66番だった | 元プロ野球選手がニュースから考えてみる

66番だった

広島の石井選手が今年で引退するようです。

シーズン途中での発表は、おそらくチーム内にモチベーションを上げる
要素となるでしょう。

広島はCSを掛けて今が大事な時期です。

石井選手の、最後まで広島に貢献したい気持ちがあってのこの時期
かもしれません。


石井選手も42歳ですか・・・24年間も現役を続けたんですね。


そして記事にもありましたが、彼は最後のドラフト外選手なんだそうですね。
そう言えば、今は育成制度があってもドラフト外などありません。


私は彼とは横浜で一緒で、投手としても野手としても知っています。
投手としては高卒1年目で一勝を挙げるなど、「桑田2世」と言われて
いたのを覚えています。


事実、真っ直ぐも140kを越してましたし、変化球、コントロールも
良くて、非常にまとまった印象がありました。


当時は1軍、2軍を行来きしていましたが、2軍ではタイトルを獲得する程

投手としても実力がありましたね。


ただ、もっと良かったのが打撃。
試合では投手として登板しながら、平気で複数安打を放っていましたし、盗塁もしていました。
足も速く、肩も強く、守備も抜群に上手かった。野手としてはセンスの塊だったと思う。

その中で劣るのが投手だったのかもしれませんね。


当時の二軍打撃コーチが、
「タク(ニックネーム)が野手に転向したら、直ぐに3千万プレーヤー(当時は
3千万貰えばステータスと言えた時代)だよ。」と絶賛していました。

それは誰もが認めるところだったと思う。


ただ僕の中で石井選手として、一番記憶に残るのが、彼の練習量です。
元々体力はチームでも飛びぬけていましたが、とにかく彼は
一日中練習をしていましたね。


朝はトレーニングルーム、夜は室内練習場で・・・・
いつか彼が
「投手って、やることが限られてくるんですよね」と言っていたのを
覚えています。


そのタクが投手から野手に転向したのは、確か3年目の秋だったと思います。
その年は二軍ですが、防御率のタイトルを獲った年です。


球団のファン感謝デーの時に監督に直訴したはずです。

監督は投手不足であるチーム事情から怒ったらしいのですが、
本人の気持ちが強いので、半ばほっとく形で了承したようです。


まぁ彼なりに投手としては、限界を感じたのでしょうね。
練習もマックスにやって、下では成績を残せるけど、上では
どうしても通用しない現実を。


普通、周囲も「甘えるな、まだ決断するには早い」と諭すところですが、
彼の現状と、野手としての素質を知るだけに意外と異論はなかったように
思います。


それからの彼の練習量は半端ではなかったですね。
投手ではないわけですから、幾らでも実戦練習が出来るわけです。


朝は練習前から特守。夕方も特打か特守。夜も室内で特守・・・・
こいつ、いつ休んでいるんだろう?と思いましたもん。


時の守備コーチが「俺も長く野球界にいるけど、こんなに練習をする奴は
初めてだよ。俺の身体がもたん。」と嬉しそうに話していたのを思い出します。


僕も正直、彼ほど練習をする選手は、アマプロ含めて彼以外では1人しかいません。
(投手ですけど、その選手も異常なほどの練習量でした。)


そして彼は翌年の五月にはサードのレギュラーを獲っていました。

そのスピードには驚かされますが、当然と言えば当然です。

その後の活躍は言うまでもありません。


彼の能力の高さもさることながら、その練習をする素質こそが彼の最大の武器だったと思います。


これで当時で知る選手で現役なのが、谷繁選手と斉藤隆選手だけになりました。


特にシゲは捕手という重労働のポジションながら良くやっています。
身体も元気だし、まだまだ当分やれるでしょうね。


今思うと、当時の大洋の練習量は半端ではなかったので、その経験が活きているのかも

しれません。


とにかく今はタクに残りシーズンを全うして欲しいものです。

まだお疲れ様と言うには早過ぎます。

彼が必要となるのはこれからですから。


そしていずれ指導者として、タクを越えるような
ハングリー精神たっぷりな選手を育てて欲しいものです。