江戸のリサイクルと物売り
江戸は凄い時代である。
当時の世界ではナンバーワンと言われるリサイクルが発達していた。
桶や樽などの再生からカマドの灰まで買いに来ていた。
桶屋たるはそこいらに放してあったものを拾っていった。
我が家はうどん屋をしていて建物の壁一面に巻きを積んでいた。
其れを燃やすわけだから灰が出てくる。
幾つまででったか覚えていないけれども結構遅くまで来ていた。
竈(かまど)の口は大きかったので中に首ツッコミ小さな帚(ほうき)でキレイに履いていったもの。
煙突の煤(すす)もキレイに掃除して買っていったもの。
他に使い道がどのくらいあるのかは判らないけれどススは硯(すずり)などに使った。
灰は染料の色止めや灰汁(あく)抜きとして使った。
食品に含まれる、渋み・苦み・不快な臭いなどの元となる、食事には不要な成分の総称に成る。
詳しくはhttp://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E7%81%B0%E6%B1%81 などを読んで下さい。

物売りも結構来ていた。
焼き芋屋やアイスキャンデーや金魚売り 物干しの竿だけなんかも有った。
売り手のかけ声が懐かしい。
バナナなんかはチャンとした口上(こうじょう)が有ったようだけど私は聞いた事がない。
下の動画いくつか集めておいたので再生して聞いて下さい。
いつの間にか録音したものを車で流し名が売り歩くようになった。
これでは効率は良いけれども経費が掛かるのと客とのコミニケーションは取れないだろうね。
心のふれあいが無くなり商売するから変に歪んだ商取引になり騙されたの騙したのなんてなるのでは。
昔は無かった売りっぱなしで責任取らない。
これも権利の先行になり義務を放棄する事になっている。
今ではその辺歩いている子供に声かけたら大変な事になる。
下手すると誘拐犯にされてしまう。
クワバラ クワバラ 恐ろしい時代になった。
私の日記読んで居る人でも知らなくて道であって声かけたら其れこそどうなるか。
世の中進歩する間も良いことだけど こんな進歩はして欲しくないもの。
コミニケーションが途切れたら同じ空気吸っていても完全に切れてしまう。
道歩いていても 眼を付けた なんて言われそうだから人の顔は見ないようにしないと。
寂しい時代だね。


日本語の音長律(2) 売り声 - 石焼芋, さお竹
http://www.youtube.com/watch?v=b9PLUCzD_hg
宮田章司・坂野比呂志 飴売りの売り声の比較
http://www.youtube.com/watch?v=pYHsRZRA1mA&feature=related
バナナの叩き売り!口上:ありがとう三太さん
http://www.youtube.com/watch?v=8hOEk8GIGoo&feature=related
寺田寅彦 物売りの声
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%89%A9%E5%A3%B2%E3%82%8A&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=slv1-tbtop&x=wrt
物売りの口上
http://www.h4.dion.ne.jp/~fuuhp/tyoropa/koujyou.htm
物売り
http://www2.tokai.or.jp/cobalt/page032.html
下町の物売りの声を思い出してみませう
http://hachisu-net.com/chiyo/taishouki.html

物売り 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E5%A3%B2%E3%82%8A 」より
■物売り(ものうり)とは路上で移動しながら、主に鳴り物や独特の売り声を発しながら呼び込みをして食事を提供したり、物品などを販売、修理や古物や廃品の買取や交換をする者。
「引き売り」・「引売り」ともいうが「物売りの声」・「引き売りの声」という言葉が一般的に馴染深い。屋台や行商や街商と重複する部分もあるが、行商は固定客に対しての訪問販売が主であり、街商は市や縁日で一所(ひとつところ)で留まって商売する事や物売りが必ずしも屋台ではなかった事から区別する事が出来る。

■ 歴史
鈴木春信画:『水売り』水売りの少年が描かれている浮世絵江戸時代から盛んになり「棒手振」・「棒手売」(ぼてふり)と呼ばれていて日用品の食材から生活必需品まで衣食住に係わる全てのものが売られており幕府の許認可を受け鑑札を持った物だけが営業できた。
これに違反すれば厳しい処罰があったが、生活困窮者や弱者の就業を目的とした幕府の政策でもあった。

