「リフレ派」こそ似非ケインジアンである! | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 私はこれまで、いわゆる「リフレ派」と呼ばれる人たち(金融緩和こそが大切で、財政政策の効果はあまりないと考える人たち)の批判を差し控えてきました。しかしながら、昨今このリフレ派の人たちが財政出動派への批判を強め、財政出動派を「似非ケインジアン」として排斥する動きに出ていることに対して、このまま放置しておいてはいけないと考えるようになりました。



 ケインズの考え方に近い方が経済理論的に必ずしも正しいということを意味するわけではありませんから、ケインズの考えと違う考えを唱えること自体には何も問題はありません。しかしながら、ケインズの考えと違う考えを唱えながら、自分たちがケインジアンの本流だと名乗り、ケインズに近い考えの人間を「似非ケインジアン」として排斥するのは、許される行為ではありません。

 そもそもケインズは単純なリフレ派的な考えに対する痛烈な批判を展開しています。ケインズの著作の中に「ルーズベルト大統領への公開書簡」(1933年12月発表)というものがありますが、そこで展開されているリフレ派的な考えに対する批判をそのまま引用します。(松川周二氏がご自身の論文の中で、この公開書簡の和訳を載せているのを見つけました。ご覧になりたい方のために、リンク先を示しておきます。)
松川周二氏の論文

 私がその影響を恐れるいま一つの誤謬は,貨幣数量説として知られる粗雑な経済理論から生じるものである。もし貨幣量が厳格に固定されているならば,生産と所得の増加は遅かれ早かれ,阻止されるだろう。それゆえこのことから,生産や雇用は貨幣量の増加によって生じると推論する論者もいる。しかし,これは長いベルトを買うことによって太ろうとするようなものであり,今日,米国の場合,胴囲に比べるとベルトは十分に長い。単なる制約要因の一つにすぎない貨幣量を,主たる要因である支出よりも強調することは最大な誤解である。

 貨幣量は単なる制約要因の一つにすぎないのであり、貨幣量を増やしさえすればデフレ不況から脱却できるというのは間違っていると、ケインズは主張しているわけです。現在の日本もベースマネーを拡大してもマネーサプライがほとんど伸びない状態にあり、当時のアメリカ同様に「胴囲に比べてベルトは十分に長い状態」にあるということになります。ベルトを長くしても太ることはできないのであり、主たる要因である支出=財政出動とか企業投資とか個人消費の方が大切であると、ケインズは言っているわけです。

 この書簡の中には、ケインズがこうした支出の中で財政出動が特に大切だということを明瞭に述べている箇所があります。その部分も引用しておきましょう。

 一般的にいえば,次の3つの要因のいづれかが作動しないかぎり,生産は増加しえない。個人の場合には現行の所得からの支出を増加させる誘因が生じなければならない。産業界には将来への確信の高まりや利子率の低下によって,その国の経営資本や固定資本を増加させ,労働者の所得の増加を生み出す誘因が生じなければならない。あるいは公共当局は,借入れや貨幣の増発による支出を通じて追加的な所得を生み出すような助成を行わなければならない。
 不況期には,第1の要因が十分な規模で生じることは期待できない。第2の要因は,公共部門の支出によって流れが逆転した後に,不況の克服が進む場合にのみ生じるだろう。したがって,われわれが最初の主たる衝撃として期待できるのは,第3の要因からのみである。


 お読みになられてご理解できたと思いますが、ここで言う第1の要因とは個人が支出を増加させることであり、第2の要因とは企業が投資を増やすことであり、第3の要因とは政府が財政を拡大させることです。要するに、個人が消費を増やすか、企業が投資を増やすか、政府が財政を拡大させるかして、どこかがお金をもっと使うようにしないと、生産は拡大しないという話をしているわけです。しかし不況期には将来の収入への不安が高まりますから、個人が率先してお金を使ってくれるとは考えられないですから、第1の要因に期待することはできないわけです。同様に、不況下で企業が将来に楽観を抱いて積極投資を行うことも期待しにくい状況にあり、第2の要因もはじめからは期待できないわけです。だから、まず最初の段階では財政出動が衝撃の役割を果たすべきだとケインズは述べているわけです。しかも「第3の要因からのみ」だとまで言い切っています。

 ケインズが金融政策や利子率の重要性を認識していたのは間違いないですが、財政をさほど重く見ていなかったというのは、この公開書簡一つで完全に間違いだったということがわかるでしょう。

 私はリフレ派の人たちが独自の主張をされることにはいささかも反対しませんが、ケインズが財政政策をさほど重視していなかったかのように主張し、リフレ派こそが正当派ケインジアンであるというのは、それこそ詐称であると考えます。

 実際、リフレ派の主張に基づく経済政策が大した効果を上げられていない中にあっては、正当派ケインジアンが主張する思い切った財政出動を今こそ試すべきではないかと私は考えます。


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