頼朝配流の地・蛭ヶ小島(伊豆韮山)
週末に、ふらりと伊豆をドライブしました。
この桜の美しい季節に、デジカメの充電池を忘れるという大失態を演じ、
がっくりとほほでしたが、のんびり楽しいドライブになりました。
(残念ながら、写真は携帯の画像のみです~)
さて、ここは、伊豆韮山にある蛭ヶ小島(蛭ヶ島)。
後に鎌倉幕府を開くことになる、源頼朝が配流されたところです。
頼朝は、大河ドラマでは玉木宏演じる、清盛のライバル源義朝の子です。
平治の乱に敗れた源頼朝は、
清盛の継母・池禅尼の命乞いによって斬首を免れ、
伊豆の蛭ケ小島への流刑となりました。
頼朝は、1160(永暦元)年2月の14歳の少年期から、
1180(治承4)年8月に旗挙げする34歳までの20年間をこの地で過ごしたとされます。
流人とはいえ、その監視は比較的ゆるやかであったと思われ、
伊東祐親の娘・八重姫との恋、北条政子との結婚のほか、
箱根・伊豆山・三島の三社詣、天城山での巻狩りなどの伝承も残されています。
この八重姫は、悲劇の最後を遂げるのですよね~。
政子の情熱的な恋のお話にも圧倒されます。
それにしても、頼朝は結構自由な流人だったのですね!
蛭ヶ小島、蛭ヶ島と呼ばれる頼朝流刑の地は、
近くを流れる狩野川の中州として小説などには描かれることが多いのですが、
実際には、水田地帯にある、ちょっとしたこんもりとしたところ、という感じだったようです。
現在も、畑が広がる中にあります。
(この場所は、江戸時代の学者さんが推測した地だそうですが、裏付けるものは出ていないようです)。
あまり人気があるとは思えない、頼朝サン。。。
今回、頼朝にスポットライトを当てて、いろいろ見て回っているうちに、
意外と地元にまつわる歴史について、知らないことがいっぱいだなぁと実感。
大河ドラマでも、よく知った地名が出てくることもあり、
源平の頃の歴史を今一度、振り返ってみるのも、楽しいかな~と思いました。
しかし、源平の戦いばかりが有名ですが、
滅亡した平氏のみならす、源氏もあっという間に没落しているのですよね。
結局、権力を握ったのは北条氏。
面白いものです・・・。
キーはやはり、北条政子、なのでしょうか。