1000件目記念 第二弾 コレも自慢
越前大野市にカンと同じの昭和22年の生まれ。
今年で65に成る。
団塊の世代と言われている。
日本で一番子供が多い年に成る。
大野市は全国に7つ有るのかな。
越前大野市と言うとここだけに成る。
上庄地域で取れる田芋は「ていも」と言っても身が締まり煮崩れしなくてモチモチして歯ごたえがあり人気の食材である。
●雪景色 冬 福井 越前 大野市 | ハイビジョン HD動画 ビデオ映像 写真 ...冬
http://p.tl/Gnyw
越前大野市総合案内インデックス http://p.tl/6nrP
●大野市 - Wikipedia
http://p.tl/Z0yu
大野城下町地区は都市景観100選、寺町地区は都市景観大賞「美しいまちなみ優秀賞」に選ばれている。
春分の日から積雪までの間に七間通で開かれ400年の歴史を持つ七間朝市は、大野の観光名物である。
●名水のまち 越前おおの観光ガイド - 社団法人大野市観光協会
http://www.ono-kankou.jp/
北陸の小京都「越前おおの」は、400年を超える歴史と文化を今に受け継ぐ城下町。
●大野藩 - Wikipedia http://p.tl/RSWx
大野城は天正3年(1575年)、織田信長の家臣・金森長近によって築城された。
●金森長近 - Wikipedia http://p.tl/mCih
信長の四天王の一人と言われている。
寛永元年(1624年)、秀康の子・松平直政が大野に5万石で入ることで、大野藩が立藩した。
岐阜と福井を繋ぐ要所であった。
松平直明が家督を継いだが、直明は天和2年(1682年)に播磨国明石藩へ移封された。
代わって大野には、幕府初期の大老で有名な土井利勝の四男・土井利房が下野国内から入ってくる。
その後 三国に飛び地を持ち大野丸を建造して貿易を行い大いに栄えた。
大野県(おおのけん)は廃藩置県により、大野藩を廃止して1871年8月29日(明治4年7月14日)に設置された県。
こんな小さな町でで県になったのは珍しい。
山城が有ったりで結構古い町のようだ。
大野の話はコレくらいで福井の話に移る。
●福井藩 - Wikipedia http://p.tl/umDg
●越前国(えちぜんのくに)
http://p.tl/4EEE
●越国(こしのくに) http://p.tl/D7IT
コレを見てもらうと判るけれども結構古い土地柄である。
越国(こしのくに)とは、現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域を領した、上古の勢力圏である。
律令時代~現在の地域名としては、越州(えっしゅう)・三越(さんえつ)と同じ、越後・越中・能登・加賀・越前の5国を意味する(「越○」以外の能登・加賀も含めるのが普通である)。
越前国(えちぜんのくに)は、かつての日本の地方行政区分だった国の一つで、北陸道に位置する。
現在の福井県の嶺北地方(岐阜県郡上市白鳥町石徹白地区を含む)及び敦賀市に相当するが、創設時には石川県全域をも含んだ。
越国(こしのくに)の中心地であったようだ。
●戦国時代には朝倉氏(あさくらし)は、越前国を拠点とした豪族で、後に発展して戦国大名となる。
越前国守護である斯波氏の守護代を務めたが、のちに朝倉氏自体が守護に任命されるようになった。
通し字は「景」。
http://p.tl/LTiI
●朝倉 義景(あさくら よしかげ) は、戦国時代の武将。越前国の戦国大名。越前朝倉氏第11代(最後)の当主。
http://p.tl/QbSz
義景と信長の戦いは有名である。
一乗谷といって福井市の西に史跡を残し大野市には義景さんといって死んだ跡地として墓所がある。
一乗谷には中世の戦国時代として日本でも貴重な城下町の史跡が残っている。
駅前にはもう一つ中世の戦国時代として日本でも貴重な城下町の史跡●北ノ庄城が有った。
http://p.tl/X5gl
福井城の中に掲載されている。
織田信長配下の軍勢によって朝倉氏が滅亡した後、明智光秀が北ノ庄城に入城し戦後処理にあたったと記録されるが、当時この地に城が存在したかは判然としない。
存在したとしても、簡易な前線基地か砦程度の物であったと推定されている。
後、柴田氏が天正3年(1575年)に築城した「柴田氏北ノ庄城」と、後、その跡地に結城氏によって慶長6年(1601年)に築城または改築を受けた「結城氏北ノ庄城(後に福井城に改名)」とがあるため、北ノ庄城は大きく2期に分けられている。
現在見られる福井城の遺構は第2期のものである。
今まで余り考えていなかったけれども改めて調べてみてこんな町の歴史が続いていたのに驚かされた。
ヤハリ知ることは大切な事である。
時代を遡ると継体天皇を輩出しているのも福井である。
●継体天皇(けいたいてんのう、允恭天皇39年(450年)? - 継体天皇25年2月7日(531年3月10日))は日本の第26代天皇。
在位は継体天皇元年2月4日(507年3月3日) - 同25年2月7日(531年3月10日)。
http://p.tl/SD-B
生まれは滋賀県になり当時の世相に翻弄された人物である。
跡継ぎで指名されて福井から挙兵して奈良へ登っていったらしい。
全体的にわからない部分も多い人のようだ。
戦後、現皇室は継体天皇を初代として樹立されたとする新王朝論が盛んになった。
それ以前のヤマト王権との血縁関係については現在も議論が続いている。
このあたりも少し勉強したけれども頭にいれるのは時間が掛かりそうで詳しく解説できない。
面白い人物と時代背景があるのにこの件の人は知ろうとしない人が余りにも多すぎる。
共有する話題は一つでもあると楽しいと思うけど。
みなさんも歴史紐解いて話題を一つでも多く持ち一人でいる時間も大きな妄想で自分を楽しませるのも良いかな。
楽しんで下さい。
ありがとう ( U^ェ^U )