時代よりも古代~近世の方が飢えの圧力は大きかったのではないか http://bit.ly/zzNjOB

◆インターネット博物館・倭人の形成トップページ http://bit.ly/wKRUz1
              縄文人と弥生人   http://bit.ly/ArF6eQ
             ■日本人の時代変化■ http://bit.ly/y7vz6X
◆図録人口の超長期推移(縄文時代から2100年まで)http://bit.ly/xDYb5o
 
◆裏辺研究所   http://www.uraken.net/
      第1回 日本のあけぼの  http://bit.ly/AwDPp2
      第2回 豊かな縄文時代  http://bit.ly/yUZhWt
      第3回 弥生時代の幕開け http://bit.ly/x6T3iq
      第4回 クニの興亡と邪馬台国連合 http://bit.ly/wAyFYd
 
◆縄文時代と弥生時代 | OKWave http://bit.ly/zXbyoy  これは面白い 考えさせられる回答です
 
◆縄文・弥生時代 (社会科)http://bit.ly/wShBqg 現在の学校での教え  ほとんどが画像
 
◆古代日本の食物:縄文・弥生時代の主食と副食 http://bit.ly/yQhB1k
 
◆縄文時代から弥生時代へ 欲望に目覚めた人間たち http://bit.ly/wkblSy
 
◆弥生時代の開始年代について http://bit.ly/wFGhlf
九州北部の弥生時代早期から弥生時代前期(年表参照)にかけての土器(夜臼?式土器・板付?式土器)に付着していた炭化物などの年代を、AMS法による炭素14年代測定法によって計測したところ、紀元前約900~800年ごろに集中する年代となった。
 
◆中1 社会 縄文時代 弥生時代   自分の頃の事を覚えていない こんな感じだったかな
http://www.youtube.com/watch?v=i-WOU7qLv5U
 
◆歯の豆辞典     http://ymd20hiro4.sakura.ne.jp/
縄文時代人と弥生時代人  http://bit.ly/AbK7Hj
 
◆大地震に備える
第1回/地震考古学とは    http://bit.ly/xrYACp
第2回/縄文・弥生時代の地震 http://bit.ly/y5U9XI
 
◆縄文時代・弥生時代~深谷の歴史2 http://bit.ly/y0WMqK  遺跡発掘でよくこんな跡を見つけることが出来る?
 
◆上毛風土記 先史時代・縄文時代・弥生時代の上毛  http://bit.ly/ykTGx1
 
◆縄文顔と弥生顔   http://bit.ly/yLK8O1
 
◆縄文人のくらし   http://bit.ly/xtYcsb
縄文時代(じょうもんじだい)は今から約1万2千年前から2500年前まで,約1万年間も続いた長い時代です.
ですから初めのころと終わりではずいぶん様子がちがいます.
また,海の近くにくらしていた人々と,山に住んでいる人々の生活もずいぶんことなります.
 
◆与助尾根集落論―もう一つの「不都合な真実」佐々木藤雄   http://bit.ly/xqqaE1
 
◆水野集落論と弥生時代集落論 http://bit.ly/xaAgzV
 
◆北の文明・南の文明(下)-虚構の中の縄文時代集落論 http://bit.ly/x4JEUu
つい最近、国史跡の青森市三内丸山遺跡の集落論を語る上で、避けては通れ無くなると思われる論文に「遭遇」しました。「異貌」という一般の方はほとんど目に触れ得ないような雑誌ですが、25年くらい前に創刊された「息の長い」考古学関係の同人誌です。
 
◆水野集落論と弥生時代集落論(下)http://bit.ly/xaAgzV
 今回紹介する佐々木藤雄さんの論文は、1996年3月に「異貌」第15号(共同体研究会)に掲載されたもので、まさに「力作」です。既に3年半の時間を経過していますが、当時既に下記のようなするどい「警告」を発していることに驚かされます。
 
 「全国各地で巨大遺跡・遺構”の新発見が相次ぐ今日、縄文時代集落論は、少なくとも第三者の眼には、かつてない高揚と自己変革の波の中にあるかのようにみえる。
 
  しかし、戦後半世紀にわたって営々と積み重ねられてきた集落研究のこれまでの成果をほとんど顧みることもなく、しかも、検出された膨大な遺構群の時空的な分布や内容に対する十分な検討もなされないまま、二〇m、五〇〇人、一五〇〇年、神官層、縄文都市、縄文文明といったS・Fもどきの野放図な言葉となし崩し的な結論の一人歩きを許容しているたとえば三内丸山遺跡をめぐる“議論”の現状は、率直にいってきわめて無責任であり、そこには地に足の付いた、縄文時代集落論の将来の方向を真摯にみすえた新しい問題提起や提言の類はまったくといってよいほど認められない。
 
むしろ、そこから垣間みえてくるのは歴史科学としての考古学の集団自殺であり、マスメディアと一体となって垂れ流される恣意的かつ一方的な情報の数々は、この時代を中心とする研究者の主体性と創造性、何よりもその実践的立場に改めて鋭い問いを投げかけている。」