●柳田國男の世界
この人の本は絵まり読んだことがない。
何故か少し恐怖があった。
何ともコトバにしようがないほどの感じである。
民俗学的には良いものを出しているようだ。
でも批判もタダ有るようだ。
下の方の論文などは一度読む価値があるように思える。
折口という人と比較されたり並べていろんな話もあるようだ。
ドレが良いのかハッキリしない。
人それぞれの取り方もある。
私は読んでも味方も敵にも成れない。
・もともと、柳田が資料に頼らない歴史を民俗学としたから、そういう学問になっている
このコメントが引っかかる。


◆柳田國男 - Wikipedia http://bit.ly/yTENHp
柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は日本の民俗学者。
現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれで、晩年に名誉町民第1号となった。正三位勲一等。

日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行し、初期は山の生活に着目し、著書『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。
日本における民俗学の開拓者であった。

◆柳田國男の世界 http://bit.ly/x9N21Q
森鴎外と出会い、松浦萩坪に師事し、自然主義の文学青年と交流。「文学界」に新体詩を発表、斬新な詩作で仲間を刺激した。
が、「なぜに農民は貧なりや」という言葉に示されるように、社会構造に対する鋭い疑問から、文学への傾倒を絶ち、農政学を志した。

◆福崎町立柳田國男・松岡家記念館 http://bit.ly/zeFzJs
本館は,『後狩詞記』や『遠野物語』などの多くの著作をあらわし,「日本民俗学の父」と 呼ばれる柳田國男(文化勲章受章,福崎町名誉町民第1号)と,医学・国学・言語学・ 美術などの分野で活躍した松岡家の顕彰を目的に,昭和50年に設立された記念館です 。

◆松岡正剛の千夜千冊『海上の道』柳田国男 http://bit.ly/z4j2qN

◆成城大学 | 民俗学研究所 柳田國男について http://bit.ly/zD7Dft
「日本民俗学」の創始者で、近代日本を代表する思想家でもあった柳田國男(1875~1962)
◆柳田國男と成城 http://bit.ly/yFjmfy
 「日本民俗学の祖」柳田國男の旧居は、小田急線の「成城学園前」下車3分、駅前の道を北進して2つ目の四つ角を左に折れると、木立の中に洋館があり、現在は、建て直されてご子孫が住まわれている。
柳田國男存命中の大きな書斎を持つ建物は、昭和63年に解体され、柳田家先祖ゆかりの信州飯田にある「飯田市美術博物館」の中に移築され、今は当時の面影はない。

◆柳田國男館 - 飯田市美術博物館 http://bit.ly/AoL6VZ
「民俗の宝庫」―伊那谷の「生きた学び舎」としての活用をねがうものです。

◆柳田國男記念公苑 [茨城県利根町公式ホームページ] http://bit.ly/yNtltO
柳田國男記念公苑は、國男が少年時代を過ごした旧小川家の母屋、土蔵(資料館)で構成されており、著作物や文書等を展示しています。

◆柳田国男 家系図研究にも影響を与えている http://bit.ly/zhfiMj
家系図の分野で有名な丹羽基二氏の大学での恩師にあたるそうです。(「日本人の苗字」にありました。)
神隠しの体験について語っていたりする神秘家としての柳田国男がいるわけですが、遡れば陰陽道の中心地播磨という関連もあるかも知れません。
宮本武蔵とは、赤松 つながりでもあるのですが、養子の宮本伊織の神隠し体験ともなんらかのつながりが あるかも ...

◆柳田國男「先祖の話」を読む会 http://bit.ly/xgO5v9
柳田國男先生が終戦直後、渾身の力をふりしぼって上梓された『先祖の話』は、「日本人固有の数千年に及ぶ先祖観」や「先祖の志」をはじめて体系的に著した不朽の名著といわれます。

◆ぶく速 柳田国男と折口信夫って どっちのほうが強いの?http://bit.ly/x6R8bG
柳田とか折口とかの著作って学術書と言えるの?文学とかエッセイ、随筆の類だろ
もともと、柳田が資料に頼らない歴史を民俗学としたから、そういう学問になっている

◆『遠野物語』の柳田國男も農業の規模拡大を主張した http://nkbp.jp/zlKdms
読者は、日本の慣習や伝統を研究する民俗学者なら、「農業や農村にマイナスの影響を与えかねない農産物貿易の自由化に反対したにちがいない」と思われるだろう。
その内容は、農業の生産性向上と、規模拡大による構造改革を構想したもの。
つまり柳田は、半世紀後の1961年に成立する農業基本法(関連記事)に半世紀も先んじていたのである。東畑が柳田の考えを「奇跡」と称した所以はここにある。

◆水木しげるが漫画化した柳田國男『遠野物語』の“お色気シーン” http://bit.ly/z8x7Oi
作家の嵐山光三郎氏は過去に『水木しげるの遠野物語』(小学館刊)を書評しているが、この原稿で衝撃の事実が明らかになっている。以下、嵐山氏の書評だ。(『週刊ポスト』2010年4月9日号より)

