志葉楽のブログ

志葉楽のブログ
■歌舞伎の演目。「白浪五人男」 弁天小僧菊之助
余り知らない人が多くなっている。
ひばりの十八番など映画では昔良く見た。
詩の文句なども死語が多くて若い人には理解出来ないこともあるのではないかな。
戦後の沈んだ空気を明るく楽しくさせてくれた。
歌舞伎は一度も見たことが無いので解説は出来無いけれども映画では形式が歌舞伎で取られた時代劇が多かったのではないかな。
この年代のものは詩吟やタンカや見栄なども切れるのではないかな。
この中で理解出来ない言葉があったらごめんよ。
自分で調べてみてください。
 
 
◆青砥稿花紅彩画 - Wikipedia http://bit.ly/Ae4GEG
『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなの にしきえ)は、文久2年3月(1862年3月)に江戸市村座で初演された歌舞伎の演目。
通称は「白浪五人男」(しらなみ ごにんおとこ)。
世話物(白浪物)、二代目河竹新七(黙阿弥)作、全三幕九場。
 
弁天小僧の出がある場のみを上演する際には『弁天娘女男白浪』(べんてんむすめ めおの しらなみ)と外題が替わり、さらにそれを尾上菊五郎がつとめる舞台に限っては特に『音菊弁天小僧』(おとにきく べんてんこぞう)と外題が替わることもある。
 
・日本駄右衛門(にっぽんだえもん) 石川五右衛門
・弁天小僧菊之助(べんてんこぞう きくのすけ) 日本駄右衛門の手下
・忠信利平(ただのぶ りへい) 佐藤忠信実ハ源九郎狐
・赤星十三郎(あかぼし じゅうざぶろう) 盗賊・白井権八
・南郷力丸(なんごう りきまる) 盗賊・南宮行力丸
 
◆時代物(じだいもの)http://bit.ly/ycMRSN
・歌舞伎・人形浄瑠璃の狂言で、戦国時代またはそれ以前を扱った作品 ⇒ 時代物 (歌舞伎)
 ・⇔ 江戸時代の風俗に基づいた作品 - 世話物
・江戸時代またはそれ以前を扱った作品、髷物(まげもの)、丁髷物(ちょんまげもの)
 ・小説 ⇒ 時代小説
 ・演劇・映画・テレビドラマ等 ⇒ 時代劇
  ・⇔ 現代劇
 
◆白浪物(しらなみ もの)http://bit.ly/yOFOGH
歌舞伎の演目のうち、盗賊を主人公とした一連の世話物の演目の通称。
特に二代目河竹新七(黙阿弥)作の演目をさすことが多い。
白浪物に登場する主人公は、いずれも石川五右衛門や児雷也のような大盗賊ではなく、市井に住む平凡な男女で、これがよんどころない事情で盗賊となり、義理人情に翻弄された揚句に、自滅するか改心して縛につくという設定である。
「白浪」の名称は、かつて中国で「盗賊」を意味した「白波賊」(はくはぞく)という語に由来する。
日本では近世にこの「白波」が訓読みされて「しらなみ」となり、さらにこれに当て字した「白浪」が義賊を表す語として定着した。
 
◆歌舞伎口上散歩 白波五人男 http://bit.ly/x5YBW3
 ”知らざあ言って聞かせやしょう 浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪の夜働き、以前を言やあ江ノ島で、年季勤めの稚児が淵、百味講で散らす蒔き銭をあてに小皿の一文字、百が二百と賽銭の,くすね銭せえ段々に、悪事はのぼる上の宮、岩本院で講中の、枕捜しも度重なり、お手長講と札付きに、とうとう島を追い出され、それから若衆の美人局、ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた爺さんの、似ぬ声色でこゆすりたかり名せえゆかりの弁天小僧菊之助たぁ俺がことだぁ!”
 
