【読書】それでもあきらめない ハーバードが私に教えてくれたこと/林英恵 | THE ONE NIGHT STAND~NEVER END TOUR~

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「40歳からの〇〇学 ~いつまでアラフォーと言えるのか?な日々~」から改題。
書評ブログを装いながら、日々のよしなごとを、一話完結で積み重ねていくことを目指しています。

それでもあきらめない ハーバードが私に教えてくれたこと/林英恵
 
「ハーバード」とか「スタンフォード」とかがタイトルについていると、
つい避けてしまうのが常のなのですが(苦笑)
この本はご縁があって手に取ることになりました。
そして、やっぱりご縁というのはあるもんだなと思いました(笑)
<目次>
はじめに
プロローグ
第1章 変化
第2章 転機
第3章 仕事
第4章 心
第5章 未来
エピローグ

『何度挑戦しても失敗をし続け、すっかり落ち込んでいた私に声をかけてくれたのは、ハーバードの卒業生である野村るり子さんだった。
「選ばれなかったということは、他の道に選ばれたということよ」
この言葉に、私はずいぶんと救われた』
(p82)

ここに出てくる野村るり子さんという方は、僕の師匠筋にあたる方です。
僕が初めて社会人講座なるものに参加したのは、
早稲田大学オープンカレッジ八丁堀校の
「ゆっくり学ぶロジカルシンキング」
でしたが、そのときの講師が野村先生でした。
そのころ、この言葉を聞いた記憶があります。
その時点での僕は、救われたわけでもなかったのですが(苦笑)
この言葉はなぜか残っていました。
数年後、自分の過去を振り返って「ああ、そういうことか」を思えることがあって、
あらためてこの言葉に、野村さんに感謝したのでした。
この本を手にとって、この部分が目に入ったので、購入して読もうと思いました。
ご縁とはそういうことです(笑)

この本は、就職や留学と、さまざまな挫折してきたひとりの女性が、
ハーバードへの留学を勝ち取る物語、
で終わることなく、ハーバードで学んだこと、それも学問的なことではなく、
ハーバードの仲間から学んだことをおあますことなく伝えてくれています。

「勇気が必要なとき、忍耐が必要なときにそっと読み返してもらえるような、そんな本として手元に置いてもらえたら、と願っている」(p9)

と「はじめに」にありますが、本当にそんな本だと思えます。
 
■変わることを恐れない(p40)
「しかし、覚えておいてほしいのは、『やりたいことは必ず変わる』ということだ。
これから君たちは、短い人だと1年、長い人なら5~6年という時間をこの学校で過ごすことになるだろう。
授業を受け、教授と話し、友人と議論することを繰り返すうちに、どんな人も、多かれ少なかれ、やりたいと思っていることが変わっていく。大事なのは、その変化を恐れないこと。変わるということは、それだけ君たちが大学を有効活用したという証だと思ってほしい」
(p43)

この言葉は、ハーバードの入学式でのある教授からのメッセージだということです。
僕は夢をもったことはない、と書いたことがあります。
目標も、目先の細かいことなら立てますが、長いスパンで立てることはしてきませんでした。
「3年後のなりたい自分」に「そんなものはない」と答えたこともあるくらいですですから(苦笑)
「進む道を決め、その道に縛られて」という友人を何人も見てきていたので。
そして、「出来ないや~」と開き直れればいいのですが、
それができないということで自分を責めるようになるのはもっとよくない、
と思っていきました。いや、今でも思っています。
でももしかしたらそれは変わることを恐れていたからなのかもしれない、と思うようになりました。
「3年前に見れた夢は、いまの自分が見れる夢よりちゃっちかったに違いない」
と言ったことがあります。だから、いまの僕が見れる夢は3年後の僕が見れる夢よりちゃっちいのだろう、
というのも間違いないと確信しています。
でも、だから夢(目標)を持たない、というのも違うのかもしれない、
と思うようになりました。
「君子は豹変す」とも言います(笑)今日語った目標や夢が明日変わってもいい。
そう考えて目標を考え直してもいいかもしれない、と思い始めています。

■与えて、与えて、与えて、与えられる(p178)
『卒業後を含め、ハーバードで成功している人たちは、行動に対する見返りを「物々交換」のように期待しない。むしろ、どうすれば少しでも多くの人に、自分の持っているものを分け与えることができるのか、どうすれば、社会に広く還元できるのかについて考えている。
そんな生き方を追求していると、穴またま「幸運」が舞い込んでくるのである。
そして、その幸運も、人に与えたから当然だと思うのではなく、「たまたまラッキーなことがあった」という謙虚な気持ちで受け止められる人たちなのだ.
たとえ「良いこと」をしたとしても、それに対して常に見返りを求めるような考ぶ方は、寂しすぎる。
幸運の女神は、与えることを自分の喜びとして感じられる人のところに舞い込んっくるのだと思う』
(p183)

勝間和代さんなら「GIVEの五乗」、
本田直之さんなら「コントリビューション」という言葉を使うところでしょうか。
仏教では「大乗利他」と言いますね、こうしたことを。
「人にしてあげたことはすぐ忘れろ、人にして貰ったことは生涯忘れるな。」
とよく言われます。
僕は、、、人にして貰ったことは忘れないほうだと思いますが、
人にしてあげたこともなかなか忘れない(苦笑)
という嫌な性格をしています。ホントはダメなんですね、こういう考え方。
僕が「般若心経」とともに愛唱している仏教の偈文
「密厳院発露懺悔文」
にこういう一節があります。
若し善根を作せば有相に住し 還って輪廻生死の因と成る(もし善いことをしても、その結果を期待するから、かえって迷いの世界に入るもととなる)」
だからやっぱり見返りを求めてはダメなんのだと思います。まだまだ修行が足りない。
だた、最近は直接的な見返りは求めなくてもいいや、と思えるくらいになりました。
僕がしてあげてことを恩だと思うなら、それを他に人に与えてほしい。
恩送り、という考え方を知ったせいだと思います。

それと、こうした奉仕の精神はけっして「滅私奉公」ではない、
ということも考えておかなくてはいけないと思います。自分の得意技で奉仕する。
そもそも苦手なことで奉仕してもたいして役に立たない。
去年、ボランティアで南三陸に行ったとき、そのことに明確に気付きました。
流された個人宅の跡地の瓦礫を除去する作業をしたのですが、
非力な僕がどんなに頑張ってもたいして瓦礫を運ぶことは出来ません。
でも、作業は瓦礫を運ぶことだけではない。
そのときは、たまたまですが、得意技というほどのことでもないですけど
経験者が僕しかいない、という作業がありました(チェーンソーを使って草刈りをする作業)
そのときの状況で自分が得意とすることをもって奉仕する、というのが本来なのだと思います。

ふたつのことを取り上げてみましたが、この本全体を通して書かれていることは
「簡単にあきらめない」
人たちが、日常、なにをしているのか、が書かれています。
それは驚くほどシンプルなことばかりです。
でも、そのシンプルなことを実践できるかどうか、
実践できるるとどう変われるのか、それを知ることができる本です。