大阪無差別殺人事件に関して、松井知事の
「自己完結して死んでくれ」
発言が物議をかもしているけど、僕はさして違和感を覚えない。
多分今夜のあちこちの飲み屋では
「あんな奴は自分で勝手に死にゃあいいんだ!」
というオヤジたちのくだ巻きが多数聞かれるはずだ。

個人的に同意見の人は多数いると思われ。

政治家としての松井知事を批判したい部分は、この手の発言をすれば叩かれることすら想像できない人間にリスクコントロールを任せてもいいのか、という点だ。発言の内容の正当性を問わず。
あと、「どうしても行政の支援も受けずにこの世からいなくなりたいなら止めようがない」の一言。これがなければまだ言い訳が出来るのだが。


とはいえ、「自己完結」発言そのものに関しては「市井の人間」の感情としては必ずしもおかしなものとは思えない。


ましてや、
「自殺を容認するのか!」
という意見に至っては、的外れもいいところである。
そういう人間には
「じゃあ自殺を防ぐ代わりに犠牲者が出てもそれは正しいことなの?」
と反論してみよう。

おそらく、
「いや、そうではなく、こういう追い詰められた人間が出ないようにどうのこうの」
という話に切り替わると思うが、眼の前で既に起きてしまった事件に関しては無力である。
完了してしまった事件に関しては、
「勝手に死ね!」
と憤りをぶつけるしかないのである。



大体、こういう事件に関して「モラル」や「常識」の観点から話を切り出しても「仕方ない」のだ。
犯人は統合失調かなにか、とにかく精神を病んでいたのではないかと思われる。
仮に精神鑑定で「正常」と判断されたとして、「正常な精神」で見も知らぬ人間を刺し殺すという事が出来るならば、それは妄想に取り付かれたなんかよりはるかに「異常」である。
いずれにしても、「異常な人間が起こした異常な行為」なのである。



しかし、人は「理解できないもの」「説明できないもの」に関して激しく恐怖を覚えるものなのだ。
なぜクトゥルー神話が「死者の怨霊」などより怖いかと言うと、「うらみ」という日常の延長線上にある恐怖よりも、全く相容れないものの方が生理的に怖いのである。

だからなんとか説明付けしようとする。
なんとか「追い詰められた精神状態」とか「複雑な家庭環境」とかいう

「理解できる」

カテゴリに当てはめて納得しようとするのだ。

「大丈夫、理解できないものなんて世の中にはない」
と安心したいのである。



実際は違う。
世の中には「理解できないもの」が跋扈している。
われわれはそれから眼を背けているだけで。



もっとも、このカテゴリ分けがいい方向に出ることもある。
例えば、「性同一性障害」というキーワードなんかがそれにあたる。

ヘテロの人間からすればゲイなんていうのは所詮「理解できない」ものである。
これは仕方ない。本質的に相容れないものだからだ。
だから時代や場所によっては迫害されてきたりした。

しかし、「性同一性障害」というカテゴリが設けられたことにより、ゲイやビアンというものは
「理解しがたいもの」
から
「認識できるもの」
へと昇華したと思っている。
障害、という言葉に「治療できるもの」という誤ったイメージが付加されてしまうリスクはあるのだが、「ホモ」「オカマ」というキーワードで汚らわしいものというイメージが付きまとっていたゲイに関して、このキーワードで理解を(少なくとも理性的には)示せる層はなかり増えたと思うのである。




いささか話がそれたが、人はこうやって「理解しがたいもの」にレッテルを張り、理解できるものへと落ち着かせようとする。
しかし、どうしようもないものもこの世には存在するのだ。

だが人はそうはなかなか考えられない。恨みでも、金銭でも、権力でも、性欲でも、娯楽でもなく、ただ闇雲に他人を殺せるという人間がこの世に存在しては「いけない」のだ。
そして話は一般論へと流れていく。



では、こういう事件を防ぐにはどうしたらいいのか。
リスクをゼロにする事は出来ない。
だが、リスクを低減する事は出来るかもしれない。

例えば職務質問がその一環である。
挙動不審な人間を見つければ職質し、凶器などが出てきたらそのまま
「はい、ちょっとこっち来て」
これで水際で防げる可能性は出てくる。

しかし、全ての街角で警官が目を光らせているわけではない。
多少言動がおかしくても、家から刃物を持ち出してまっすぐ目的を遂げるような場合には職質の効果は薄いだろう。
とはいえ無意味ではない。そこまで追い詰められていて、でも
「誰かに止めてほしい」
と言う人ならば、職質を求めて「救われる」ケースもあると思う。

