●床几(しょうぎ)●床机(しょうぎ)●うだつ
 
★床几(しょうぎ)とは移動用の簡易腰掛け。http://bit.ly/AqdkG5
脚2本をX状に組み合わせ、上端に革や布を張って座席とする。移動時は折りたたんで携帯する。
日本では古くから用いられ、古墳時代の埴輪にも見られる他、記紀や延喜式にも「胡床(こしょう、あぐら)」の呼称で散見される。
腰掛け用として、朝儀の際に武官が用いたと記録にあり、後世には武家が野戦時に帷幕内で用いるほか、鷹狩りでも利用された。
日本では椅子の普及が明治に入ってからであるため、近世に至るまで広く使われ、現代でもその姿を見ることが出来る。また「縁台」のことを指して床几ということもある。
・世界大百科事典 第2版の解説
折りたたみ式の腰掛け。座にひもや皮,布などを張り,脚はX形に組み,持ち運ぶのに便利に作られている。古代から中世にかけては胡床(牀)(こしよう)と呼ばれていた。
胡床はすでに古墳時代後期の埴輪にみられ,戦陣や狩場,また宮廷の儀式や貴族の外出用に用いられた。室町時代ころに床几と呼名が変わり,戦陣で将つまり指揮官が掛けるので将几とも書いた。
近世の床几は蒔絵(まきえ)や螺鈿(らでん)で飾られたものが多い。
★しょうぎ〔シヤウ‐〕【床几/牀几/将几】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
1.脚を打ち違いに組み、尻の当たる部分に革や布を張った折り畳み式の腰掛け。陣中・狩り場・儀式などで用いられた。
2.数人掛けられる程度の横長に作った簡単な腰掛け台。
[補説]「几」は「机」と書くこともある。
★椅子(いす)http://bit.ly/JYaPZy
人が座る際に使う道具あるいは家具の一種である。腰掛けとも言う。
★縁台(えんだい)http://bit.ly/vBTr2l
個人の家の庭や近所の露地において、休息や夏場の夕涼みなどに用いられる主に木製の腰掛。
大人が1人か2人くらいが腰かけてちょうどよいくらいのサイズが一般的。
家に縁側のない家では、これが縁側代わりになることもあった。
俳句の夏の季語で、縁台を詠んだ句は多数ある。作家の井伏鱒二も、東京日日新聞に文壇縁台俳句と題して、白井喬二、今井邦子とともに自分の句を出したことがある。
ただし、この句には縁台は出てこない。
「もそっと、自棄になれ稲妻こぼす雲の足」。(東京日日新聞朝刊、21522号、昭和11年7月29日)
縁台は日本では江戸時代には一般化しており、浮世絵でも縁台に腰掛ける美人画(山崎龍女「縁台美人喫煙図」、懐月堂(長陽堂)安知「縁台美人図 」、宮川長春「縁台美人図」など)などが描かれている。
また縁台将棋は庶民の気軽な楽しみとして、昭和40年頃まで都市の住宅街で見かけられた。
中国やインドでは現在でも住居や店舗前に設置した縁台に腰掛けて休憩する光景が見受けられる。
・世界大百科事典 第2版の解説
庭や露地に置き,納涼や月見のときなどに腰掛ける細長い台。木製と竹製があり,上面はすのこ状に作られるものが多い。関東地方では縁台とよぶが,関西では床几(しようぎ)という。
室町時代に出現したようで,当時は置縁(おきえん)とよんでいる。
江戸時代初めには京都などで早くも竹床几の既製品が売られている。
涼みがてら,この上で将棋に興じることを縁台将棋というが,夏の庶民の家具として,昭和初期ごろまでさかんに使われた。
★縁台将棋(えんだいしょうぎ)http://bit.ly/szTG8R
縁台に将棋盤を出して将棋を指すこと。将棋大会や将棋クラブと異なり、気軽に指すことができることから庶民に人気があった。
おもに夏の夕方に縁台と将棋盤を庭先や路地に出して将棋を指す。
ビールを飲みながら指すことも一般的であり、ほとんどの場合は夕涼みを兼ねている。
路地で指す場合には通行人が観戦し、通行人をも巻き込んで熱中する姿も見られた。
また銭湯で湯涼みを兼ねて指されることも多かった。
北京の街角でシャンチーの盤を囲む人たちこのような光景は昭和時代の映画や漫画でも描かれた(たとえば昭和30年代・40年代を扱った北見けんいちの「焼けあとの元気くん」など)が、縁台が使用されなくなるとともに徐々に姿を消した。
平成時代における今日では、都市部でこのような光景を見ることは稀である。一方で中国では今も中年男性が街角でシャンチー(中国象棋)を指す姿が見られる。
指し手の棋力は低いことが多く、アヒル囲いなど特定の戦法・囲いが多用されるなどの特徴もあった。今日では縁台将棋という語はへぼ将棋(下手な将棋)の代名詞ともなっている。
★将棋(しょうぎ)http://bit.ly/rLOuAk
日本将棋(にほんしょうぎ)、本将棋(ほんしょうぎ)ともいい、2人で行うボードゲーム(盤上遊戯)の一種である。
チェスなどと同じく、インド古代のチャトランガが起源と考えられている。
『レジャー白書』によると将棋人口は推定600万人である。
★アシャンティ王国(アシャンティおうこく、英語: Ashanti Empire, Asante Empire)
1670年から1902年まで、現在のガーナ内陸部にあった王国。http://bit.ly/IVedWD
アシャンティ連合、アシャンティ帝国とも。首都はクマシ。
奴隷貿易により繁栄するが、イギリスとの四次に渡るアングロ=アシャンティ戦争の結果、イギリスに併合された。
アシャンティ連合は元々軍事的な連合であったが、結合が深くなるに従い、王権の象徴「黄金の床几」(黄金の玉座)の元に団結する宗教的な連合の色彩も帯びてくるようになった。
この床几はオセイ・トゥトゥがアクワムから招いた祭祀長、アコムフォ・アノキーが天から呼び下ろし、アシャンティの民に授けたとされ、アシャンティ人の祖霊が宿るとされた。

