2年前の明日、旅立った。
この新聞記事は、2010年7月掲載、朝日新聞名古屋版のものだ。2年前、じいちゃんの棺桶に入れた。これを直接見せることなく、じいちゃんは旅立った。
私の早起き物語は、じいちゃんなくしては語れない。

19年前の今ごろ、私は1年浪人して滑り止めで入った某女子大の1年生だった。でも、どうしても学校の雰囲気になじむことができず、夏休みを過ごしていた。
9月の後期が始まる前、「私はこのままで本当にいいのか?」と自問自答していた。来年また受験して、別の大学に入り直そう、どうにか両親を説得しよう、と考えていた。
でも、我が家は決して裕福なわけではない。田舎から東京の予備校の寮に入り、1年浪人もさせてもらっただけでも大変な負担だ。その上私立の女子大に入れてもらって、それをやめてさらにもう一回大学を受け直したい、なんて、とても言えた義理ではない。
でも、本当に自分のエゴでしかないけれど、どうしてもやり直したかった。
私は父母に自分の想いのたけを綴った手紙を書いた。
どうすべきか迷った父母は、じいちゃんに相談したそうだ。
「千恵の想いを尊重してあげなさい」と、じいちゃんは言ったそうだ。
じいちゃんのその言葉がなければ、きっと今の自分はいなかった。
それから私の再受験生活が始まった。半年間という短い期間の受験勉強で確実に合格するためには今までと同じではいけないと、それまで夜型でダラダラ過ごしていた自分から脱却しなければならないと、ライフスタイルを朝型に変えたことが、すべてのスタートだ。
そのころはヨジラー(朝4時起き)まではいかなかったが、毎朝5時半に起床し、朝7時には、横浜の1人暮らしのアパートから、代々木にある大学受験予備校の自習室に通う生活を送るようになった。
時は流れ、2009年7月。私の初めての本『「朝4時起き」で、すべてがうまく回りだす!』が発売となった。
おかげさまでベストセラーと言われるほど支持いただくことができたが、発売当初の初版(最初の刷り部数)はとても少なく、最初から期待されていたわけではなかった。
当然、私の地元の福島の書店にもあるわけがない。
じいちゃんは、近所の図書館に直談判。「孫が書いた本なんです」と自ら営業にまわってくれた。
近くの本屋さんにないと知ると、直訴して大量注文。まわりに配りまくってくれた。
自慢の孫だって、いろんなところで私のことを話してくれた。
脳梗塞で体が半分動かなくなってしまったとき、お見舞いに行った私の顔をみて、「よくやったなぁ」と泣いてくれた。
遺言で、「こんなことでしか自分は役に立たないから」と、自分の体を献体したじいちゃん。
じいちゃんが見守ってくれていると思うような出来事が、今もひんぱんにある。
遺言で、「こんなことでしか自分は役に立たないから」と、自分の体を献体したじいちゃん。
じいちゃんが見守ってくれていると思うような出来事が、今もひんぱんにある。
じいちゃん、いつも本当にありがとう。
まだまだ私はがんばるよ。