悠久の縄文の流れの中で

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悠久の縄文の流れの中で
おかげさま
【意味】
おかげさまとは、感謝の気持ちを表す言葉。挨拶の言葉としても用いる。
【おかげさまの語源・由来】
おかげさまは、他人から受ける利益や恩恵を意味する「お陰」に「様」をつけて、丁寧にした言葉である。
古くから「陰」は神仏などの偉大なものの陰で、その庇護(ひご)を受ける意味として使われている。<br>
これは、「御影(みかげ)」が「神霊」や「みたま」「死んだ人の姿や肖像」を意味することにも通じる。
接頭語に「お」がついて、「おかげ」となったのは室町時代末頃からで、悪い影響をこうむった時にも「おかげさま」が使われるようになったのは江戸時代からである。

おたがいさま【御互い様】
両方とも同じ立場や状態に置かれていること。また、そのさま。「困るのは御互い様です」
この言葉を使うときはそれだけではなく、なんらかの気持ちをこめたいときに使います。
共通思想は「助け合い」と「寛容」です。


ありがとう
【意味】
ありがとうとは、感謝の気持ちを表す言葉。感動詞的にも用いる。
【ありがとうの語源・由来】
ありがとうの語源は、形容詞「有り難し(ありがたし)」の連用形「有り難く(ありがたく)」がウ音便化し、ありがとうとなった。
「有り難し(ありがたし)」は、「有る(ある)こと」が「難い(かたい)」という意味で、本来は「滅多にない」や「珍しくて貴重だ」という意味を表した。
『枕草子』の「ありがたきもの」では、「この世にあるのが難しい」という意味、つまり、「過ごしにくい」といった意味でも用いられている。
中世になり、仏の慈悲など貴重で得難いものを自分は得ているというところから、宗教的な感謝の気持ちをいうようになり、近世以降、感謝の意味として一般にも広がった。
ポルトガル語の「オブリガード(obrigado)」から、「ありがとう」と言うようになったという俗説があるが、ポルトガル人が訪れる以前から使われていた言葉がポルトガル語に由来するはずはなく、「オブリガード」と「ありがとう」の音が近いというだけの話で、程度の低い俗説である。


いただきます
【意味】
いただきますとは、食事を始める時の挨拶の言葉。物を貰う時の言葉。
【いただきますの語源・由来】
「いただき」は、動詞「頂く・戴く(いただく)」の連用形。
山や頭の一番高いところを「頂(いただき)」と言うように、本来は「いただく」は頭上に載せる意味を表した語である。
中世以降、上位の者から物を貰う際に頭上に載せるような動作をしたことから、「いただく」に「もらう」という意味の謙譲用法が生じた。
やがて、上位の者からもらった物や神仏に供えた物を飲食する際にも、頭上に載せるような動作をし食事をしたことから、飲食をする意味の謙譲用法が生まれ、食事を始める際の挨拶として「いただきます」と言うようになった。


ご馳走・ごちそうさま
【意味】
ご馳走とは、贅沢な食事。食事をもてなすこと。
ごちそうさまとは、食後の挨拶。御馳走になったことに対する感謝の言葉。
【ご馳走・ごちそうさまの語源・由来】
ご馳走の「馳走」は、本来、「走り回ること」「奔走すること」を意味する。
昔は客の食事を用意するために馬を走らせ、食材を集めたことから「馳走」が用いられ、さらに走り回って用意するところから、もてなしの意味が含まれるようになった。
感謝の意味で「御(ご)」と「様(さま)」が付いた「御馳走様(ごちそうさま)」は、江戸時代後半から、食後の挨拶語として使われるようになった。

これ見て貰うと判る様に関連している言葉で有る。
専門的な事は専門家にお任せする。
自然に恵まれた日本だからこういう思想が生れた。
縄文の悠久の流れの中で培われて来た言葉だと思う。
太陽を敬い食べるものに感謝して活かされていると言う心の表れではないかな。
モノを大切にする言葉としてもう一つ
「勿体無い」が有る。


勿体無い(もったいない)
【意味】
もったいないとは、惜しい。おそれおおい。
【もったいないの語源・由来】
もったいないは、和製漢語「勿体(もったい)」を「無し」で否定した語。
勿体の「重々しさ」「威厳さ」などの意味から、もったいないは「妥当でない」「不届きだ」といった意味で用いられていた。
転じて、「自分には不相応である」、「ありがたい」「粗末に扱われて惜しい」など、もったいないの持つ意味は広がっていった。
また、「勿体」は本来「物体」と書き、「もったい」と読むのは呉音。
「物の形」「物のあるべき姿」から派生し、「重要な部分」「本質的なもの」となった。
さらに、重々しい態度などの意味に派生し、意味が離れてきたため「物」が省略され、「勿」という表記で和製漢語の「勿体」が生まれたとされる。
これらの経緯から、「惜しい」といった意味で用いられる「もったいない」は、「本来あるべき物がない」と原義に戻ったようにも思えるが、「もったいないおばけが出るぞ」など言われるように、「神聖な物」「重要な物」を粗末にする意味が含まれるため、「勿体」の意味が転じた流れによるものと考えられる。


日本には昔から八百万の神という思想がある。
子供の頃は 水の神様 火の神様(カマド) ご不浄の神様(便所) 自転車やテレビにまで正月は飾をしたモノ。
今ではほとんどのモノにお飾りをしなくなったけど。
初詣はしない人はいないくらいではないかな。
これも自然やモノや周りの人に対する感謝の表れではないかな。
お彼岸やお盆にお墓参りなどするのも先祖への感謝と自然に対しての感謝では無いだろうか。
子供の頃から言葉だけでなくて態度でこんな事を教え込まれてきた。
自然の豊かな日本だから受け継がれて来たのではないかな。
難しい事は判らないので専門的な事は学者さんにお任せします。

私はメールをするときは必ず「ありがとう」とひらがなで最後に書くようにしている。
目を通して貰えるだけでありがたいから。