★町家豆知識-ばったり床几(ばったりしょうぎ)-はんなり京町家 http://bit.ly/JagKM5
★床几|インテリア用語辞典| http://bit.ly/KIGWf7
床几とは、日本の古典調度品の一つで、X形に交差した脚に、革や布を張った簡便な折り畳み可能な腰掛のことを言います。
床几は、野外用のもので、戦場などで用いられ、持ち運べる便利なものとして重宝されました。
床几には、脚がX形のもの以外に、2枚の板を下駄(げた)のように、甲板(こういた)につけて脚にしたものなどもあります。
床几は、「胡床(こしょう)」、「あぐら」とも呼ばれています。床几は、中国から伝わったものと言われています。
★甲板|インテリア用語辞典| http://bit.ly/IVgZvg
甲板とは、テーブル、机、カウンターなどの上部の天板のことを言います。
甲板には、框組の内側に鏡板を組み込んだ「框組甲板」、合板からなる「合板甲板」、一枚板のむく材、はぎ合わせたむく材、パーティクルボードを心材に使用し隙間のない板にしたものなどからなる「ソリッド甲板」などの種類があります。
甲板は、「天板(てんいた)」、「トップボード」、「テーブルトップ」とも呼ばれています。
★鏡板|インテリア用語辞典| http://bit.ly/JNlggq
鏡板とは、腰壁(こしかべ)、天井、扉、板戸などの枠、額縁(がくぶち)、框組(かまちぐみ)など特定の区画内に張った一枚板の総称のことを言います。
欅(けやき)の杢目(もくめ)などの、鏡板をはめ込んだ板戸のことを、「鏡戸(かがみど)」と言います。
鏡板を継ぎ目が目立たないように平滑に、張り上げた天井を、「鏡板天井」、「鏡天井」と言います。
框内にはめ込んだ一枚板のことを、「鏡板羽目」と言います。
★額縁|インテリア用語辞典| http://bit.ly/K7AsuO
1.額縁[casing]とは、出入り口や窓のまわりの枠と壁面を、見切るために取り付けられる化粧角材のことを言います。額縁の材質や形状により、インテリアの雰囲気が大きく変わって見えます。額縁の材質には、様々なものが用いられています。
2.額縁[mording]とは、絵画などを入れる枠組のことを言います。額縁は、絵画の枠組みを装飾する目的と、保存、保護などの目的があります。額縁は、製法により「本縁」、「組縁」、「モールディング」などの種類があります。

