今も生きている結界
盛り塩(もりしお)を知っているかな。
我が家はうどん屋をシテイたが 何時も盛り塩をシテイた。
角家なので玄関の角に道路側につまんで三角に立てたものだった。
何時もなぜこんな事するのか変に思っていた。
でも子供心にこれは決して触ってはいけないものとして何時も見ていた。
時にはじっと観察もしたことがある。
いくらにらめっこしても答えは出でこなかったけど。

いつの頃か自然とその意味を理解するようになった頃は アチコチでしなくなっていた。

昔はアッチコッチの商売屋では店頭に必ずしていたのに。

盛り塩をしなくなったのと お金地上主義とが台頭していた頃とが一致するように思える。

若い頃 お金儲けを悪とする思想が自分の中に有り よく周りの者と口喧嘩したもの。
その頃から今に至るまで 私は気違い扱い。
大事なものだけど 何故かアクに感じてしまう自分が今も存在している。

だからマッサージのお客さんに貴方は極端に好かれる人と 極端に嫌う人がいると。
つい先日も指摘された。

どうしても接しているとそういうものが出でいるのか 相手は感じて 引いていく人は多い。

生きている間は金儲けしないと行けない風潮が夜には氾濫し過ぎている様に感じるのは私だけなのかも知れない。

昔から塩は清めるものと言われていた。
大相撲などで仕切りの前に塩を撒くのはこう吸うことも関係しているようだ。


●盛り塩(もりしお)とは、塩を三角錐型あるいは円錐型に盛り、玄関先や家の中に置く風習である。主に縁起担ぎ、厄除け、魔除けの意味を持つ。http://bit.ly/u152ZU

岩塩などを盛り塩皿に盛り塩固め器などの器具を用いて三角錐や円錐に盛る。敷板が併せて用いられることもある。

日本の盛り塩の風習は奈良・平安時代には既にあったとされる。


●大相撲(おおずもう)は、http://bit.ly/vDIxdB
日本古来の奉納相撲を起源とし、江戸時代から続く職業的な最高位の力士たちによって行われる神事や武道、または商業的な相撲興行であり及びその母体となる力士・関係者の集団・社会を指す。
日本相撲協会が主催する相撲興行。


●結界(けっかい、Skt:Siimaabandha)とは、聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限ること。
本来は仏教用語であるが、古神道や神道における神社なども、同様の概念があることから、言葉として用いられている。
大和言葉では端境(はざかい)やたんに境ともいう。http://bit.ly/toLAEC

●こしんとう(‥シンタウ)【古神道】http://bit.ly/v2GdUg
仏教や儒教などの影響を受ける以前のわが国固有の神道。
〔宗教(仏教以外)〕日本民族の伝統的信仰で、祭祀(サイシ)を重んずる多神教の宗教。その神には自然神と人間神とがあるが、一般には人間神、すなわち皇室や国民の祖先である天照大神をはじめとする神々が多く祭られ、祖先崇拝が中心となっている。かんながらの道。神道(シンドウ)。
《参考》神道は、皇室神道・神社神道・教派神道・民間神道に分けられるが、一般には神社神道をさす場合が多い。
●古神道 - Wikipedia http://bit.ly/sMDqtR

●神道 - Wikipedia http://bit.ly/uCor6v
神道(しんとう、かんながらのみち)とは日本の民俗的な信仰体系であり、日本固有の 多神教の宗教である。

●大和言葉 - Wikipedia http://bit.ly/voSCBs
大和言葉(やまとことば)とは、古くは和歌や雅語、女房言葉のことを意味したが、現在ではもっぱら日本語の語種(単語の出自)の一つであり漢語や外来語に対する日本の固有語を指す。

現在、「大和言葉」といえば一般には、漢語と外来語を除いた日本語の固有語を指すよう になっている。
また「和語」もこの意味で扱われることが多いが、学術上では区別される こともある。

