こんにちは、備え・防災アドバイザーの高荷です。

先日、耐震補強をするよりも、規則正しい生活と健やかな環境を作る方が、ずっといい。という記事を投稿したのですが、どうも違和感がぬぐい去れなかったのでもう少し考えてみることにしました。

記事では下記のように結びました。
> 防災=「地震対策」、防災=「自然災害に備えること」と決めつけず、防災=「不合理な死を避け、理不尽に失われる財産を守ること」と考えて、身近な災厄からの備えを行うべきではないか。

これ自体は正しいと思っていますし、私自身の活動のコンセプトにもなっていることですので、まぁいいかなと思うのです。一方、

> 小さな子供から目を離さないようにして、赤信号を守らせ、精神安定に努めながら、規則正しい生活を送ること。「不合理な死、理不尽に失われる財産」をさけるのであれば 、耐震補強や食料備蓄を行うよりも、こうした生活が最大の「防災」であるのです。

違和感が消えなかったのはこのくだりなのかと思いました。この文章を「死ぬ確率」という点に注目して考えればその通りではあるのですが、しかし…

「小さな子供から目を離さないように」するのは当たり前、「赤信号を守る」のも常識、「精神安定に努めながら規則正しい生活を送ること」も目新しいことではない。

地震よりも交通事故で死ぬ人の方が多いですよ、というのは理論のすり替えであって、交通事故に遭わないように生活することを大前提として、その上でどんな「防災」ができるのかを考えるべき。

というのが正しそうです。「平均寿命を超えたらもう地震対策なんてしないで、健康に気をつけましょうよ。」というのも、当事者からすれば暴論であり、余計なお世話もいいところです。とんでもない結論をそのまま放置するところでした。


「防災」には様々な形があり、「これが正解」というものはありません。人によっては地震対策よりも生活習慣の見直しをすることが、「備え」という意味では優先度が高いかもしれませんが、万人に当てはまるわけではありません。

地域によっては地震よりも台風や豪雪に備えることの方が優先度が高いでしょうし、自宅にいることが多いのか外にいるのかが多いのかで、地震対策の優先順位も変わってきます。

耐震補強や家具の固定は誰でも行うべきですが、目が悪い人はメガネの準備が、アレルギーを持つ方は対応食品の用意が、持病を持つ方は予備の薬のストックが、それぞれ最優先の準備事項になります。

海沿いにすむ方であれば大量の備蓄品よりも非常持ち出し袋が必要ですし、居住地によっても行うべき準備は様々に異なります。

自宅の環境、学校や職場の立地、家族構成、ライフスタイル、心身の状態…。自身を取り巻く環境から想定できるリスクをすべて洗い出し、書くリスクに対する備え・防災の方法を事前に考えておく。

これこそが備え・防災であり、たとえば私のような活動を行っている者がお手伝いをすべきことがらなのでしょう。自らの想像を超えた災害・リスクを提示し、優先順位に沿った対策を行う。このような活動へシフトしていきたいと考えています。


先日、お年寄り向けの防災講座の講師依頼を頂戴致しまして、7月に実施の予定です。この考え方にそって、高齢者が、どんな危険に対して、どんな準備を行えば良いのか、レクチャーできればと思います。

以上