★床几山&島根半島端っこ巡り100404 http://bit.ly/KBrBCC
松江騒擾事件(まつえそうじょうじけん)http://bit.ly/JRzm52
1945年(昭和20年)8月24日未明、島根県松江市で青年グループ「皇国義勇軍」数十人が武装蜂起し、県内主要施設を襲撃した事件である。死者1名。
松江騒擾事件という名称は取締当局によるものであり、皇国義勇軍事件、島根県庁焼き打ち事件とも呼ばれる。
前田治美『昭和叛乱史』では、そのまま放送局のある床几山に集ったとしている。
★もののふ紀行 松江城選定の地 床几山 http://bit.ly/KIIztf

★しょうぎ 将棋 象棋 床几 床机 娼妓 小儀 - 志葉楽のブログ http://bit.ly/Ig9NpA

★床几 (しょうぎ)とは:the能ドットコム:能楽用語事典 http://bit.ly/JaY52v
シテ方、ワキ方、狂言方が舞台で腰を掛けるとき等に用いる「鬘桶/葛桶(かずらおけ)」のこと。
高さは約50センチメートル、直径は約30センチメートルの円筒形で、底には小さい足がつけられ、黒漆が塗られている。蒔絵(まきえ)が施されていることもある。
また、大鼓方、小鼓方にとっての床几とは、演能の時に用いる折りたたみ式の腰掛けのことをいう。

★床机とは - 歴史民俗用語 Weblio辞書 http://bit.ly/JNpiWn
読み方:ショウギ(shougi)
腰掛の一種。折りたたんで持ち運べる。
 
別名 床几、将机、牀机   縁台
★大阪 河内長野 日野獅子舞 床机の舞 - YouTube http://bit.ly/JYfyuj 少し説明が長い

★バッタリ床机(開)http://bit.ly/IVpy9m
★バッタリ床机(閉)http://bit.ly/IzrlPr
★四居家 http://bit.ly/ITd30V 卯建(うだつ)も有る

★うだつ - Wikipedia http://bit.ly/K7GJGP
日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾。本来は梲と書き、室町以降は卯建・宇立などの字が当てられた。
平安時代は「うだち」といったが、室町時代以降「うだつ」と訛った。本来は梁(うつばり)の上に立てる小さい柱のことをいった。
そののち、切妻屋根の隣家との間についた小さい防火壁で1階屋根と2階屋根の間に張り出すように設けられているものも「うだつ」と呼ぶようになる。
本来、町屋が隣り合い連続して建てられている場合に隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁として造られたものだが、江戸時代中期頃になると装飾的な意味に重きが置かれるようになる。
自己の財力を誇示するための手段として、上方を中心に商家の屋根上には競って立派なうだつが上げられた。
うだつを上げるためにはそれなりの出費が必要だったことから、これが上がっている家は比較的裕福な家に限られていた。
これが「生活や地位が向上しない」「状態が今ひとつ良くない」「見栄えがしない」という意味の慣用句「うだつが上がらない」の語源のひとつと考えられている。