文化はカネにならないが | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 大阪市は伝統ある中之島図書館を廃止するという。大阪ばかりでなく各地で公文書館が利用停止になっていたり、事実上の運営休止に至っている資料館もある。

 とある地方の教育委員会でのこと。その地域で日露戦争に関する勉強会を開くため、挨拶に訪れたとき、「いっさい協力しない」といわれた。

――駅でアンケートでもとってみなさい。日露戦争なんて住民の半分は知らないでしょう。

 そんな市民が知りもしない、また、知りたくもないことのために公共施設を使わせたり、税金を投入するなんてことは、市議会の理解が得られないというのだ。それほど程度の低い市民にも選挙権はある。だが、市民の知識レベルを底上げするのも行政の役割であるはずだ。義務教育だけ整えておれば、社会教育も生涯教育も形ばかりで良いということにはなるまい。

 文化だの歴史だのは、それ単独では収益を得られない。わが本業の教養出版にしても、娯楽性を問われる度合いが次第に大きくなって、学術との乖離が著しい。

 だが、カネにならないことを役所がやらなくて何処がやるのだ。NPO法人にしたところで、スポンサーがなければ活動できまい。なにせ非営利の活動だ。活動から利益を生まないなら、他の手段で収入を得るほかない。スポンサーがついたらついたで、今度はスポンサーの意向に抗えなくなる。

 理系の分野でも基礎研究は直接カネにならない。産業に応用されてこそカネになる。ならば応用研究まで自前でやってしまおうというのが理化学研究所であった。ノーベル賞を狙えるほどの高い技術力を商品開発に応用し、財閥の一つに数えられる理研コンツェルンを築いたのだ。マーボーなす、わかめスープなどを製造する理研や、コピー機やカメラを製造するリコーは、かつて理研コンツェルンに属していた企業だ。

 行政が頼みにならないならば、民間でやるほかない。歴史や文化も奮起して、みずから収益事業を切り開くことは出来ないだろうか。たとえば歴史ゲームの開発であるとか、専門家が直接関わってつくれば他社との差別化が図れると思うのだが、どうだろうか。

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