はご存じ、白波五人男の一人「弁天小僧菊之助」が歌舞伎の「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)、浜松屋の場」で諸肌脱いで言うセリフです。
 
◆白浪五人男とは http://bit.ly/wrpUvs

◆『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』 http://bit.ly/xi2zty
通称:『白浪五人男(しらなみごにんおとこ)』・『弁天小僧(べんてんこぞう)』

◆歌舞伎名台詞集   http://bit.ly/xPzmpP
青砥稿花紅彩画(白浪五人男)・浜松屋店先の場より
 
◆中野勘太郎一座 白波五人男
http://www.youtube.com/watch?v=pYojcBr335g
◆白浪五人男
http://www.youtube.com/watch?v=BpsmW1Y5hP0&feature=related
◆青砥稿花紅彩画 尾上菊五郎 市川團十郎 市川左團次 中村時蔵 坂東三津五郎
http://www.youtube.com/watch?v=yD-jI6ZaB_Y&feature=related  ●平成20年 序幕
http://www.youtube.com/watch?v=Nf677UxjQXk&feature=related  ●二幕
http://www.youtube.com/watch?v=_PPRMp7uIZw&feature=related  ●17分ころから五人勢ぞろい
 
◆ひばり十八番 弁天小僧 http://bit.ly/y2j40E
能を舞っていたのは、小姓の菊之助(美空ひばり)だった。
 
◆弁天小僧( べんてんごぞう) -------美空ひばり - 大韓民国 歌が聞ける
http://blog.daum.net/9200ok/17315923
 
◆白波五人男解説 http://bit.ly/ypfLEF
 
◆日本左衛門の処刑(1747) http://bit.ly/x6Yr7Z
 
◆大向う - Wikipedia http://bit.ly/ytAF2s
 大向う(大向こう、おおむこう)とは、
1.芝居小屋の三階正面席、またそこに坐る客を指す隠語・通言(現在の歌舞伎座では、構造上三階B席から幕見席あたりを指すものとして理解されている。)、つまり大向うとは、舞台上から見た客席の位置に由来する。
主として歌舞伎で用いられ、安価な席にたびたび通ってくる見巧者の客(歌舞伎座が設けている幕見席とは、そうした客のための席だったともいえるだろう)を指す。
「大向うを唸らせる」といえば、そういった芝居通をも感心させるほどの名演であることを意味する。
2.1から転じて、大向うに坐った客が掛ける声、またそれを掛ける客のこと。主に歌舞伎の用語。本項で詳述。
 
歌舞伎では劇の雰囲気を盛り上げるために、大向うから声が掛かる。歌舞伎の中には、俳優が大向うの掛け声を巧く利用した演出がいつしか定着し、その掛け声がないと進行できないような舞踊もある。
劇場は、声を掛ける者の一部に、掛け声の会に所属することを条件に木戸御免(きどごめん:芝居などに料金を払わず入れること)の許可証を発行している。
しかしながら、一般の人の掛け声もしばしば聞かれる。
本来「大向う」とは舞台から見た「向う」側であり、「お客様は神様」という発想から偉いという意味の「大」をつけた役者側から見た尊敬語なので、声を掛ける者が「私、大向うをやります」などと言うのは誤った用法である。
 
◆拍子木(ひょうしぎ)http://bit.ly/wFFaIK
「拍子」を取るための木の音具。柝(き)。
手に持って打ち合わせると、チョーン、チョーンと高い澄んだ音が出る。
日本では古来様々な用途に用いられてきた。
 
紫檀、黒檀、花梨、樫など堅い木材を細長い四角の棒状に切り、2本1組にして紐で男結びにしてつなぐ。 紐は長めで、使わないときは自分の首にかけてぶら下げておくことができる。
紐を結ばない「かまぼこ型拍子木」もある。歌舞伎などの演劇では「ツケ」と呼ばれ、二本を打合わせるのではなく、床に置いた板に打付けて使用することが多い。2本組であることが基本で、数え方の単位は「組」「対」である。
 
◆拍子(ひょうし)http://bit.ly/xA1aGF
一般には、拍や拍の連なりのこと。
西洋音楽では強拍に連なるいくつかの拍の集まりの繰り返しを言う。日本では「三三七拍子」という言葉でわかるように、この言葉は、西洋音楽の定義の「拍子」とは異なる使われ方をする。
アラブ古典音楽のイーカーア(イーカー)やインド古典音楽のターラ(サンスクリット読み)を「何々拍子」と表現することがあるが、これも西洋音楽の定義の「拍子」とは異なる。
 
