感動したお話です。


  以下に紹介いたします。                                                                                                                                                                                      


 本当の母親はどちらか

                おおおかえちぜんのかみただすけ 

               ○ 大岡越前守忠相の判決

                   ※大岡忠相(1677-1751)

                         江戸時代の幕臣、政治家。

                         八代将軍・吉宗に重用された。


 江戸時代の名裁判官といえば、大岡越前守忠相。

 江戸南町奉行を二十年間も務め、

           数々の「大岡裁き」が今日まで伝えられている。


 その中に、「親心」の本質を見抜いた鮮やかな判決がある。


 ある男が妻を離縁した。別に悪い所があったわけではない。

 好きな女ができたからである。

 その後、かねて言い交わしていた女を後妻にめとった。


 離縁された前妻は、親元に帰ったが、すでに妊娠しており、

                          やがて女の子を産んだ。

 十年ほどたったある日、後妻が、この子を見てうらやましくなった。

 「なんて器量のいい娘だろうか。

   しかも、頭もいい。これならば、どこへ奉公へ出しても役に立つ」


     早速、

 「この娘を引き取りたい」と、前妻の元へ交渉に来た。

 断じて承服できる話ではない。

 前妻と後妻は激しく言い争い、ついに、奉行所へ訴えることになった。


 おかしなことに、この時、二人とも、

 「この子を産んだのは、私に間違いありません。私が実の母です」

                             と 言い張るのである。

 前妻は言う。

   「離縁されたあとに、里へ帰り、私が産んで育てた子です」

 また、後妻は言う。

   「私が産んだあと、子供の養育を前妻に依頼したのです。

               預けた子供を返してもらいたいだけです」


 どちらが本当の母親なのか。物的証拠は何もない。

 二人の言い争いは果てしなく続く。

           さすがの大岡忠相も、裁きかねているかに見えた。


 やがて奉行は、意外なことを言った。


 「そこまで言うならしかたがない。

   二人の真ん中に、子供を置いて、

    双方から左右の手を引っ張りなさい。

       勝ったほうに、その子を与えよう」


 白州で、前妻と後妻が、子供の手を引き始めた。

 ※白州=訴訟を裁断し、罪人を取り調べる場所。 

 真ん中に置かれた娘は、「痛いよう!」と大粒の涙を流して泣きだした。

 その瞬間、先妻は、ハッと驚いたように手を放す。


 最後まで、子供の手を引き続けた後妻は、

    「私の勝ちだわ。この子は私のものよ」 と喜んだ。


 すかさず、大岡忠相、 

        「待て待て、そこの女。控えよ」 と大喝した。


 「おまえこそ、ニセモノだ。

  誠の母ならば、わが子が苦しんでいる姿を見ておれるはずがない。

  子供の涙は、親に胸が張り裂けるほどの苦しみを与えるものだ。

  先妻は、母だからこそ、とっさに手を放したのだ。

    お前は他人だから、

          子供の苦しみより勝負のことしか頭になかったのだ」


  奉行に、にらみつけられ、後妻は、ただひれ伏すばかりであった。

  一切の悪だくみを白状し、

         娘は、晴れて、本当の母親の元へ戻ったのであった。

                                       終



              

                     親のこころ (1万年堂出版)より

                    kiiro 次回は、嚥苦吐甘の恩です。