『三行半(みくだりはん)』の意味 離縁状(りえんじょう)
●日本語俗語辞書
『三行半(みくだりはん)』の意味
http://p.tl/YfnB
三行半とは、夫婦や恋人の関係を絶つこと。
【年代】 江戸時代~
『三行半』の解説
三行半とは夫婦の縁を絶つという意味で使われるが、もともとは離縁の際、夫が妻の家族に出した離別状のことである。
この離別状には離婚を決めたという宣言と、妻の再婚許可が3行半にまとめられていたことから三行半と呼ばれた。
夫婦連名による離婚届になってからも、離婚することを意味して三行半という言葉だけが残った。
なお、三行半といった場合、どちらか一方が愛想をつかすなど一方的な離縁に使われる。後に恋人関係でも使われるようになり、離縁まではしなくても、愛想をつかしたという意思表示程度でも「三行半をつきつけた」といわれるようになる。
●離縁状 - Wikipedia
http://p.tl/n-m3
離縁状(りえんじょう)とは、江戸時代に庶民が離婚する際、妻から夫、夫から妻(または妻の父兄)に宛てて交付する、離婚を確認する文書である。
公事方御定書では離別状と称した。あるいは去状(さりじょう)、暇状(いとまじょう)とも呼ばれた。また、文書の内容を3行半で書く慣習があったため、俗に三行り半(みくだりはん。三行半、三下り半。)とも言う。
現代の離婚届が夫婦連名で国に対して行う確認的届出の文書であるのと異なり、離縁状は夫の単独行為である離縁を証する文書である。
女性の労働力によって支えられている養蚕や製糸・織物業が主体となっている地域では離婚後も女性の収入源が確保されているため、離縁状は養蚕地帯において多く残されていることが指摘されている。
●江戸時代の離婚制度
離縁状を夫や妻(または妻の父兄)に交付することで離婚は成立する。妻が離婚を望んでいるにもかかわらず離縁状を書かないのは夫の恥とされ、また、夫が離縁状を書いても親類や媒酌人(仲人)が預かることも多かった。さらに、夫からの勝手な一方的離婚の場合には相当量の金銭を妻に持たせてあげることもあった。このように、必ずしも夫が好き勝手に易々と離婚できる制度ではなかったとされる。
公事方御定書の規定によれば、離別状を受領せずに再婚した妻は髪を剃って親元へ帰され、また、離別状を交付せずに再婚した夫は所払(ところばらい。追放。)の刑に処された。
当時は字が書けない人もいたがその場合は3本の線とその半分の長さの線を1本書くことにより、離縁状の文言を書いた取扱がされていた。
3行半の文面にはいくつか種類があるが、多くは前段で離婚文言を述べ、後段で再婚許可文言を述べる(帝大教授・穂積重遠の研究による)。
離別一札の事
一、今般双方勝手合を以及離
縁 然ル上者其元儀 何方縁組
いたし候共 私方に二心無
依之離別一札如件
亥十一月廿四日 長吉
おせいとの
読み下し:離別一札のこと。一つ、今般双方勝手合を以て離縁に及び、然る上は其の元儀、何方に縁組み致し候とも、私方に二心無く、これにより離別一札くだんの如し。亥十一月二十四日。長吉。おせい殿。
意訳:離別状。この度、双方協議の上、離縁いたします。したがって、今後あなたが誰と縁組みしようとも、私に異議はなく、翻意することもありません。以上、本状を以て離別状と致します。亥年11月24日。長吉。おせい殿。
●三行半 http://p.tl/NaGg
江戸時代、妻の側から離縁(離婚)するには、縁切寺に駆け込み、その理由を吟味してもらい夫に離縁状を出すように請求するとか、妻の衣類を夫が同意なしに質入れしたら妻の父が離婚させるという具合。妻が直接的に離縁を申し出るということが原則として出来ず、夫の離縁状、通称「三行半(みくだりはん)」によって離婚が成立、とされていた。
三行半というのは、文字通り離縁状が3行半で書かれる事が多かったからついた呼び方。その内容は場合によって違うが、一般的には離縁する旨、離縁の理由、再婚の許可を簡潔に書いたもの。
もちろん、延々と何十行にもわたる離縁状が無かったというわけではないが。
3行半で書く理由ははっきりしていない。江戸時代の契約書や、結婚する時に妻の実家に出す「娘をもらいうける旨」の文章が7行だったため、離婚時にはそれが半分に分かれるという意味で3行半にした、などと言われている。
●三行半 みくだりはん (一般)
http://p.tl/ZZEF
夫婦や恋人の関係を絶つこと。「三下り半」と書かれることもある。
江戸時代に書かれた夫が妻に渡す離縁状には、離婚の宣言と妻への再婚の許可が3行半で記され、「三行半」と呼ばれたことに由来する。当時は「離婚」を表す言葉であったが、現代では、男女の関係のみならず一方的な離縁の宣言や愛想を尽かした状態を言い表すことも多い。
用例
「三行半をつきつける」
●和モノ用語辞典
http://p.tl/oqf0
「三行半(みくだりはん)」(更新日:2006.02.10)
「お前となんか別れてやるー!」人がそう絶叫するときを、俗に三行半を突きつける、と申します。
1行目は、離婚します! という宣言。2行目は、どうして別れるのか。残りの3行目と半分で、別れたら何をしようと口出ししません再婚してもオッケーです、と許可を出していたのですね。
基本的に妻のほうから離婚を切り出すことは出来ません。しかし、実家や仲人のほうから書け、といわれたり、縁切り寺(鎌倉の東慶寺なんかが有名です)に駆け込んだ女房からそうしたいと告げられた場合、三行半を書くのが常識でした。
なにげ、お江戸は女性上位の世界でした。オンナの数が、少なかったからね。初期の江戸は庶民の全人口の2/3~3/4が男。それに単身赴任の地方大名の家来衆(とーぜんほとんど男)が加わって、江戸はものすごい男性社会でした。おまけに荒っぽい新興都市ですから、人の気が強く、もちろん女性たちもはっきりものを言い、文句言われれば言い返す、たくましい人たちだったわけです。働いてる女性もたくさんいたし。
ともあれ、離婚したら再婚する可能性はほぼゼロに近かったそうです。ですから、男にとって、女房に逃げられるというのは、大変な恥でした。逆に結婚していた女性は、経験豊富ということで、再婚の口に困ることはほとんどありませんでした。
-------------------------
すこしずつ違うかす説があり諸説あるようです。
信長からの起源とは面白いですね。
「娘をもらいうける旨」の文章が7行だったため、離婚時にはそれが半分に分かれるという意味で3行半にしたなんてのは洒落のようで日本人を表している。
もう一つ 識字率の関係で文字の代わりに三本と半分の縦棒を引き渡したとされる説にも日本人らしさが伺えるのでは。
こんなことにも遊び心が満載なようで調べていてほくそ笑んでしまった。
私も離婚経験者だから笑っているような不謹慎では行けないね。
生活を豊かにしていたように思えるけどみなさんはどうですか。