◆腰巻 何と元々は上着で有ったモノが下着に変化?
岡さんのコメントで
そう言えば、女性の腰巻きについて思い出しました。
腰巻きといえば、当然「真っ赤」です。
旧ロシアが北方領土に不法侵入して来たとき
立てる国旗がなかったので、
日本女性の「真っ赤な腰巻き」を立てたそうです。
いくら物がないとは言え、下着を国旗代わりに使うなんて!
下品にもホドがある。
下品な人種だ!
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腰巻きの歴史を見ると元々は打掛で
威儀を正すためと防寒のために上から打掛を羽織るようになった。
しかし夏場は非常に暑かったため、腰の位置で打掛を紐で結び、上半身は脱ぐようになった。
これが腰巻のはじまりである。
何と元々は上着で有ったモノが下着に変化している。
面白いものだね。
◆腰巻(こしまき)http://bit.ly/wcb2di
・腰に巻く布状の下着 - 和服においては湯文字(ゆもじ)や裾除け(すそよけ)が該当
・安土桃山時代 - 江戸時代以前の高級武家女性の夏の正装、本項で詳述。
・単行本・ムックなど出版物の下部に巻かれる、タイトルや価格、宣伝などが書かれた帯の別称。
◆袿(うちき、うちぎ)http://bit.ly/yjVaOL
公家装束を構成する着物の一つである。主に女性の衣だが、男性が中着として着用する場合もある。
1.一枚の上着を指す場合と、何枚も重ねて着用した場合を指すとがある。
2.一枚の上着の場合は「小袿(こうちぎ)」・「表着(うわぎ)」・「打衣(うちぎぬ)」。2に記述。
3.何枚も重ねて着用した場合は「重ね袿(袿姿)」。3に記述。
4.禄(下賜品)として「大袿」がある。裄・丈などが大きいもので、着用する時には仕立て直す。
・語源
唐衣などの身体側に着付ける「内側に着る衣」「打ち掛けて着る衣」、と諸説ある。
◆小袿(こうちぎ)http://bit.ly/zBjLy8
鎌倉時代中期の源氏物語の注釈書である『異本紫明抄』によると小袖ほどの丈(つまり身長すれすれくらい)で、三重(中倍のある)の仕立てで、裏には単文(ひとえもん。単衣につかうような菱文)の綾を用いるという。
鶴岡八幡宮には鎌倉時代の遺品がある。
この下に表着や打衣、重ね袿と単を着て、略礼装とした。
◆表衣(おもてぎぬ)(表着から転送)http://bit.ly/xgfn5D
十二単を構成する着物の一つ。
単→五衣(五枚の袿)→打衣の上に着用する。形は単や袿と変わらないが、一番外側に羽織る着物で目に留まるため、他の着物と違い、二陪織物(ふたべおりもの)などの豪華な生地から調製するのが特徴である。
◆十二単(じゅうにひとえ)http://bit.ly/zFRTQ3
平安時代の10世紀から始まる女性用の装束である。日本の装束のひとつ。
本来十二単とは袿を重ね着した重ね袿姿を呼んだ名であったが、後世の俗語で五衣唐衣裳を指す場合が多い。
◆平安装束(へいあんしょうぞく)http://bit.ly/xLn48q
平安時代に確立された皇族・貴族の衣服。
◆直衣(のうし)http://bit.ly/zvXENe
平安時代以降の天皇、皇太子、親王、および公家の平常服。
外見上は衣冠とほとんど同じであるが、「直(ただ)の衣」の意味より平常服とされ、色目・紋様も自由であった。成人前の若年者は「童直衣(わらわのうし)」を着用した。
◆衣冠(いかん)http://bit.ly/y2DJHE
平安時代以降の貴族や官人の宮中での勤務服。
◆打衣(うちぎぬ)http://bit.ly/xjxSrp
表地に光沢や張りをだす処理を施した衣類である。「擣衣(とうい)」と表記する場合もある。
男性は衵(あこめ)に、女性は袿(うちき)に、正装時この処理をしたものを着用した。
同様の成果がある「板引」という処理が行われるようになると、主に板引方法が活用されるようになった。
・技法・効果
生地に糊を付け、乾燥後に砧台(きぬただい)の上にて杵(きね)で叩き(この作業を砧打という)、糊の強張りを調整し、表面を貝殻で磨く。
これにより防水効果を高めると共に生地に強い張りを出し、衣紋が整い、着用後の格好を良くする効果があった。
砧打するため「打衣」であり名称の由来となっている。