季節物の販売も多く、蓮の葉商いの傾向も強いが市や祭事の門前町などの街商は場所代や既得権が必要であったが、棒手振は歩き売りという形を取っていたのが街商などとの差異であり、また季節物ではない代表的なものとして、夜鳴き蕎麦屋や鮨屋などがあげられる。
当時は大八車(リヤカー)ではなく主に道具や商品や食材の入った箱や笊(ざる)、籠(かご)や桶(おけ)などを両天秤にして天秤棒を担いで売り歩いたので棒手振と呼ばれていたが、道具や品物の入った箱を片方の肩で担いで売り歩く者もいた。

江戸時代にはその場で調理する屋台だけでなく、調理済みの天麩羅(てんぷら)、鰻(うなぎ)の蒲焼などを木箱に入れ、物売りが売り歩いていた。
近年では自転車やリヤカーをもとに形だけではなく設備も充実させ、煮炊きが出来る(ただし江戸時代から屋台では煮炊きの設備を備えていた)物売りも増え、昭和初期から昭和40年代まで品を替え(鮨や蕎麦は廃れおでん売りや菓子パン売りなどが盛んになった)世間で一般的に見られたが、江戸時代から変わらず続いた豆腐売りや納豆売りや金魚売りなども含め、今ではほとんど見る事はなくなった。

しかし現在では自動車に設備を載せ決まった場所(就労者は多いが外食産業や商店の無い所など)で食事や弁当やパンなどを調理、販売をしているものも見られる。また高齢化社会に伴い利潤のみならず地域振興や福祉目的を持って幾つかの小さな企業が、物売りとして豆腐などの大豆食品を呼び込みのラッパを使うなど、昔ながらの形態で販売を始めている地域も存在する。

■ 物売りの種類と売り声や鳴り物
●食事
・鮨屋(すしや)---江戸前寿司の始まりは、物売りや屋台であったので今でも名残として立ち食いの鮨屋も東京を中心にみられる。
・夜鳴き蕎麦(そば)---呼子といわれる笛を吹いていた。宵に笛を吹きながら商売したので「夜鳴き蕎麦」とよばれた。日本蕎麦はなくなり中華蕎麦(ラーメン)になり、笛もチャルメラという物に変わった。
・鰻(うなぎ)売り---江戸時代当初は生をその場で捌いて客に渡したが、その後蒲焼にした物を売ったり、その場で調理するものもあらわれた。割り箸は鰻屋の発案で引き割り箸といった。
・賄い(まかない)屋---江戸は女性の比率が二割といわれ独身の男性が非常に多く、宮使いで制約の多かった下級武士の専門の弁当屋として成り立っていた。
・おでん売り---昭和40年代まで日本各地にみられ、晩のおかずに主婦が鍋を持って買いに来たり、子どもがおやつとして買っていた。
●菓子
・飴(あめ)売り---多種多様な飴売りが存在し競争も激しかった為、今の出店や夜店の的屋の元になる、くじ形式や余興や口上などで趣向を凝らしていた。
・鼈甲飴(べっこうあめ)---練る飴細工も有名だが、鼈甲飴も溶かした飴を型などに流し込み、様々な形を平面的に作り上げて、売っていた。
・飴細工---鋏(はさみ)や指先を使い飴を練って三次元的な立体造形の飴を作って売っていた。詳しくは飴細工を参照の事。
・揚げ団子売り---昭和初期ごろまで見られ、小麦粉を甘く味付けして中華菓子の様にその場で揚げて、主に子ども向けに売っていた。
・焼芋屋---「やきいもーやきいもー栗よりうまい十三里ー」栗より美味い十三里と言う文言は「栗」を九里と「より」を四里とを足して焼き芋のことを十三里というなぞかけ言葉である。
●食材
・蜆浅蜊売り---「しじみーあさりー」この他にも蛤や赤貝なども専門で売られていた。
・鰯売り---売り声「いわしこーいわしこー」「いわし」は真鰯で「しこ」はカタクチイワシのことで獲れたてを海浜近郊で売っていた。魚は他にも、鯨、初鰹、烏賊、白魚、秋刀魚、鯵など旬の物も売られていた。
・納豆売り---売り声「なっとー、なっとなっとうー、なっと」江戸時代から続いていたが近年では主に自転車に品物を積み販売していた。江戸では上記の蜆浅蜊売りとともにポピュラーな存在で、「納豆と蜆に朝寝起こされる」などという川柳も残る。
・豆腐売り---ラッパを使い「とーふー」と聞こえる様に吹いた。行商の色合いが強い地域もある。
・青果など---蜜柑、西瓜や大根、蕪(かぶ)、自然薯(じねんじょ、山芋の)、生姜など野菜や果物を季節ごとに販売していた。
●生活用品の修理、販売
・定斎屋(じょうさいや)---昭和30年頃まで存在したといわれ、江戸時代の物売りそのままの装束で半纏(はんてん)を身にまとい、天秤棒で薬箱を両端に掛け担いで漢方薬を売っていた。また力強く一定の調子で歩いた為、薬箱と金具や天秤棒のぶつかり合う音が独特の音となり近隣に知らせた。
・羅宇屋(らうや)---煙管の羅宇と呼ばれる部分のヤニとりや交換をしていた。小型のボイラーを積みその蒸気で掃除をし、また蒸気の出口に羅宇を被せ蒸気機関車の警笛の様に「ぴー」という音を出して知らせた。詳しくは煙管を参照のこと。
・竿竹売り(さおたけうり)---売り声「さおやーさおだけー」本のタイトルにもなり注目を集めた。
・鋳掛屋(いかけや)---金属製の鍋や釜の修理販売をしていた。詳しくは鋳掛屋を参照のこと。
・金魚売り---売り声「きんぎょーえー、きんぎょー」金魚とともにガラスの金魚鉢も売っていた。ちなみに江戸時代の金魚鉢は吊り下げ式で軒下などに吊るして下から観賞していた。
・風鈴売り---風鈴の音色が呼び込みになった。
・買取---古紙、古着、金物、番傘、屎尿、樽、桶、糠など様々で、江戸時代は最近の研究では、全ての時代の世界の中でも高い水準でのリサイクル社会であったと考えられている。
落ち買い---「おちゃない おちゃない」という呼び込みの声で抜け落ちた髪の毛を買い取っていた。京都では女性の専業であり、髪文字屋(「かもじや」と読み、付け毛製作販売業)に買い取った髪の毛を卸していた。「落ちていないか」が「おちない」から「おちゃない」に変化したといわれる。