●わご 【和語/▼倭語】
(1)わが国の言葉。日本語。国語。

(2)漢語・外来語に対して、日本固有のものと考えられる単語。「やま(山)」「かわ(川)」「そら(空)」の類。やまとことば。

●はざかい 【端境】
新米と古米とが市場で入れ替わる9、10月ころ。季節性のある野菜・果物・生糸の取引などにもいう。
はざかいき【端境期】
●端境の時期。また一般に、物事の入れ替わりの時期。「―で在庫が品薄になる」


●風水は結界 http://bit.ly/w518og
見慣れない言葉かもしれないが、今回のテーマは結界(けっかい)。オカルトマニアやゲームマニアは知っているかもしれない。
これはもともと仏教用語で、自分の修行や何かの目的で修法を行う時に、その妨げをする有形無形のものが入って来ないように、その場所をなんらかの方法で区切ってしまうことである。
区切るというといかにも即物的だが、じっさいに目で見える形で、何らかの形のあるものを媒介にして界を結ぶことが多い。
人為的に区切っているように見えなくとも、よく目を凝らしてみると、なんらかの約束事や法則が見えてくるものである。
結界とは、いわばある種の力の及ぶバリアをきっちりと決めて、その力の邪魔をする他の要素が入って来ないようにすることなのである。

それにはさまざまな種類やノウハウがある。

●仏教用語一覧(ぶっきょうようご・いちらん)http://bit.ly/uaRM41
仏教用語(ぶっきょうようご)
仏教用語は、仏教発祥の地であるインドが起源であり、そこで生まれた様々な用語は中国において、般若や三昧など、発音に漢字を当てはめた音訳、或いは識、空など意味の該当する漢字に置き換えた意訳の2種の方法によって中国語化され、更にそれらの漢字化された仏教用語は日本に伝わり、有頂天や玄関など一部の言葉は、一般社会においても日常語として使用されるようになった。

また一説によれば「瓦」(kapāla、鉢)や「鳥居」(torāna、仏塔の垣門)も、仏教用語が起源であると言われている。


●結界について http://bit.ly/uS1m0X
分けるもの
結界とは、区別するものです。
一般的には俗な世界と神聖な世界を区切るものです。
又は修業の場を作るものです。
ですから、当然に社寺などに結界は必要ですし、全てに存在しています。
山門や鳥居なども結界の例です。
女人結界などという言葉もあります。
そして、もう一つの意味は、それらを実効上に担保する為の障壁の一種です。

●結界用麻縄 
注連縄は神域と現世を隔てる結界の役割をします。

そして、四隅の中を神域として、厄や禍を祓います。

また、注連縄は、御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)として神がここに宿っているという印ともされています。

古神道においては、神域はすなわち常世(とこよ)であり、俗世は現実社会を意味する現世(うつしよ)であり、注連縄はこの二つの世界の端境や結界を表し、場所によっては禁足地の印ともなっています。


●注連縄(しめなわ)は、神道における神祭具で、宗教上の意味を持つ紙垂(しで)をつけた縄をさす。
標縄・七五三縄とも表記する。http://bit.ly/tVVwRl
●しめ縄
【意味】 しめ縄とは、神事の神聖な場所と下界を区別するために張る縄。新年に悪気が入らないよう家の出入り口に張ったりする。
【しめ縄の語源・由来】
しめ縄は、『万葉集』に「標縄(しめなは)」の例が見られる。
一般の者の立ち入りを禁じ、皇室や貴人が占有した野の「標野」の「標」と同じく、標縄の「標」は「占める」の意味である。
漢字「注連縄」の「注連(ちゅうれん)」は、中国で死霊が入り込まないよう、水を注いで清め連ね張った縄を意味し、一定の間隔で藁を三・五・七本と垂らすため、「七五三縄」とも表記される。
また、古代には「しめ縄」を「尻久米縄(しりくめなわ・しりくべなわ)」といった。
「くめ」とは「出す」の意味で、藁の尻をくめ置いて垂らした縄なので、こう呼ばれた。

