フェイスブック上で、いつもお世話になっている行方久生文教大学教授による東京都知事選挙の得票分析についてのコメントを紹介します。(※行方教授ご本人に承諾いただいた上での転載です)
☆都知事選挙における細川氏への一本化論=宇都宮氏に辞退強要論から進んで「左翼の政治暴力」とまでいうトンデモ議論の初歩的な誤り☆
「世に倦む日々」は、それなりに面白く、私も結構読んできたのであるが、都知事選挙における「細川一本化論」=宇都宮氏に辞退強要論以来、非常に奇妙な議論を展開している。
……以下「世に倦む日々」から引用……
「今回の都知事選の政治には、さらに幾つかの見逃せない重要な問題がある。その一つは、宇都宮健児を支持して叫喚した左翼集団による恐ろしい政治暴力だ。一本化を訴える者たちに対するネットでの口汚い罵りと貶めと嘲り、さらに卑劣で狂暴な嫌がらせと誹謗中傷の行為は、投票日が近づくほどに激しくなり、集団的狂気となってエスカレートし、全く歯止めの利かない異常なヒステリー状態に極まっていた。鎌田慧に対しては、著書をゴミ箱に投げ棄てろという焚書運動が起こったが、選挙から2週間が過ぎた今でも、裏切り者の巨魁として糾弾の袋叩きが続いている。私も、無名ながら「一本化論者」の末席にいたらしく、そのため、「一本化」の粉砕と殲滅に燃えるゴロツキ左翼の標的となり、苛烈で執拗な嫌がらせを受ける羽目となった。「死ね」の脅迫を含め、怒濤のようなリンチ攻撃の集中砲火を浴びる日々が続いた。」
……引用終わり……
当選可能なハズの細川護煕氏が、当選不可能なハズの宇都宮けんじ氏の後塵を拝し、当選どころか、3位に沈んだことへの「はらいせ」かどうかは知らないが、宇都宮氏の当選を目指して運動してきた、ごくごくまともな人たちが、なにか、テロリスト以下の存在として認識されているようである。反対に、告示後も、宇都宮氏に辞退をせまり続けた鎌田氏等が美化され、あげくの果てに、「「一本化」の粉砕と殲滅に燃えるゴロツキ左翼」などと私なども含めた「一本化」を批判した人間に罵声を浴びせるまで、落ちたいのである。
既に、この問題は、正否の決着はついているものであり、「ノーサイド」を主張する善意の人たちの努力も実りつつあるので、これを最後にするが、実は、何回も主張していることであるが、細川氏と宇都宮氏の得票の基盤が異なり、仮に一本化しても1+1=2ではなく、3とか4になるという「統一戦線」的な幻想は持てなかったことが選挙結果からも明確なのである。
下図は、東京23区ごとに宇都宮氏の得票から細川氏の得票を引いた数字と区ごとの「一人当たりの総所得金額等」をマッピングしたものである。
総所得金額等とは、耳慣れない方もおられると思うが、総務省が市町村の課税状況調べを作成する際に、課税標準の段階別にどのくらいの納税者がいるのかなどを調査して、これを所得の源泉別に整理したものである。つまり、課税前の各区の所得の水準をかなり正確に示すものである。
簡単に定義すると、総所得金額等=純損失・雑損失の繰越控除後の(総所得金額 + 土地建物の譲渡所得 + 株式等の譲渡所得等 + 先物取引に係る雑所得等の金額 + 退職所得 + 山林所得)となる。つまり、株式等の譲渡所得などの分離課税分も含めて、所得を表したものとなり、一部の金融所得(これも非常に大きいのであるが)を除いて、殆どの所得を反映したものである。この資料を東京都が23区分について、整理しているので、これを活用した。23区の区ごとの、一人当たりの総所得金額等が、分かるので、「貧富」の差が極めてよく理解できる。
それで、結論は見て頂ければ一目瞭然であり、総所得金額等が低い区において、宇都宮氏が細川氏より多く得票していること、反対に総所得金額等が高い区においては、細川氏の方が得票が多いのである。これは何を意味しているのか。所得の状況によって、投票する対象がかなり鮮明に異なっているという事実である。田母神氏は都心部の所得水準の高い区で、宇都宮氏を凌駕すらしていた。むしろ、舛添氏の方が所得水準の低い区で多くの得票をしており、宇都宮氏の得票傾向と似ている。これは、公明党70万票の基盤が低所得層に多いことを反映したものであるが、同時に、舛添氏がその「意に反して」構造改革を強く主張できず、福祉重視や東京を世界一の都市に、などという利益誘導的な主張をせざるを得なかったことと一体なのである。この矛盾は、今後の都政の中で、必ず現実の政治的名矛盾となって現れるであろう。
さて、宇都宮氏と細川氏の得票の「差」と区ごとの総所得金額等(一人当たり)を重回帰分析を行った結果が上の表の右下である。重決定はなんと、0.85を超える。驚きの結果である。すなわち、宇都宮氏と細川氏の得票差は、殆ど、所得の差によって説明できることが、この回帰分析から明確なのである。このことは、仮に一本化しても、もともと、投票する人たちが異なるので、その効果は、極めて限定的なものであったというのが事実である。もう、いい加減に「一本化」を主張した人たちは、頭を丸めて、四国のお遍路さんをやってほしいと思う今日この頃である。