故石井紘基氏の政治生命、そしてノダ首相の政治生命の耐えられない軽さ | 加納有輝彦
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野田総理は24日、都内で講演し消費増税関連法案の今国会中の成立について、改めて「不退転の決意」で「政治生命をかけて」臨む決意を示した。
「ここで決断し、政治を前進させることができなかったら野田内閣の存在意義はない。政治生命をかけて、命をかけて今国会中に成立させる意気込みだ」
野田首相は、繰り返し政治生命をかけてと云う。何回聞いただろう。
野田首相が、そこまで政治生命をかけるというのなら、
あなたの党の先輩の故石井紘基衆院議員のことを考えてみるがいい。
石井議員は、特別会計に対して、本気でメスを入れた。
巨額の特別会計には、利害も巨大にからんでいた。
誰も本気で取り組むことのできないタブーそのものであったのだ。
石井議員は、身の危険を承知で、特別会計にガチに挑み、メスを入れようとしたのである。
今、高速道路のサービスエリアで、牛丼とか、コンビニとか、スタバとか、いろんな企業が参入できているが、かつては、道路公団のファミリー企業のみであった。この自由化の先鞭をつけたのは石井議員であった。
そして、本人が薄々覚悟していた通り、2002年、刺殺(暗殺)されたのである。
石井議員は、自らソ連を体験し、「日本もソ連に似ている。日本もダメになる。」と危機感を募らせた。
ソ連が「官僚社会主義国家」であり、日本も、事実上、官僚社会主義国家であるとみていた。
その特徴は、特別会計で莫大な税金を上から垂れ流し、監査の及ばない特殊法人のファミリー企業が消費するのみで、市場特有の拡大再生産機能によって生み出される果実(付加価値)はないに等しい。
“市場”が死亡状態となり、借金が借金を呼ぶ財政破綻構造に陥っていると危惧していたのである。
日本再生の鍵は国家体制を官制経済から市場経済に移行させることであると命をかけて「特別会計」にメスをいれようとしたのである。
これこそ、政治生命をかけるということであるのだ。
石井氏に比べ、野田首相の政治生命の耐えられない軽さに目まいがする思いだ。
単なる、財務省の操り人形が、政治生命をかけるなどとのたまう。これ以上の茶番があるだろうか。
石井氏が生前、政治生命をかけると云う時の、「政治生命」は非常に重い。
野田首相が、政治生命をかけると云う時、我々国民は、首相の政治生命など、ほとんど無価値なものと思っているのである。
TPPの米国と日本の関係を、ジョンとポールに比したというが、韓国の核サミットで米国との首脳会談さえなかったではないか。ジョンとポールなら、主役として会談するのではないか。
あまりの発言の軽さに、空しくもあり哀しい。
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