飯館村の仮設小学校に飯館の教育長さんが私たちの視察団の到着を待っておられるとのことで、1時間以上続いていた南相馬市立病院の金澤幸夫院長、及川友好副院長、原澤慶太郎医師等との懇談を切り上げて飯館村に急ごうとした私たちに向かって一人の若者が声を上げた。
私たちの声に耳を傾けて欲しい。
私たちが何をしてきているのか、これから何をしようとしているのか知って欲しい。
みんな、自分の問題だという意識がない。
私たちは、南相馬で生きることにした。
ここでどうやって生き抜くかということを懸命に考えている。
他所から来た人は、話を聞いただけで帰ってしまう。
その時は話を聞いてくれるのだが、それだけで終わりになってしまう。
原発の問題は自分達の問題だと思っていない。
放射能の問題は自分たちの問題だということが分かっていない。
私たちの話を聞く時間がないのか。
大変な怒りようだった。
余程、感情が激していたのだろう。
ああ、怒られてしまった。
ちょっとした行き違いでこんな展開になってしまったのだが、実はほんの一瞬の些細なやり取りの中に本当のことが顕われることがある。
この人は、南相馬で生きることを選んだ人である。
単なる視察で被災地を訪問している私たちのような存在が時には疎ましく思えるのだと思う。
ここに住めよ。
私たちと一緒にここで暮らせよ。
逃げるなよ。
別に私たちだけに向けられた怒りではないと思う。
これが、根っこのところにある本当の被災地の方々の声かも知れない。
現実には、被災地の住民の方々はここまでの声を上げることはない。
埼玉の春日部から南相馬にやってきて、南相馬の人たちと一緒にみんな未来センターを立ち上げている人だからこその怒りの声だったのだろう。
私たちは、ここで生きることにした、という思いの裏には随分重いものがある。
そのことを、是非皆さん分かって欲しい。