(2からのつづき)

薬剤性糖尿病

 その後、ジョバンニさんは突然体調を崩し、バイト先で倒れそうになった。これまでにない体の異変を感じて病院へ行くと、糖尿病との診断。このとき、34歳11カ月。

 別の大きな病院で精密検査をしたところ、肝臓がボロボロで、血糖値は500を超えていた。糖尿専門の教授から、「何があってもおかしくない。失明するかもしれない。死ぬかもしれない」と言われ、入院を勧められたが、ジョバンニさんは断った。入院をすればお金のことで姉から責められるのがわかっていたから。それに病院はもうこりごりだった。

 インシュリンの注射を自宅で行うことで何とか教授の合意を得た。

 自宅に戻り、糖尿病のこと、失明する可能性のあることなど説明したところ、姉は迷惑そうな顔をして、こう言ったという。

「早く死んで、早く死んで」

 何も言い返す気になれなかった。



 ▽▽病院ではまたしても医師が変わった。今度はかなり若い男の医師。

 前の女医はエビリファイに変薬することに同意してくれたが、移行する前に異動となってしまったので、この医師にそのことを告げるとあっさり実行してくれた。

 エビリファイ、寝る前30㎎(MAXの量)、デパス、寝る前1㎎。

 一方、精神科にかかっているのを知らない糖尿医は、血液検査のgtpの異常な数値に疑問を抱いていた。

 精神科医に肝臓のことをジョバンニさんは尋ねた。医師は、

「肝臓の悪化が薬剤性であったとしても、ガン患者は死ぬかもしれない可能性があっても、抗ガン剤を使うでしょう」と言ったという。

 デパスはやめてもいいが、抗精神病薬のエビリファイは減らせない。精神病患者は肝臓を引き換えにしても、薬を飲まなければいけないのか……。



 その後、1年ほど経った2009年1月下旬。ジョバンニさんは体調が悪化してアルバイトをやめた。バイト先ではいじめもあった。そして、アトピーも悪化した。



セカンドオピニオンを求めて

 2009年の7月、ネットで知った笠医師のセカンドオピニオンを求めて、ジョバンニさんは遠路はるばる深夜バスに乗って松山まで出かけていった。自分を救ってくれるのは、もうこの先生しかいないという必死の思いだった。

 結果は、統合失調症ではない。アスペルガーの生真面目な繊細青年、というのが笠医師の見解である。

しかも、エビリファイ30㎎。肝臓が悪いのに、しかも、そんな薬を必要とする症状などまったくないのに……。薬は断薬することになった。

 一昨年の血液検査では、血糖値は落ち着いていたが、昨年はまた数値があがった。

「薬のことはあまりきちんと覚えていないので、何をどれくらい飲んだのかはわからないけれど、30歳の入院のときはかなり大量の薬を飲まされていたと思う」



彼は病気ではないという証拠のためのこの文章

 喫茶店で訥々と語るジョバンニさん。自分のことをどう思うかと尋ねると、彼はすぐさま「ドラえもんののび太、そっくり」と答えた。

「いいこともできない、悪いこともできない、何をやってもダメ」と。

 小さいときから小柄で、勉強、運動ともに苦手、からかわれ、喧嘩を売られ、いじめの対象になりやすかった。自己表現が下手で、言葉の使い方が下手で、ボキャ貧(ボキャブラリーに乏しい)と。

「高校時代のいじめは、人数にしたら1000人くらいに膨れ上がっていたと思います。町のどこに行っても、誰かしらに出会う。町全体が怖くなって、逃げられない、終わらない、すごい恐怖だった。誰もその話を信じてくれないけど、本当なんです。母も姉も笑っていた。それが悔しくて、物にあたったら、精神病院に入れられた。姉の言うことだけを、みんな信じて、僕の言っていることは誰も聞いてくれなかった。一人だけ、親友がいて、彼に話したら信じてくれた、励ましてくれたけれど、僕がその人に頼り過ぎて、迷惑をかけてしまった」


 ここでひとつはっきりさせておきたいのだが、「人数にしたら1000人くらい」……ジョバンニさんのその言葉を「被害妄想」と受け取る人もいるかもしれない。

 おそらく母親も彼のそういう言葉を聞いて、医師に「妄想はあると思う」と答えてしまったのだろう。

 しかし、よく考えてほしい。実際、からかいやいじめがあり、徐々に人数が増えていくことで、生徒間に集団心理のようなものが働いて、本人はいじめている意識はなくとも、その他大勢と同様の行動をとるようになるのはあることだろう。