■ 関連項目 江戸時代
棒手売
棒手売(棒天振とも、ぼてふり)は、商品を天秤棒に担いで売買すること。転じて、そのような商売をする商人を指す。
この様式の商売は、行商のうち比較的狭い範囲を巡回する形態に多く見られる業態である。天秤棒の両端には商品を入れた桶や箱などの容器をぶら下げる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%92%E6%89%8B%E5%A3%B2

蓮の葉商い
蓮の葉(はすのは)とは蓮という水生植物の水面に浮いている葉のことをさし漢方薬の伝来により荷葉(かよう)ともいう。また蓮根(れんこん)の葉としても馴染が深い。ヒンドゥー教、仏教、密教においては「蓮」そのものが特別な意味を持ち蓮の花、蓮の実と共に珍重される。蓮の葉はロータス効果という現象の説明において代表的なものでもある。日本においては上記の宗教とは違う別の意味も存在する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E3%81%AE%E8%91%89%E5%95%86%E3%81%84

行商
行商(ぎょうしょう)は、(特定の店舗を持たず)商品を顧客がいるところへ運び販売をする小売業(サービス業)のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%95%86

屋台
屋台(やたい)は、移動式の簡易店舗。簡単な飲食物や玩具などを売る。似た言葉として露店(ろてん)があるが、露店は移動式とは限らず、歩道上に物を並べて販売したり、建物の1階で物を売る店も含まれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8B%E5%8F%B0

商業
商業(しょうぎょう)とは、財やサービスなどの商品を所有している人やまたは存在している場所と、必要としている人または必要としている場所を結びつけることにより利益を得る職業または経済活動である。多くは貨幣の媒介を経て市場や個々の店舗において取引(商取引)という形式をとって行われる。ただし、貨幣や市場などを媒介しないケースを含める場合には「交換」と呼ぶこともある。また、「商業的」という場合、「営利を目的として」という意味になる(例:商業的生産)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%86%E5%A3%B2


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