承前。
前回の記事一回で三時間分しか話が進んでいない。はじめのうちこそ体力的にも心理的にも余裕があって、しょうもない写真をバシバシ撮っているが、状況が厳しくなるに連れて写真を撮る余裕が失われていくので、後半はスッ飛ばし気味になるだろう。この那須連山決死行シリーズは竜頭蛇尾が約束されているようなものなので、生暖かく見守っていただきたい。
0914時、前方に分岐点を見る。このあと道を間違える。
0923時、単調な登り。戊辰戦争当時に大鳥軍第一大隊が駐屯した三斗小屋宿跡へ続く道は音に聞こえた難路のはず。道間違いに気づく。
0947時、分岐点へ戻る。
0956時、石仏を発見。写真を撮るには光線の差し込み具合が悪かったので、いったん通り過ぎて逆側から撮影。本来は三斗小屋宿に向かって左手に見る位置にある。登山地図には「旧姥ヶ平分岐 石仏あり」と注記される地点。石仏は石積みマウンド上にあり、マウンドには木が植えられており、あたかも一里塚の如き形状だが、旧分岐点に位置するため道標がわりに築かれたものだろう。登山地図には旧分岐点とあるものの姥ヶ平は遙か北東、そこへ続く廃道跡は確認ならず。三斗小屋宿の踏査を目的としているので早々に過ぎ去る。
0957時、三斗小屋宿跡への道標を確認。
1014時、麦飯坂(バクハンザカ)に差し掛かる。写真は同行者が顔出しを嫌って後ろを向いたところで、実際は下っている途中。またの名を下野駒返し坂というほどの難所である。
1015時、谷底へ吸い込まれそうな急坂を下る。
1037時、いまだ麦飯坂の難路を脱しえぬとき、涸れた沢を発見。登山地図にも記載されない小さな沢が多くある。それらの沢は台風や地震による地形変更で流路が遷移する。
1044時、麦飯坂の傾斜が緩くなりかけたところで地図に記載の無い無名の沢を渉る。地面をえぐる度合いが少ないので、比較的新しい流路と思われる。このような自然現象の影響もあって、麦飯坂も幕末当時のままの道筋ではない。かつて宿場へ重い荷を運んだ人々と、ザックひとつを背負うのみの登山者では歩く道筋も違って当然なのだ。
1047時、水量の多い沢にかかる丸木橋を渡る際、ツキノワグマのように四足になる慎重居士。この慎重すぎる性格が翌日には全員遭難の危険を招き寄せるとは……。
1053時、名も無い沢が滝のようになっているのを見て、通りすがりに一枚。
1127時、湯川にかかる橋が流失していることを確認。仮設橋すらもなく、沼ッ原湿原に表示があった警告を忘れていたわけではないが、しばし茫然となる。
つづく
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