ジョー・オダネル氏の使命 3 | misaのブログ

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その後、日本で写真展を開く事になったオダネルは、「あの少年」の行方をどうしても知りたかった様です。

『私は少年を必死に捜した。日本の新聞にも載せてもらった。

少年はあの後ひとりで生きていったのだろうか。

ついに彼に会うことは出来なかった。』

日本とアメリカを行き来する生活の中で、オダネルの病状は悪化していました。

背骨の痛みは深刻となり、皮膚ガンは全身に転移していたのです。

そして、とうとうオダネルは2007年の夏、85歳で帰らぬ人となりました。

その日は奇しくも、長崎に原爆が投下された日と同じ8月9日だったのです。

こんな偶然は普通起こり得ません。オダネルが長崎の為に選ばれた人だというのが分かります。


そして、遺されたテープを聞いて、息子タイグさんは父親の思いを知る事になります。

『アメリカ人が好むと好まざるとに関わらず、8月6日と9日は毎年やって来る。

嫌がらせの手紙や投稿がどんどん集まって来る。

「お前は裏切り者だ、アメリカが嫌なら日本へ行け」と。

ある時、娘が教えてくれた。

「お父さんの活動に味方する投稿がひとつだけあるよ」と。

その投稿は、私への批判の声に反論してくれていたのだ。

”オダネルを批判する人たちに言いたい。

原爆とは何だったのか。

図書館に行って、歴史を勉強してから批判しろ!”

名前を見ると、それは私の息子だった。

息子が私が日本にいた時と同じ23歳のころだった。

その後、息子はこう言ってくれた。

50年経って僕がお父さんくらいになったら、僕が日本に行ってお父さんのやろうとした事を引き継ぐよ。

平和の為に命をかけて写真を伝えていくよ。』

タイグさんは、テープを神妙な顔で聞き入っていました。

それでも彼は思うのでした。

『僕は父の苦しみを理解しきれていなかった。

父の写真はアメリカに複雑な感情を抱かせる。

けれど父は目撃してしまったその記憶に突き動かされたのだ。

もしあの頃に戻れるなら、父の支えになってあげたかった。』

タイグさんは、その後悔の思いを行動に変えました。

母国アメリカに原爆投下の意味を問い続けた父の、その遺志を汲み、タイグさんは、全米に向けて父親の写真をネットで公開する事にしたのです。

やはり、写真には批判の声が集まり出します。

正当性を訴えるものが多い中、父の頃には見られなかった声が混じる様になっていました。

「焼き場に立つ少年」の写真を見て、心を動かされたという人々が現れ出したのです。

そして写真を公開して八ヶ月経った頃、思いがけない事に母親からメッセージが届きました。

そこには離婚して13年、父親との連絡を絶っていた母親が胸の内を語っていました。

『忙しくしている事を聞きました。

私はジョーが亡くなってから彼の行動の意味を考えています。

しかし私にはまだ彼が何故母国を告発したのか分からないままです。

ただ、彼の写真が多くの人々に影響を与えていると言う事だけは確かだと思います。

そして、その写真を引き継いたあなたを、ジョーが誇りに思っていると言う事も。』

オダネルの一番近くにいた妻エレンさんでさえ、まだ戦争の呪縛から解かれていないのです。

10年前とは確実に時代は変化し、少しずつオダネルのしてきた事に理解を示す人も出て来ました。

エレンさんがオダネルの事を完全に理解し、離婚した事を後悔する日が来た時、更にアメリカは変わっている事でしょう。

そんな日が早く来る事を願います。

オダネルが亡くなってから1年後に、始めての写真展が長崎で開かれました。

あの『背中の少年』の谷口さんとタイグさんも再会しました。

misaのブログ-背中が焼けただれた子供



そして、タイグさんは生前の父親の願いを長崎で叶えようとしていました。

『父は、死ぬ前に言っていた。あの日の長崎には笑顔がなかった、と。

いつか長崎で笑顔の子供たちを撮りたい、と。』

写真を撮られている子供たちには、タイグさんの胸に秘めた熱い想いには気づかなかったでしょう。

けれど、父親の最後の夢を叶えたタイグさんに、私は涙が出ました。

本当の平和、それは屈託のない子供たちの笑顔がそれを表しているのです。

さださんも同じ事を言っていました。

愛する人の笑顔を守る為に、自分たちは何が出来るかと。

大事なものを伝え続けてくれたオダネルの思いを、私たちは一人ひとり引き継いでいかなければならないと感じました。

『たとえ小さな石でも、波紋は広がっていく。

それは少しづつ広がり、いつかは陸に届くはずだ。

アメリカという陸にも届く日が来る。

誰かが続いてくれれば、波紋はさらに広がっていく。

そして、誰もが平和を実感出来る日がくると信じる。』


オダネルは、戦争の愚かしさに大きな一石を投じてくれました。


自分の命をかけた使命を持って、この世に現れてくれたのでしょう。


オダネルさん、私たちはあなたの事を決して忘れません。

あなたが日本に来て下さった事に感謝を捧げます。



平和への祈りを是非聴いてください。


さだまさし 祈り



クミコ  INORI