北別府学公式サイト運営チームです。
いつも北別府学を応援いただきましてありがとうございます。
ペナントレース再開まですこし時間がありますので、1月に公式サイトにてインタビューさせていただいた「殿堂入り記念インタビュー」を再掲載させていただきたいと思います。

それでは第1回~殿堂入り、そして津田投手への思い~です。
ごゆっくりお楽しみください(^^)

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1月13日、野球体育博物館より発表された「平成24年野球殿堂入り」を記念し、北別府学公式ウェブサイト事務局では、公式サイト、フェイスブック、オフィシャルブログの読者の皆様のために、特別インタビューを行いました。

4回シリーズで、その内容を紹介します。

 

公式サイト運営チーム) (以下運営)まずは、「平成24年度野球殿堂入り」おめでとうございます。13日の発表から、各メディアをはじめ様々な形で、数多くの取材を受けてこられたと思います。あらためて、今の気持ちをお聞かせください。

 


北別府)
はい。まずは、今回の野球殿堂入りは、僕を長年応援してくれた、ファンの皆さま、野球界の先輩・後輩、チームメイト、そして支えてくれた家族のおかげだと思っています。ありがとうございます。

発表から、数日が経ち、多くの方々からお祝の言葉や、お花を頂き、正直、僕は「もし自分が殿堂入りしたなら…」と考えていた内容とは、また違った、雰囲気、凄さを感じて、戸惑っている…のが正直な気持ちですね。

 

運営)北別府さんご自身が考えていた、殿堂入りとはどんな感じだったのでしょうか?

北別府)そうですね…。野球殿堂入りは、野球の世界に身を置いた人間にとっては、本当に名誉なことです。そういった中で、もし自分が殿堂入りをするなら…もう少し年齢が高くなってから入るものだと考えていたので、今回54歳でいただいた事に、年齢的にはまだ早いかな…と、決まった時は思ったんです。

特に、今回は僕以外に殿堂入りをされた方は、3人とも亡くなられていますからね。

 

運営)なるほど…それが、北別府さんご自身の殿堂入りについての印象ですか?

 

北別府)ええ。あともうひとつ。僕は、その年齢的な事以外にも、今まで、MVPや沢村賞、最多勝といったタイトルも数多く受賞している中で、沢村賞を獲得したことと、名球会(200勝)に入った事に対して、自分の中では、特別な価値、誇りを持っていたんです。

今回の殿堂入りを、沢村賞や名球会と比べてはいけませんが、僕は、もし自分が野球殿堂入りするならば、もう少しひっそりとした形でいただける物なのかなぁ…と考えていたんです。だから、1992年に200勝を達成し、名球会に入ってからは今まで、200勝を達成したことの方が、自分の心の中では、責任が重かったような気がします。

しかし、今回の殿堂入りの発表から日が経つごとにその存在が大きくなっているのが、僕の中で特別な価値を持っていた沢村賞や200勝をも上回る、殿堂入りの凄さです。

(プロで功績を残した人が対象の競技者表彰は)今回の僕と津田を含め、長い日本のプロ野球の歴史の中でも、まだ80人しかいません。

特に、今回僕が選ばれた「プレーヤー表彰」は、現役引退から20年間の間に選ばれないといけない、と言ったルールがあるんですね。それを考えると、現役を引退して、もう17年が経った僕には、残り3年しかチャンスが無かった。自分の頭の中では、まだ早いと思っていたけど、意外にも残りの年数は少なかったんです。

その中で、僕より数多くの実績を残している先輩方よりも先に殿堂入りをさせていただいた、ということに、少しずつではあるけど、重みを感じています。

 

運営)今回、(プレーヤー表彰で)野球殿堂入りを果たしたのが、先ほどもお名前が出ましたが、北別府さんと仲が良かった故津田恒美投手と言うこともあって、各メディアでは津田投手についてのエピソードも披露されています。

野球以外の部分で、想い出に残っているお話はありますか?

 


北別府)
そうですね…僕の入団当時の担当スカウト・村上さん(旧姓:宮川)が、津田投手の担当スカウトと言うこともあって、津田とは自然と仲良くなったんです。

僕は、村上さんが初めてスカウトになった年の選手で、村上さんの中では長男のようなイメージ。津田は、僕より3歳年下で、次男のイメージがあったんですね。

シーズンオフや、開幕直前には、僕や津田を含め、村上さんが担当した選手がみんな村上さんの家に集まって、ご飯を食べたり、お酒を飲んだりしました。その中でも、僕は、津田が3歳年下と言うこともあって、本当の兄弟…と言ったイメージを持っていましたね。

普通、投手陣は、先発と抑え、役割は違えど、お互いがライバル。しかし、津田とはなぜか意気投合して、何度も助けてもらいました。

また、僕の長男と津田の長男が同級生と言うこともあって、お互いに近い存在だったと思います。

 

運営)では、野球以外、私生活の面でも親しかったですか?

 

北別府)はい。遠征に行けば、試合が終わって一緒にご飯を食べに行き、広島に居る時も、結婚していない人達はみんな寮(三省寮)に居た訳ですから、ほぼ一緒に遊んでいました。 まるで学生時代、部活動の延長のような雰囲気だったのかもしれませんね(笑)

僕が結婚してからは、津田が僕の家にご飯を食べに来たり、彼が結婚してからは、彼の奥さんも交えて、家族ぐるみの付き合いをしていました。

そう言った意味では、今回僕と津田が一緒に野球殿堂入りを果たしたと言うことは、彼と本当に縁があった証拠だと思っています。