しかし、本当に「異常に」なった状況(繰り返すが統合失調などというケースばかりではない。「正常な異常」というものもまた存在するのである)にはそれも通用しない。

例えば忌まわしい記憶として残るあの秋葉原の殺傷事件。
あれを、・・・生活環境などの問題などを除いて純粋に発生事件だけに着目して・・・職質やその他の手法で止められた可能性があるかといえば、かなり難しいだろう。




では、こういう事件を減らすには他に手段があるのか。
多少有効かもしれない手段としては、「監視」がある。
児童に対する性犯罪の犯人に対して諸外国で行われているあの手法である。
精神科などで診察を受けた人間は、全て監視下に置かれ、行動なども全て制限される。
自覚がないケースに関しても、周辺住民の垂れ込みによって認定された場合も同じである。
こうすれば、ある程度発生件数を減らせるかも知れない。


人権擁護団体や人権派弁護士。何より一般市民が黙ってはいないだろうが。


第一そんなことになった日には、いい年こいて独身で「下は15から上は60までがストライクゾーン」を自称し、酔っ払って記憶をなくして「おっぱいおっぱい」と叫んでいる僕なんかはたちまち監視下に置かれてしまうだろう。




ぷはあ、堅苦しい文章を書いてると肩がこるなあ。
そんなわけで浮上浮上。

まー、そういう訳で、類似事例の再発を防ぐために分析は有効だったりするけど、決して今回の事件の「説明付け」にはならないという事は理解して欲しい。
特に今回は出所後、という事例でもあるから、なにかと物議をかもすだろうなあ。
出所者のメンタルケアや生活保護がどうのこうの、という話も出てくるはずで。
したり顔で「行政が悪い」なんていう人も出てくるんだろうなあ。


そこで俺たちのさっちゃん登場ですよ。





本当、片山さつき女史、なんとかしたほうがいいです。
自民党、爆弾かかえているようなもんですよ。

今回は、

『大阪 ミナミの繁華街での殺人事件、犠牲になられたお二人とご遺族に心からご冥福をお祈りするとともに、この許しがたい極悪犯罪の再発防止、最近の大阪の治安悪化を早急に改善することを知事、府警、市長に強く望みます。ジュリアーニニューヨーク前市長は連邦政府のせいにせず取組み成果を上げた!』

い、いや、だからね。。。。。。。。。。
暴力事件や窃盗、性犯罪などという「教育と環境で改善されうる犯罪」と「無差別通り魔殺人事件」をごっちゃにしている段階でもはやなんともかんとも。。。。


で、これに対して『外国人の犯罪が増えています。奴らの所在を常に把握出来るシステムが必要です』という、明らかに釣りIDのリプライに

『通り魔犯罪への対処は、一義的にその地域の防犯でしょう。新宿、池袋などの事件後、区長さん、警視庁とタイアップしてかなり努力されてますよ。他の背景が判明し、それが国の問題なら、動きます。』

と答えたりしています。「外国人」に直接触れていない点はまだ懸命ですが、なぜこれにわざわざ反応するか。。。


で、ある人が
『通り魔殺人はもう何十年も発生しているものでゼロにするのは無理でしょう』と理性的なコメントを返してきたのですが、これに対しては

『まだお分かりでない?凶器を振り回す鬼の前で助けて、と声を上げても1人目のみならず、2人目もあっけなく殺害されてしまうような繁華街一本裏の状況が問題なのですよ。狂気の人の率が減らせるかどうかは、怨恨、薬物、精神病、要因によります。』

・・・・・・ふう。

あなたこそまだお分かりではない?
暗い裏通りでの性犯罪などではなく、これは普通の繁華街での出来ごとなのだな。
これは大阪だけではなく、東京でも十分に再現しうる事件なのだが。

しかも、

『狂気の人の率が減らせるかどうかは、怨恨、薬物、精神病、要因によります。』

はい、アウトーーーーーー。

とにかく物事の本質をまるで理解せずに垂れ流している。
しかも、

「東京はがんばってるもん。大阪だから起きたんだもん」

といわんばかりのこの論旨。

橋下憎けりゃ袈裟まで憎い、か。

今回の一連の発言に関しては、大阪人は怒ってもいいと思うよ。

そのちょっと前には、2ちゃんねるのまとめサイト問題に関してまとめサイト擁護発言しているし。
まとめサイトの良し悪しの議論は別にしたいのだけど、ほぼこういう2ちゃんねるやまとめサイトの情報をソースにしているんだなあ、と思うと、そんなのに国政は任せたくは無いわなあ。



あ、それで、思い出した。

今回の片山さっちゃんの発言、このニュアンスなんかどこかで見た記憶があるなあ、と思ったら、あれだ。


  「ま  た  大  阪  か」


さっちゃん、ねらー確定きたー。