遠山の金さんこと、
遠山金四郎景元です。
彼については創作と事実の境界線が曖昧ですよね。
という事で興味深く見ていました。
まずは彫り物。
一番有名なのは桜吹雪ですが、
それ以外にも女の生首が背中にあったと
いろいろといわれています。
ただ、どれも根拠はないに等しく、
若い頃、博徒と交わっていた可能性があるので、
そういう彫り物があってもおかしくはないという程度ですね。
老中首座、水野忠邦による天保の改革。
それを少しでも押しとどめようとする彼の姿は実像のようです。
具体的に白州でのお裁きがどうとか、
そういう事よりも、政治的な面で、
庶民の味方であったようです。
なぜ、後の人々が認識するような人物像が出来上がったのか?
天保の改革では庶民の享楽は制限を受け、
芝居小屋を閉鎖させよと、水野から景元に通達がありました。
景元はそれを助けねばならぬと、
小屋を一度閉じさせて、
浅草・猿若町へ新しく小屋を建てさせた…
これ以上は番組であまり取り上げていませんでしたけれど、
歌舞伎界をはじめとする当時の演劇界がそれに感謝し、
お芝居として上演。
当時は天保の改革で苦しめられていた庶民たちは、
さらに景元に対する快哉を叫ぶようになり、
現代の遠山金四郎像が出来上がることになります。
ちなみに、なぜ、今現在、
浅草が庶民の気風あふれる下町然としているのかといえば、
それは彼の功績だとされています。
それ以前の浅草といえば色町と寺社、
あとは田畑ばかりの土地。
そこへ天保以後、
中村座、森田座、市村座の江戸三座が軒を連ねます。
天保期の水野の目論みとは逆に、
ここに役者の共有などの面で大きなメリットを得た演劇界は
大いに隆盛を極めた訳です。
それが、現在の浅草へと繋がっているそうです。
それにしても、この天保という時代。
触れれば触れるほど、興味深い時代ですね。
以前、私は鳥居耀蔵を殺した事があります。
といっても、そういう創作物を作ったというだけなんですけれど、
モリソン号事件から蛮社の獄までを背景に、
面倒なので、鳥居耀蔵は史実より早めに南町奉行にさせました。
いつかは文章にしたいと思っているんですが…
ともあれ、その鳥居耀蔵。
彼を殺すという事で、結構調べたんですが、
腹黒さが凄まじくて、
だいたい歴史というものは、
表裏があり、善人とされる人にも裏の顔なんかが見えてきたりするもの。
その逆に悪だと評価されている人でも、
良いエピソードが見えたりするものですが、
なかなか見つかりませんでしたねえ。
今、みなもと太郎著「風雲児たち」の16巻を終わったところで、
ちょうど、これぐらいのお話なんですけれど、
彼の謀略やその妬みやそねみに対して、
かなりのページが割かれています。
でも、こういう人が結構長生きするんですよね。
明治6年まで生きています。
歳でいえば、満76歳。
当時の人としては長寿でしょう。
もっとも、後に彼は水野を裏切り、
結果、水野は失脚。
やがてその水野が老中に返り咲くと、
今度は彼が全財産没収の憂き目に。
晩年の20年ほどはほとんど軟禁生活でしたので、
幸せではなかったでしょうけれど。
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