その行為、贈与or貸付? | 庭先金魚

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極小規模金魚外飼いとか、アルフィーとか、AQ35な脳ミソの悲喜こもごもとか、偉そうに何言うとんねんなごたくとか、どーでもいい日常とか

「気の置けない間柄」は、この世に実在するものなのか?に書いたように、私は心情的収支を50:50に保つのがたいそう苦手です。

いくつか理由がありますが、深刻に困っているのは、

貸し借りであることが明白でない行為に関して、相手が私に差し出すものごとのうち、どこまでが返済不要な贈与で、どこからが返済が必要な貸付なのか、さっぱり見当がつかない

ということなのです。


こちらも何らかの形で負担することが必要ならば、なぜ最初に負担不要であるかのような姿勢を見せるのかと、時に腹立たしく感じますが、世の中的には暗黙の了解が成立しているようで、しばしば私の脳内から疑問符が溢れ出る事態になります。

この溢れ出る疑問符に対し、たいていの人は怒りを返してきます。
それはやむを得ない反応ではありますが、怒られたところでわかるようにはならないのです。