縄文の悠久の時の流れの中で
韓国統一教会に洗脳された女性の体験談 ~統一教会の静かな侵略
http://www.agape-ch.net/archives/7077
姉さんがねつ造のビデオで「日本軍は朝鮮の従軍慰安婦の人たち150人を並べて次々と首を切り落とし、その頭でスープを作って慰安婦たちに無理やり飲ませた……」などを見せられて
「日本人に生まれてきたことが恥ずかしい」とか、「日本人は今すぐ韓国人に償いをしなくてはならない」とか、「日本の今の繁栄はすべて韓国の人たちの犠牲の上に成り立っている」などと洗脳されて「韓国に行って韓国語で韓国の人たちに謝りたい」と韓国語を勉強して韓国へ行ってしまったと妹さんが書いている。

内容は読んで貰えれば判ると思う。

日本人は昔からそんなことを考える民族かな。
信長は敵の武将のシャレコウベ(頭蓋骨のこと)で杯を作り其れで祝杯を挙げていたと聞いたことがある。
デモこんな事も日本人の発想としてするだろうか。
確かに戦争は狂喜で有り気違いであり発想も違ってくる。
だけどもそう言う事をある程度知っていないと浮かばないのが人間ではないかな。
信長以外では気違い的な話しは聞いた事がない。

サンカを以前調べた時に一家族5.6人で多くても三十人までの集団にしか成らないと。
縄文でも長くそれくらいの集団で推移したと勉強した。

この人数は物事取り決めて伝達して徹底するのに最適な人数になると。
人は多すぎても却ってまとまりが無くなる。
そう言う流れで来た日本民族の発想ではないと思える。

おかげさまで
以前書いたけれども
誰かのおかげで自分は生きている。
誰かのおかげで助かった。
誰かのおかげで上手く行った。

おかげさまの文化
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1640696265&owner_id=33738144
◆「おかげさま」という言葉は、私が若いころには、日本人がいつも口に出していた言葉であったが、最近、まったく死語のようになってしまった。「おかげさま」とは一体だれのことなのだろうか?様がつくということは「おかげ」という人間が存在しているはずである。おかげとは、誰のことだろうか。もしくは、誰のことだったのか。突き詰めてみれば、私だったのかもしれないし、これを読んでいるあなただったのかもしれない。◆
こう書いている。

日本文化①奴隷制否定型文化(1400年前に法律によって奴隷制度廃止)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1640135112&owner_id=33738144
奴隷制度を否定して、1400年以上たつ、世界でもまれな国としての文化」

この国はこんな文化を持ち合わせている。

いただきます
【意味】 いただきますとは、食事を始める時の挨拶の言葉。物を貰う時の言葉。
【いただきますの語源・由来】
「いただき」は、動詞「頂く・戴く(いただく)」の連用形。
山や頭の一番高いところを「頂(いただき)」と言うように、本来は「いただく」は頭上に載せる意味を表した語である。
中世以降、上位の者から物を貰う際に頭上に載せるような動作をしたことから、「いただく」に「もらう」という意味の謙譲用法が生じた。
やがて、上位の者からもらった物や神仏に供えた物を飲食する際にも、頭上に載せるような動作をし食事をしたことから、飲食をする意味の謙譲用法が生まれ、食事を始める際の挨拶として「いただきます」と言うようになった。

ありがとう
【意味】 ありがとうとは、感謝の気持ちを表す言葉。感動詞的にも用いる。
【ありがとうの語源・由来】
ありがとうの語源は、形容詞「有り難し(ありがたし)」の連用形「有り難く(ありがたく)」がウ音便化し、ありがとうとなった。
「有り難し(ありがたし)」は、「有る(ある)こと」が「難い(かたい)」という意味で、本来は「滅多にない」や「珍しくて貴重だ」という意味を表した。
『枕草子』の「ありがたきもの」では、「この世にあるのが難しい」という意味、つまり、「過ごしにくい」といった意味でも用いられている。
中世になり、仏の慈悲など貴重で得難いものを自分は得ているというところから、宗教的な感謝の気持ちをいうようになり、近世以降、感謝の意味として一般にも広がった。
ポルトガル語の「オブリガード(obrigado)」から、「ありがとう」と言うようになったという俗説があるが、ポルトガル人が訪れる以前から使われていた言葉がポルトガル語に由来するはずはなく、「オブリガード」と「ありがとう」の音が近いというだけの話で、程度の低い俗説である。

いただきます ありがとう
なぜこんな発想が生れるのか。
世界中に色んな国があり色んな思想がある。
物事一つして貰うのには
お願いしますから始まり
してもらう
できあがり
ありがとう
なにかを貰うにもこの過程が成立するのではないだろうか。
この中で先の言葉の発想が背出てくる。

縄文とは自然とのお付き合い。
その中でこの思想が無いと生活出来ないのでは無いかな。
発想は稚拙だとは思う。

世界の民族が狩猟から始まった時もこの思想は有ったのではないかな。
だから神話などもよく似た筋書きが有るのではないのかな。

おかげさまで
いただきます
ありがとう

意味は総て違うけれども発送自体はよく似たものだと思う。

日本民族はこの小さな島国の中で何万年と言う長い時間をこういう事にかけてきた。
大陸などに住む人はその時々の欲で自分さえ良ければ良いという思想に成って行ったのではないかな。
何度も何度も周りとの民族との構想に置いて。
侵略はそのための手段に使われた。

今が良ければよい。

日本民族は人の持っているモノをネダッテ手に入らなければ自分で何とかする。
決して横取りしない。
侵略の歴史は日本でも隣同士は有った。
デモ一つだけ犯してはならないモノが有った。
これが悠久の流れの源泉では無いかと思っている。

其れは天皇陛下そのものではないだろうか。
あの方の中に流れているモノこそ縄文ではないだろうか。
悠久の時の流れを今も発露されている。

あのマッカーサーが一度お会いしただけで取りこになった。
http://www.youtube.com/watch?v=inE1DSH0jrk
http://www.youtube.com/watch?v=eTj1wCbcKps&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=m7E2C-QobaU&feature=related
神様の様なお人だったと。

人の印象は言葉を吐くだけでも変わってくる。
彼は会ったその時から自分の印象が変わっていく事を認識したのではないだろうか。

一度だけ其れそれも20㍍も離れた所でお会いしただけの私も感じていた。

言葉では表せないほどの喜びを。

縄文の悠久の時の流れの中で
志葉楽のブログ