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本日は第3回目、北別府氏が一番印象に残る試合はどんな試合だったのでしょうか。

それではごゆっくりご覧ください。(^^)

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運営)改めて、北別府さんの記録を振り返ってみると、思うことがあります。当時、プロ野球のペナントレースは、一年間130試合(2012年は144試合)。その内、北別府さんは、入団二年目の1977年から、1988年頃まで、ほぼ毎年のように30数試合投げています。北別府さんが「ベストな状態だった」とおっしゃった、1986年の成績を振り返ってみると、18勝の内、完投勝利が17勝もある。投球回数も230イニング。
今の時代と比べるといけないのですが、ある意味凄い記録だと思いますが…。


北別府)僕らが投げていた時代は、先発投手は、必ず完投する。5回、6回で、7点も8点差で勝っている時に交代すると、山本浩二さんや衣笠さんから、
「野手は、毎日フルイニング出場しているのに、何で、投手は3日も4日も休んで…」と怒られていたんです。
また、古葉監督も、野球に対して、完璧さと、厳しさを求めていましたから、僕も、先発したら、最後まで投げる事が当たり前のように、投げていました。だから、投球回数も、1年200イニングを越えていたんでしょうね。


運営)また、北別府さんは、それだけ投げていても、四死球が少ないですよね?それが、後に“精密機器”と呼ばれるようになった、由来ですか?


北別府)僕も若い頃は、かなり四球を出していましたよ。でもむやみやたらと四球を与えていた訳ではなく、計算していた部分もあります。「このバッターには投げにくいな。次のバッターで、ゲッツーを取ろうか…」と考えて、四球を与えていた場面もあります。
特に、沢村賞を獲った1986年は、その意識が強い年でもありました。
バッテリーを組んだ、達川さんがミットを構えた所に投げれたし、少しでも外れると「1センチ外れとるで」と良く言ってくれたんです。


運営)そんな1980年代常勝カープの中で、北別府さんは、「3代目のエース」(初代・長谷川良平さん。二代目・外木場義郎さん)とも呼ばれていました。その時の、ご自身の心境はいかがでしたか?


北別府)入団直後、カープの三文字名字の選手は、「大成する」と関係者の人に言われたんです。僕は言われた時、少し責任、プレッシャーを感じました。もう、誰が言ったか覚えていませんが、その言葉を実行できて良かったと思いましたね。
入団直後は、3年間野球で飯が食えるのか、自分で確信が持てなかった訳ですから。実際にセ・リーグ、カープで一番勝っている訳ですが、入団当時は、諸先輩方を自分が追い越していくとは思っていなかったし。そう言った意味では、入団三年目、四年目以降、チームが強かった事が、僕の勝ち星にも重なってきたと思っています。


運営)では、北別府さんがプロ19年間515試合に登板した中で、印象に残っている試合を、3試合選ぶとすれば、どの試合を選ばれますか?


北別府)そうですね…まずは、プロ初登板。1976年(昭和51年)9月16日、神宮球場でのプロ初登板ですね。チームメイトからも、「お前、絶対緊張するで~」と言われながらマウンドに上がった時ですね。今でも、はっきりと覚えています。
そして二つ目は、やはり1986年(昭和61年)10月12日、神宮球場で優勝を決めた試合。僕が先発し、津田が最後に投げた試合ですね。今回、僕が津田と一緒に殿堂入りを果たした意味でも、この試合の持つ印象は、高いですね。
最後は、入団3年目1978年(昭和53年)6月8日、後楽園球場(現在の東京ドーム)で巨人を相手に、プロ入り初完封で勝った試合です。カープに入団してからは、憧れではなくなっていたけど、やっぱり小さい頃から、野球と言えば巨人だった僕にとって、あの巨人を相手に完封できたのは、大きい。しかもプロ入り初完封、カープの本拠地・市民球場ではなく、アウェイの後楽園球場だった。
長嶋さんは引退されていましたが、王さん、張本さん、柴田さん、高田さん、末次さん、淡口さんが打線に並んでいましたし…。嬉しかったし、その後の自分にとって大きな自信に繋がっていきました。


運営)なるほど…実は、現役時代の北別府さんを観ていた我々の中では、今、北別府さんに選んでいただいた3試合以外、別の2試合が記憶に残っています。ひとつ目が、1992年(平成4年)9月13日、東京ドームでの巨人戦です。この年の7月、北別府さんは史上22人目の200勝を達成されていますが、この試合では、北別府さんが先発し、五回表を終わって、カープが1点リード。その裏、入団三年目で、この試合センターを守っていた前田智徳選手が、巨人・川相選手が打った打球を後逸、打った川相選手はそのまま一気にホームインして、同点になりました。北別府さんは、次の六回で降板し、この試合、勝ち投手の権利を失われた訳ですが、この時の心境は、いかがでしたか?


北別府)この試合は、僕の心境よりも、前田智徳の凄さを感じた試合です。
あの時、前田は、エラーをしようと思って前へ突っ込んだわけじゃなく、自分が捕りにいけると判断して、結果的に後に逸らしてしまい、同点になっただけ。それまで散々、前田をはじめ野手には助けてもらっていたから、僕は前田を責めるつもりは無かったんです。
その前田は、エラー直後の打席で、三振して、その後から、前田の表情からは殺気のようなオーラが漂っていた。僕は、降板後、ベンチ裏のモニターで他の選手と観ていたんですが、画面を通して前田の気迫が伝わってきたんです。
試合が同点のまま迎えた八回表、打席に入った前田は、変化球には一切手を出さず、ストレート一本に絞っている感じ。ベンチ裏で、「真ん中に投げたら、コイツは打つぞ」と他の選手と話をしていたら、その通り、前田はその待っていた真ん中高めのストレートを、完璧に捉えて、スタンドに運び、ホームランにした。
このバッターは、凄い選手になる、と改めて感じました。
ホームランは、狙ってなかなか打てるもんではない。あの場面、前田は完璧にストレート待ちで、それをちゃんとホームランにするのは、山本浩二さんや、衣笠さんじゃないと、僕はできないと思っていました。だから、コイツは凄いバッターになる、と思いました。山本浩二さんや衣笠さんが打ったなら、僕はそうは思わなかったでしょうね。