羽仁五郎 | 加納有輝彦
2012-05-11

羽仁五郎

テーマ:ブログ
映画「ファイナル・ジャッジメント」の公開が6月2日、目前に迫ってきた。

日本が唯物論国家の植民地になった後の姿を描いた近未来予言映画である。


誰でも若いころ書生談義よろしく「なぜ、世界から戦争はなくならないんだ!」とか、考えたこと一度や二度はあったと思います。


 私は、十代後半に読んだ本で、衝撃をうけた言葉があります。


「アウシュビッツを防げるものだけが芸術なのだ
ベートーベンももはや芸術でない、ヒトラーはベートーベンを聴いていたのだ」


 ヒトラーは、ベートーベンを聴いていた、そして同時にホロコースト・大量虐殺を命令していた。このアンビバレンスを批判しているわけです。

五十代後半以降の方には、なつかしい方だと思いますが、歴史学者羽仁五郎氏の言葉です。


十代の私にとっては、衝撃的な言葉だったのです。それから、私は、「アウシュビッツを防げるもの」を求め、思想遍歴が?というと大げさですが、始まったのです。


私には兄が3人もいまして、兄たちの蔵書をちょくちょく覗いてました。当時は、左翼にあらずんばインテリにあらず・・特に、1970年前後の大学生にとって、ハンフリーボガート似の羽仁五郎氏は、アジテーターとして人気のオジサマだったんですね。

 この方の思想の枠組みに関しては、現在の私は与するものではありませんが、レトリックが魅惑的、一級品だったと思います。

 石原慎太郎氏と羽仁五郎氏の対談では、私の記憶ですが、石原氏は、「今日は歴史学者と対談に来たのではない、詩人の詩(うた)を聞きにきたんだ・・・」と言ってました。

 右翼的石原氏が、左翼歴史学者を詩人と評しているわけですから、羽仁氏のレトリックを石原氏も認めていたということでしょう。


 さて、「アウシュビッツを防げるもの」を求めて彷徨った私は、それを見出したか。
そうです、見出したのです。

それが、「幸福の科学」の仏法真理であり、その具現化の一環として立党された「幸福実現党」の立党精神なのです。

 幸福の科学の仏法真理が、アウシュビッツを真に防げると確信し、今に至っているのであります。


詩人・羽仁五郎氏の詩の一部をご紹介しましょう。 

 羽仁五郎著:ミケランヂェロより




十世紀も後に

    ミケランヂェロは、いま、生きている。
うたがうひとは、、「ダヴィデ」を見よ。
ダヴィデは少年である。かれが、怪物ゴリアをたおす決心をつげたとき、ひとびとはかれをとめた、が、確信をもったかれは、一本の石投げに石をもっただけで、ゴリアにむかって行った。

そして、少年ダヴィデはついに怪物ゴリアを倒した。

 ミケランヂェロの「ダヴィデ」は、ルネサンスの自由都市国家フィレンツェの中央広場に、その議会の生面の階段をまもって、立っている。
身には一糸もつけず、まっしろの大理石のまっぱだかである。
そして左手に石投げの革を肩から背にかけ、ゴリアを倒すべき石は右手にしっかりとにきっている。

 左足はまさにうごく。
見よ、かれの口はかたくとざされ、うつくしい髪のしたに理知と力とにふかくきざまれた眉 をあげて眼は人類の敵を、民衆の敵を凝視する。

    中略

 そのフィレンツェ自由都市の市民より選挙せられて成立していた最高政府シニョリアの政庁および議事堂パラッツォ・ヴェッキオの正面に立つミケランヂェロの「ダヴィデ」。
かくのごとく美しいものが、この世にあり得るのか。
これこそ、まことの芸術の限りなき美しさである。

    中略

 かつてフィレンツェ自由都市国家のシンボルたりしパラッツォ・ヴェッキオは、かさかさに枯れてしまったように、昔日の光りを失い、ピアッツァ・デラ・シニョリアの広場はいまは捨てられたように、いたずらにひろいその石だたみの上を吹きわたる風が淋しく、うるわしかりしフィレンツェの街はやぶれうなだれ、あの活気と毒舌とをもって鳴っていたフィレンツェ自由都市市民のすがたは今いずこかと思わせるが、ひとりミケランヂェロの「ダヴィデ」の裸身のみは、風霜をしのいで、いよいよ毅然と立っている。

 いな、その後の動乱の際に、パラッツォ・ヴェッキオにたてこもった市民たちが、その正面を破って侵入して来ようとしたメディチ専制主義の手兵にむかって、窓から投げつけたベンチが、「ダヴィデ」の左の腕にあたったあとは、修復されたが、フィレンツェ市民といっしょに身をもってたたかって来たこの「ダヴィデ」は、その失われた歴史をひとびとがどんなに忘れ去ろうとしようと、かればかりはそのかつての戦いを今のことのように、いな、将来の希望のように、語ってやまないのである。
屈せざる歴史いな人生の希望スペランツァのために。

 そして民衆の明朗をおびやかす如何なる怪物ゴリアをもついには倒そうとする理知の憤怒にもえたその顔、辛苦から力を得たその大きな手、わかわかしさにみちて立つその両足、ああ、この純白の大理石にかがやく少年「ダヴィデ」の裸体こそは、真の芸術の何たるかを、むかしも、いまも、いつまでも、その前に親しくむれあつまる人々にかたりかけてやまぬのである。

 「ダヴィデ」をながむる人は、現代の人は現代の心のかぎりをこめて、この像をみつめることがゆるされる。
「ダヴィデ」を、ミケランヂェロを、近代的にあまりに近代的に理解すべきでない、などという凡庸歴史家たちに対しては、ミケランヂェロ自身が彼の言葉をなげつける

「十世紀も後になって見よ」と。


ドイツに留学した時、ドイツ人から、「日本の歌麿に描かれている日本人は、このような顔だったのか」と言わしめた若き日の羽仁五郎氏
$一憂国者の紙つぶて 加納有輝彦

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