昨日のブログはもう、しっちゃかめっちゃかに眠くて眠くて 失礼いたしました
予告通り、今日のお題は・・・
高知に関係するもっとも有名な古典『土佐日記』について、でございます。
『土佐日記』の成立は、平安時代中期の935年頃。
930 ~ 934年にかけて土佐の・国司を務めた紀貫之が記した日本初の日記文学と言われています。
『男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。』
から始まる書き出しは、学生時代は【テストに出る】チェックポイントだったはず
もちろん紀貫之は男(オカマでもありません)
和歌や心情を加えやすい仮名文を使いたいのに、当時は仮名は女の使うものとされていたため、わざと女性に仮託して書いたとか
小細工したって、バレバレだって
さて、その内容ですが・・・
『土佐日記』というタイトルなのだから、紀貫之が高知に赴任した時代の生活や土佐の風土、人々との交流などが主流だろう・・・と、思いきや。
『さらば、土佐よ。 こんにちは、京都の生活
スローライフもいいけれど、やっぱり自分には都会の喧噪とネオンが似合うのさ
あー、早くこんな田舎におさらばして都会に帰りてぇ』
と、いう内容
任期を終えた紀貫之が高知から京都へ引き上げるまでの、55日にわたる旅日記となっております
心を打つのは、土佐で幼くして亡くなった愛娘への想いですね。
『寄する波うちも寄せなむわが恋ふる人忘れ貝下りて拾はむ』
(うち寄せる波よ。どうか悲しみを忘れさせてくれるという忘れ貝を浜へ打ち上げておくれ。死んでしまった愛しいあの子を忘れるために、私は浜に降りて貝を拾おう)
『忘れ貝拾ひしもせじ白玉を恋ふるをだにもかたみと思はむ』
(いいや、忘れ貝は拾うまい。せめて、あの子のような白珠を恋しく思うことだけを形見と思おう)
そういえば昨日の銘菓『土佐日記』に使われていた和歌も、失った子を偲ぶ歌でした。
『都へとおもふもものゝかなしきはかへらぬ人のあればなりけり』
(都へ帰ろうと思うものの、愛しいわが子が帰ってこないのがこんなにも悲しくてたまらないのだ)
いや・・・お菓子のイメージで使うなら、もっと楽しい和歌でもよかったんじゃないかな
さて。
明日は、紀貫之さんのオタク訪問