●紙垂(しで)とは、注連縄や玉串、祓串、御幣などにつけて垂らす、特殊な断ち方をして折った紙である。http://bit.ly/tVBEez

単に垂とも表記し、四手とも書く。
「しで」という言葉は動詞「垂づ(しづ)」の連用形で、「しだれる」と同根である。
古くは木綿(ゆう)を用いていたが、現在では紙(通常は奉書紙・美濃紙・半紙)を用いるのが一般的である。

断ち方・折り方はいくつかの流派・形式がある。
吉田流・白川流・伊勢流が代表的な流派である。
四垂が一般的であるが、ほかに二垂・八垂などの場合もある。

玉串・祓串・御幣につけた場合は祓具としての意味だが、注連縄に垂らして神域・祭場に用いた場合は聖域を表す印となる。また、相撲の横綱は、土俵入りの際に紙垂を垂らした綱をつける。


●紙垂(しで)の作り方、つけ方(日本神道へのいざない) http://bit.ly/sDjOqY

●みたましろ 【御霊代】
神霊の代わりとして祭るもの。御神体。

●依り代、依代、憑り代、憑代(よりしろ)とは、神霊が依り憑く(よりつく)対象物のことで、神体や場合によっては神域をしめす。http://bit.ly/tIDQGS


●常世(とこよ)、かくりよ(隠世、幽世)とは、永久に変わらない神域。死後の世界という解釈もされるが、そちらは黄泉がある。「永久」を意味し、古くは「常夜」とも表記した。
日本神話や古神道や神道の重要な二律する世界観の一方であり、対峙して「現世(うつしよ)」がある。
変化の無い世界であり、例えるなら因果律がないような定常的であり、ある部分では時間軸が無いともいえる様な世界。


●現世(げんせ、げんせい、うつしよ)とは、現在の世のこと。
古くは「げんぜ」とも読んだ。http://bit.ly/vANjbL

●玉串(たまぐし)とは、神道の神事において参拝者や神職が神前に捧げる、紙垂(しで)や木綿(ゆう)をつけた榊の枝である。http://bit.ly/vX6NEQ
●祓串(はらえぐし)伊勢神宮で祓に用いる玉串。細い木に細かく切った紙片をつけたもの。

●御幣(ごへい)とは、神道の祭祀で用いられる幣帛の一種で、2本の紙垂を竹または木の幣串に挟んだものである。
幣束(へいそく)、幣(ぬさ)ともいう。

通常、紙垂は白い紙で作るが、御幣にとりつける紙垂は白だけでなく五色の紙や、金箔・銀箔が用いられることもある。

かつて、神に布帛を奉る時には木に挟んで備えていたが、それが変化したのが今日の御幣である。その由来から、元々は神に捧げるものであったが、後に、社殿の中に立てて神の依代あるいは御神体として、あるいは祓串のように参拝者に対する祓具として用いるようになった。

なお、長い棒や竹の先端に幣束を何本か取付けたもののことを、特に梵天(ぼんてん)という。

紙が普及する以前は、ヤナギ、ニワトコ、ヌルデ、クルミ、マツなどの木の肌の一部を薄く削ぎ、渦状にちぢらせて残し垂らしておく飾り棒削り掛けも、御幣、幣の古い形の祭具として用いられた。
削り花(削花、ハナとも)、穂垂(ほたれ)、掻垂(かいたれ)とも。
アイヌにも同様のイナウがある。


●神体(しんたい)とは神道で神が宿るとされる物体で、礼拝の対象となる。
大神神社では三輪山が神体とされ、皇大神宮では三種の神器の1つの八咫鏡とされるなど様々である。
http://bit.ly/sTmzMu

その他、神道における「世界観の世として」の神代(かみしろ)や古神道の神奈備(かんなび)や皇室神道の神器(じんぎ)や古代からある神殿や神社神道の社(やしろ)や注連縄の飾られる場所やものなど、いわゆる御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)といわれる神の宿る、降りる(鎮座する・隠れ住まう・居る)場所や物も神体という。