 ジョバンニさんにしてみれば、それが3年間続き、その間ずっと同様のからかいを受けていたとしたら、ざっと数えても1000人くらいにはなっている、そういううえでの数字であり、これは統合失調症の症状のひとつである「被害妄想」とはまったく別のものである。

 10人、20人に束になってからかわれ、いじめられただけで、もう私だったら、学校全体からいじめを受けていると感じてしまう、それくらい集団によるからかいは当人の心を弱らせるものだと思う。

 その学校の制服を見るだけで逃げ出したくなる、その制服がうろつく小さな町では、町全体まで怖い存在となってしまうというのは、私にはよく理解できるのだが……。


 ところで、ジョバンニさんだが、現在も母(認知症を発症)と姉の3人で暮らしている。したがって、いつまた同様のことが起こらないとも限らない生活なのだ。

 一度診断がついた統合失調症という病名が、そのときまたどう事態を悪くさせてしまうか……一度貼られたレッテル。入院歴が「前科」のように作用して、何かが起きたときに、結局、「冤罪」のような形で行われるかもしれない強制入院。しかし、冤罪とは誰も信じてくれやしない……。それを考えると、大きな恐怖を覚えるという。

 

 その後、数人の医師に出会い、皆、姉のほうに問題があり、できれば離れて暮らした方がいいというアドバイスをもらっている。しかし――。

「発達障害があり、持病のアトピーがあり、何度かアルバイトをしたけれど、長続きしないんです。物覚えが悪く、人間関係が築けず、ひどいいじめに、必ずといっていいほど合います。どんなに頑張ってもダメでした。だから、経済的な理由で家を出るのは難しい」

 精神障害3級の手帳は持っているが、いかなるサービスも受けていないという。というのも、手帳によって精神障害者であると知れると、何かあった場合(姉がまた何かを企んだ場合)すぐにも入院をさせられる恐怖がジョバンニさんにはあるからだ。突然、誰かがやってきて、やってもいない暴力をやったと言われ、拉致されて、統合失調症として強制入院させられる、この恐怖を消し去ることができないのだ。

 話を聞いた後、彼から届いたメールには、こんなことが書かれていた。



「今思えば、退院後は、解離性障害かPTSDか何かにかかっていますが、何年も一人で苦しみぬきました。努力で解決できないことを、その後もずっと、今もまだ背負わされています。いい年をしてゲームをしたり、DVDを観たりして浪費しているように言われたけれど、そうすることで誰にも言えない苦しみを耐えてきました。いつか誰かがわかってくれるのを信じて。

 21歳のときから、自分の人生を本当に「生きた」と思ったことは1日とてありません。」


 自分の人生を本当に「生きた」と思えた日は1日とてありません……。

 こんな重い言葉があるだろうか。

 姉による異常とも思えるやり方で、精神科病院に2度も入院させられて、非人道的な扱いを受けたジョバンニさん。さらにその後の病院の対応、かかる医師かかる医師の人間性や患者の人権に配慮を欠いたやり方で、痛めつけられていた彼をさらに追い詰めていったのだ。

 そのうえ、薬によって、肝臓を壊され、糖尿病を発症し、自分の悲しみや辛さや苦悩が、誰にも理解されないまま、青春の貴重な時間を奪われ、自己実現のチャンスを奪われてしまった。

 ジョバンニさんが体験したいじめの事実、その恐怖、家族に当たり散らさざるを得なかったその気持ち――それがなぜ精神医療と結びついてしまったのか。

 彼はただ不器用なだけ。読書が好きで、相当数の本を読んでいるジョバンニさん。法律用語にも詳しくて、会ったときには、趣味のトイカメラを見せながら、いろいろ説明をしてくれた。今では糖尿病再発予防のため、何キロでも歩いて移動をしているという。

「今住んでいるところは、隣の声とかよく聞こえてくる。姉は声が大きくて、何かの拍子に大声で騒いだりしたら、近所の人に通報されかねません。そうなったら、また姉の虚言癖で、僕のことをどう警官に言ってしまうか。それを考えると……」

 そうなったら――

彼を救いだしてくれる味方は、きっといる。私もその一人として。そして、これを読んでくれた人たちも、ジョバンニさんが「病気」ではないことを知っている。ささやかながら、この文章はその証拠のためのようなものでもあるのだ。