「下り坂社会もまた楽し」という無責任な脱原発論が仕掛けられている! | 加納有輝彦
テーマ:ブログニューヨーク(CNNMoney) 経済危機に直面するスペイン政府は27日、今年1~3月の第1四半期の失業率が24.4%と過去最悪の水準をさらに更新したと発表した。昨年の第4四半期は22.9%だった。
世界第恐慌時の米国の失業率はピーク(1933年)で24.9%だったというから、それに匹敵する。
ギリシャの失業率は21%、若年者15~25歳に限ると51%という。アテネでは、全く仕事がないという。
財政危機の影響は、若年層に限ったことではない。アテネの国会議事堂前のシンタグマ広場で今月4日朝、年金カットなどで将来を悲観した男性(77)が拳銃で頭を撃って自殺した。
男性の遺書には「生きるためにごみあさりを始める前に、威厳ある最期を迎えるしかなかった」と書かれており、ギリシャ社会に衝撃を与えている。
日本で、原発再稼働に対して、「経済至上主義、命より経済を優先させるのか」という情緒的反発が付きまとう。
実際、原発が立地する地元では、議会から一般住民まで、再稼働を事実上受け入れている。
近々に行われた原発立地の複数の地方首長選挙では、原発容認派が、勝率100%である。
我々は、原発を擁する地元の人々の、再稼働受け入れの方向性を、「補助金まみれの経済至上主義」と非難できるであろうか。
実は、人間にとって、経済問題は命を左右する。経済苦を理由に、毎年、多くの日本人が自殺をしている。
経済は、人間の命そのものであるといってもいい。
人間は、社会的動物である。失業は、社会性を奪う。人間の尊厳を奪う。
少なからず、日本の学者が、日本はもう成長はしない。下り坂社会もまた楽し。
電力供給も減らしていくよりほかない。原発は廃炉にすべしと訴える。
彼らは、成長しない経済が、失業率を高めるリスクがあるということを考えているのだろうか。
日本の電力供給が不安定になれば、多くの高度な技術を有する企業が、海外へ脱出する。そして雇用の機会が国内からなくなる。すなわり失業率が増えるということを想像できないのであろうか。
彼らの「下り坂を楽しむ」という情緒は、失業というリスクをどう考えるのか。
失業もまた楽し!というのなら、例外的にそういうこともあるかもしれないが、失業率20%を超える社会の『悲惨』『悲劇』を私たちはアテネ、あるいは、スペインでしっかり認識しておかなければなるまい。
下り坂社会もまた楽しとする「反原発思想」は、幻想的農耕社会への憧憬が見え隠れする。
それは、あくまでも個人的趣味嗜好の世界だ。全共闘世代の個人が、農に還ろうというのはいいだろう。
しかし、一億人の生活に責任を有する政治家は、そのような情緒で「脱原発」政策を主導しては、絶対にならない。
一億人が、食べていける、仕事を通じて社会の発展に貢献できる、積極的未来像を提供しなければならないのである。
いま、マスコミ主導のもとに、幻想的農耕社会、原始共産主義への回帰への憧憬から、「下り坂社会もまた楽し」という無責任な脱原発論が仕掛けられているように思えてならない。
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