◆柳田國男「ネブタ流し」を読む http://bit.ly/Aqfjb8
柳田國男の「毛坊主考」は、多面的な作品である。表題のとおり、地方の集落で半俗半僧侶生活を送る念仏の徒についての話もあれば、シュクや茶筅などの被差別的な扱いを受けていた人々の生態とその信仰について、また、各地に残る由来のわからなくなった塚や山という異界の周辺にたむろしている者(童子)たちについての話もあった。
この多様性は、「毛坊主考」が「郷土研究」誌上に連載されたものであるということに由来する。
柳田は、地域の口碑や伝承、他の地域の攘却行事を参考にして、ねぶたを“御霊祭”の一種として捉えていこうとしているのだ。

◆遠野物語 - Wikipedia http://bit.ly/y0ckcQ
『遠野物語』( とおのものがたり)は、柳田國男が1910年(明治43年)に発表した説話集。日本民俗学 の黎明を告げた名著である。
◆流木の話2「椰子の実」と柳田國男 流木工房.JP http://bit.ly/xEldMa
椰子の実」と柳田國男 =流木のロマン= ■ 日本は四方を海に囲まれ、その海岸線の 総延長は3万6千km(地球の9/10周に相当)にも及び、ロシア連邦、オーストラリアに 次いで世界で3番目に長い。日本は紛れもなく海洋大国なのです。
◆童謡集/椰子の実(歌詞付き)
http://www.youtube.com/watch?v=eG1gB5dluU8

◆日本近代史の中の日本民俗学-柳田国男小論  http://bit.ly/xwOKIY
戦前の大東亜共栄圏の夢が軍事政治的には潰え去ったけれど、経済的覇権として甦ったのだ。
なぜ私たちは「大日本主義」の時代になると「日本」「日本人」を問いたくなるのだろうか。
外部より内部に目を向けたがるのだろうか。
◆南方熊楠のキャラメル箱サイト内検索:柳田国男 http://bit.ly/wxM9F9
南方熊楠の手紙:神社合祀反対運動の終結、その他(口語訳1)明治44年12月10日

◆NHK特集 遠野物語をゆく 柳田國男の風景 第2部
http://www.youtube.com/watch?v=i7zyTKImo2w&feature=fvst

◆柳田国男.mpg
http://www.youtube.com/watch?v=oWm7zXLOBCI

◆遠野と「遠野物語」
http://www.youtube.com/watch?v=GV7L8q1Juls&feature=related
「遠野物語」は小説ではない。
◆遠野の語り部
http://www.youtube.com/watch?v=96rY_9SQEWE&feature=related

◆柳田國男「神道は、太古の昔から現在にいたるまで連綿と続く、自然発生的な日本固有の民族的宗教である」
幕末の国学、柳田國男の「国家神道」批判、http://bit.ly/A5bfro

◆第4回講座-神道研究入門- http://bit.ly/zB39bN
神道を敵視する立場から神道を研究するわけですから、そうした人たちの神道の研究書に従えば、天皇は人民統治手段として神道を用い、神も支配したという結論に導かれる論理になっており、神道は超国家主義的宗教とされました。

◆補足 「国家神道」がムラを壊した 04 09/10  http://bit.ly/xLHSWv
近代国家としての日本は終始一貫して「国家神道」を、国民の国家への忠誠と献身とを引き出す道具として利用した。
このような国家的計略を「日本に固有のものとはとうてい言えない」と批判したのは官僚出身の民俗学者、柳田国男であった。


◆民俗学 - Wikipedia http://bit.ly/xOE6LS
民俗学(みんぞくがく、英語:folkloristics)は、学問領域のひとつ。高度な文明を有する諸国家において、自国民の日常生活文化の歴史を、民間伝承をおもな資料として再構成しようとする学問で、民族学や文化人類学の近接領域である。

◆国家神道批判 [柳田国男の昭和]  http://bit.ly/xbZnG6
国男にとって、神道とは神と人とが交感し、交歓する祭にほかならなかった。その原風景が残るかぎり、たとえ国家が敗れても、くには残ると信じていた。

◆祭政分離はとうぜん [柳田国男の昭和]  http://bit.ly/xKz8M5
記事はGHQの検閲をへている。
国男の発言は、明治憲法と国家神道を廃絶しながら、政治から切り離された国の祭祀者としての天皇を認めるというマッカーサーの考えを側面から支援するものとなっていた。
だが、それだけでは終わらない。
国男はさらに進んで、政治に利用されることのない神道の再生をひそかに構想していたのである。

◆ ◎ 歪められた神道の日本史 ◎
【天皇のための日本か,日本のための神道か,神道のための天皇か】


◆朝日新聞記事「柳田国男と「愛国心」―相互批判と啓発を重視:暮らしの課題解決への郷土教育」(2007.3.8、夕刊)を読んで。 http://bit.ly/yIVuZy