2012年7月8日(日) 進水式《くまの丸》 | 【心声(ココヘ)プロジェクト】

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今日の「正義」が明日の「悪事」。明日の「悪意」が未来の「正論」。
今を生きる人が為すべきこと。「今」を「未来」に繋ぐこと。

2012年7月8日(日)

 

この日、正式に磯浜漁港に新しい仲間が増えました。

先日、福来旗を寄贈した【JFくまの丸】さんです。

 

船の中には神棚があって、神様がいます。

新造船には必ず「ふなだま(船玉・船魂)」を入れるので、

船の神事が行われます。

(家を建てるときに土地神様にお願いしたり、新築の時にお祓いをするのと同じです)

 

前日、

「日曜日、10時に餅撒きすっから来てね!」

って漁師さんが言ってくれて。

当日は9時20分頃家を出たんです。(遅

 

そしてノコノコ港に入ったら……

 

すごい車!すごい人!

漁師さんや、くまの丸さんの親戚、

関係者の方々がみんな笑顔でそこにいました。

新造船のくまの丸さんは白と黒が印象的な船で、

磯浜では一番大きな(長い)船、と聞いています。

 

船の中に5本の竹が立てられていて、

その竹に結ばれている沢山の大漁旗。

 


こんな風に、大漁旗を見たのは初めて。




どれも色がすごく綺麗で、

雨の予報だったけどすごく晴れていた。

 


最近は、「機械」と言われるモノも生き物のように感じる。

助走を付けて飛んでく飛行機も、

波を切って進む船も。

ユニックもフォークリフトも生き物のように思います。


そんなくまの丸さんはなんだか誇らしげ。

 

 

たくさんの人の前で神事が進み、

お祝いの餅を撒いて、

みんなが進水式をお祝いしました。

 

私自身、進水式を見るのは初めて。

大漁旗がこんなに沢山、

目の前で船に掲げられている姿を見るのも初めてでした。




【心声(ココヘ)プロジェクト】


新しいパートナーとなったくまの丸さんとその漁師さんは、

ホントに誇らしげ。



 

穏やかで、キラキラしていて、とても綺麗な海で、

新しいパートナーとの進水式を行いました。

 

私は船を持ったこともないし買うことも出来ないんだけど、

ソレは漁師さんにとって「ただの仕事道具」ではなく、

毎日を共にするパートナーであり子供みたいなモノだったり

「機械」ではなくて仲間なんだと思います。

多分、私が船を持ったらそう感じると思う。笑

 

 

震災でかつてのパートナーを失い、

大きな悲しみの中で「不安だけどね」と笑う彼らは

やっぱりすごい素敵な人間達です。

 

積み重なっていく不平も、毎日を進むしかできなくて。

放射能に対する不安も、不安がっていては何も出来ない。

 

私は、やっぱり、希望の船というより、

それは彼らの覚悟であり、若き漁師さんの覚悟であり。

 

「海で生きるんだ」

 

っていう決意の船だと感じています。

 

 

 

文句ってのは、探せば探すほど言えば言うほど出てくる。

文句を言って、ソレを理由に辞めることも出来る。

でもそれはきっと、

外部にしてみたら簡単な想いで、

当事者にしてみたら進むのも引くのも、すごく勇気が要ることだと思う。

 

私は、

何かから「逃げる」事が卑怯だとは思わない。

それが自分で悩んで苦しんで、その末に決断した事柄であれば

それは立派な「勇気」だと思ってる。

 



馬は、生きるために走る。

肉食獣に捕まらないように。

生きて、

前に進むように

「生きるために」

危険から逃げる。

肉食獣と戦って命を落としても、

それは「馬」という生き物として、賞賛されることではない。

 

速く走って、駈けてこそ賞賛される。

 

 

逆に足が遅い馬は、

危機感知能力がすごくて、いつもビクビクしてたりする。

だから危険を感じるのも早いし、

周囲を見てるから足が遅くても逃げられる。

 

 

だから、「逃げる」ってのはものすごい勇気だと思う。

 

私が今、

「この活動を辞めて磯浜から離れなさい」

って言われたら、そりゃ諦められはしない。

まだ見たいし、まだ知りたいし、

その果ての磯浜の未来の景色を見たいって言う想いがある。

 


そんなこと言われたら

ものすごく寂しいし悔しいし憤ると思う。

でも、

それを偲んでここから立ち去れるか?

ってきかれたら。

 

それはきっと、

私にとっては進むことよりも難しい。

 

 

磯浜でも他の浜でも、

この震災で沢山の漁師さんが亡くなったり

様々な問題を抱えて漁師さんを辞めた人がいると思う。

 

だけど、「漁師」っていう人間はどこにいても漁師である気がする。

私は漁師じゃないからわからないけど、

「カモメは陸にあがれない」

っていうくらいだから。

 

海の人間は、ずっと海の人間だろうと思う。

 

 

 

逃げることも進むことも、辞めることも覚悟を決めることも、

私はソレを全部「勇気」と呼ぶ。

 

不安も苦悩も

恐怖も動揺も。

全部背負って、自身が前に進むための勇気。

 

後ろになんか進むことなんかできねんだ。

時間は逆には戻らないんだから。

 

常に前に進んでる。

そんな勇気の中で、生きている人達。

此処にある町。其処にある海。

ひたすら前を向く、かっこいい人達のいる港。

 

 

大勢の人達の前で大きな決意を抱えて、

沢山の人達に見守られながらこれからの未来に進む船と漁師。

 

旗が風になびく光景を、

これから、私は何度見れるだろう。

 

きっと、この光景は今までで最高だった。

2月の大安の日も「これ以上ない」って思ったんだけど。



「これ以上ない素敵な光景」



それが、私の中で常に上書きされていく。

 

 


キラッキラの海に穏やかな港と人の笑顔。

生涯忘れることのない光景。



とっても素敵な進水式でした。


 くまの丸さん

進水式、おめでとうございました!


【心声(ココヘ)プロジェクト】

 

山元町磯浜漁港 復「港」応援
心声プロジェクト企画賛同有志一同 より!

 



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待望の新造船に歓声 大漁旗掲げ入港 宮城・山元

大漁旗をたなびかせながら入港した「くまの丸」


 東日本大震災の津波で漁船が1隻を除いて流された宮城県山元町の磯浜漁港で、新たに建造された2隻目の漁船「くまの丸」(4.9トン)が8日、関係者らにお披露目された。
 くまの丸は刺し網漁やホッキ貝の底引き漁などを行える。震災後に同町の漁師阿部紀雄さん(65)、和紀さん(38)親子が国の補助制度などを活用し、福岡県の造船業者に発注して約3カ月をかけて建造した。
 磯浜漁港に所属していた漁船約30隻のうち、震災後に残ったのは「第一山元丸」だけ。待望の新造船を一目見ようと集まった約50人の前に、真新しい大漁旗を掲げた「くまの丸」がお目見えすると歓声が上がった。
 阿部さん親子は県漁協への各種登録が済み次第、漁に出る。国の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を超す放射性物質を検出した海産物が相次いで出荷停止となり、先行きには不安が残る。
 和紀さんは「出ばなをくじかれた形だが、今は風評被害に負けずやるしかない」と力を込めた。
 同漁港では来年、新造船6隻程度が仲間入りする見込み。県漁協山元支所の大和郁郎運営委員長は「どんどん船が戻ってくれば、港に活気が出てくる」と期待を寄せた。


2012年07月10日火曜日 河北新報/宮城のニュース

http://www.kahoku.co.jp/news/2012/07/20120710t15022.htm  より

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