◆袙(衵から転送) http://bit.ly/zqWoZL
袙 (あこめ。「衵」と書くこともある)は、装束で使われる内着の一種。正式名称は袙衣(あこめぎぬ)と言い、肌着と表着の間に「相籠めて」着ることから、その名があるという。
男性が束帯装束に着用するもので(明治以降は皇族のみ着用)、例外的に宮中に仕える少女が成人用の袿の代用として複数枚用いた。
特に、砧打ちや板引などの加工を施した袙を「打衣」(うちぎぬ)と呼ぶ。
・形状
身頃は着物の原則に従い二幅で、垂領(現在の着物と同じ前で打ち合わせるタイプ)、袖は広袖と言って袖口が広く、袍などと違って布一幅分(袍などは一幅半)である。
脇は縫っておらず(少女用のものは脇を縫う)腰までの丈で、材質は平絹か綾の紅色のものを用いて袷仕立てにする。
ただし、夏場は寒暖調節のために「ひへぎ」と言って裏地をはいだり、冬は綿入れ仕立てにすることもあった。
色も、祭りなどに参加する際には「染袙」と読んで好きな色のものを用いたり、少女が着用する場合は袿に準じて襲の色目を構成した。
◆湯文字(ゆもじ)http://bit.ly/wduMjf
女性の下着の一種。
腰巻とも呼ばれる。腰部を筒状におおう下着であり、女性用ショーツのクロッチに当たるような股間を覆う部分はない。
昭和初期まで広く着用されていたが、その後、現在のパンティー(ショーツ)に代わられた。
1932年の白木屋火事が廃れた原因だとする俗説があるが、当時の報道などには、パンツをはかなかったことを問題視していたものはほとんどない。
◆裾除け(すそよけ)http://bit.ly/xFVaoO
和服の下に着用する下着。
蹴出し(けだし)とも呼ぶ。腰巻の上から重ねて着ける、足首までの長さの布をさす。主に女性が着用するが、男性が着用する場合もある。
男女ともに裾除けの構造に違いはない。
腰をおおよそ一周半する長方形の布に紐をつけたものが一般的(遊女は例外的に紐が無いものを使った)で、下半身を保護すると同時に和服の裾が足にまとわりつくのを避けるためのもので、普通は縮緬など滑りが良く、静電気が起こりにくい布地を選ぶ。
現在の長襦袢が一般に広まっていなかった江戸前期には下着として、腰までの丈の半襦袢と腰巻を一組で使っていた。
半襦袢に代わって足首までを覆う長襦袢が広く使われるようになってからは、裾除けは、下着としての「湯文字(腰巻)」と、裾裏に縫い付けて裾が纏わりつくのを防ぐための「裾回し(八掛)」とに分化した。
また、湯文字の上に一種のおしゃれとして(裾はしょりをしたときに見えるように)付けた、絹などの美しい布で作った 腰巻状のものを「すそよけ」「けだし」と呼ぶこともあった。
長襦袢が正式とされるようになった現在においては、比較的質素なものが多い。
◆浴衣(ゆかた)http://bit.ly/zMx3Hu
和服の一種である。通常の和服とは違い、長襦袢を着用せず、素肌の上に着る略装である。
平安時代の湯帷子(ゆかたびら)がその原型とされる。湯帷子は平安中期に成立した倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)によると、内衣布で沐浴するための衣とされている。
この時代、複数の人と入浴する機会があったため汗取りと裸を隠す目的で使用されたものと思われる。素材は、水に強く水切れの良い麻が使われていたという説がある。
安土桃山時代頃から湯上りに着て肌の水分を吸い取らせる目的で広く用いられるようになり、これが江戸時代に入って庶民の愛好する衣類の一種となった。
「ゆかた」の名は「ゆかたびら」の略である。
◆襦袢(長襦袢から転送)http://bit.ly/zhPFR0
襦袢(じゅばん、じゅはん、ジバン)は、和服用の下着の一。
「襦袢」は、アラビア語の「ジュッバ(جبة jubbah)」がポルトガル語化した語「ジバゥン(gibão)」を音写した語で、漢字は当て字である。 元来は丈の短い半襦袢が使われていた。
のちに絹製の長襦袢ができた。
襦袢をもし「下着」に分類するならば、見せる着方が正式な着装法とみなされている点で世界の民族の下着の中で例外的な存在である。
肌襦袢と長着(着物)の間に着る襦袢。形状は着物に似ている。