◆拍節(はくせつ)拍(はく)http://bit.ly/AjzUhK
音楽にあって、等しい間隔で打たれる基本的なリズムを、拍節(はくせつ)と言い、そのひとつひとつの時間単位を拍(はく)という。
拍は、一般に、人間の歩行の一歩一歩に擬せられる。拍節は、音楽に内在する固定的な周期であるから、ひとつひとつの拍が必ずしも常に実際の音によって示されなければならないわけでない。
 
拍の長さは曲によって様々であり、ひとつの曲の中でも変化することがある。拍の周期の速さのことをテンポという。
 
拍に重軽が生じる時、重である拍を「強拍(独 Niederschlag、英 downbeat)」、軽である拍を「弱拍(独 Auftakt、英 upbeat)」と呼ぶ。
強拍は歩行の時の利き足、または踊りの重いステップに擬せられることが多い。
ひとつの強拍とひとつまたはいくつかの弱拍との組み合わせが、規則的に繰り返す時、拍子(ひょうし)が生ずる。
 
拍節は基本的なリズムであると考えられがちであるが、拍節を持たない音楽は世界中に見られる。
 
◆歌舞伎(かぶき)http://bit.ly/vTJnT1
歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。
 ●語源
歌舞伎という名称の由来は、「傾く」(かたむく)の古語にあたる「傾く」(かぶく)の連用形を名詞化した「かぶき」だといわれている。
戦国時代の終わり頃から江戸時代の初頭にかけて京や江戸で流行した、派手な衣装や一風変った異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特にそうした者たちのことを「かぶき者」とも言った。

そうした「かぶき者」の斬新な動きや派手な装いを取り入れた独特な「かぶき踊り」で、慶長年間(1596年 - 1615年)に京・江戸で一世を風靡したのが出雲阿国である。慶長8年(1603年)京都で始めたと言われる。
その後阿国を模倣したさまざまな踊りが世に出たが、その多くが「かぶき踊り」の範疇で受け取られた。これが今日に連なる伝統芸能「かぶき」の語源となっている。
 
この「かぶき」に「歌い舞う芸妓」の意から「歌舞妓」と当て字したのはその後のことだった。
寛永6年(1629年)に女歌舞伎が禁止されると、芸妓に連なる「妓」の字に代わって伎楽に連なる「伎」の字を用いた「歌舞伎」の表記が見られるようになるが、江戸時代を通じてこの「歌舞妓」と「歌舞伎」は混用されていた。
これが現在のように「歌舞伎」に落ち着いたのは明治になってからのことである。
 
歌舞伎の元祖は、慶長8年(1603年)に北野天満宮で興行を行い、京都で評判となった出雲阿国といわれている。
阿国は出雲大社の巫女だったとも河原者でもあったというが、定かではない。
阿国はその時代の流行歌に合わせて、踊りを披露し、また、男装して当時のかぶき者の振る舞いを取り入れて、当時最先端の演芸を生み出した。
この頃の歌舞伎は能舞台で演じられており、現在の歌舞伎座をはじめとする劇場で見られる花道はまだ設置されていなかった。
 
阿国が評判になると多くの模倣者が現れ、遊女が演じる遊女歌舞伎(女歌舞伎)や、前髪を剃り落としていない少年の役者が演じる若衆歌舞伎が行なわれていたが、風紀を乱すとの理由から前者は寛永6年(1629年)に禁止され、後者も売色の目的を兼ねる歌舞伎集団が横行したことなどから慶安5年(1652年)に禁止されて、現代に連なる野郎歌舞伎となった。そのため、歌舞伎では男性役も女性役もすべて男優が演じる。
それは江戸時代の文化の爛熟の中で洗練されて完成し、独特の美の世界を形成するに至っている。
 
◆出雲 阿国 http://bit.ly/sKJY4y
 出雲 阿国(いずもの おくに、元亀3年?(1572年) - 没年不詳)
歌舞伎の創始者といわれる安土桃山時代の女性芸能者。
 
於国、国、国子、おくに、くになど、さまざまに表記されている。
 
◆かぶき者 http://bit.ly/yrFP5V
かぶき者(かぶきもの。傾奇者・歌舞伎者とも表記)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に慶長から寛永年間(1596年~1643年)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した。
異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。
茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。
 
◆衆道(しゅどう)
日本においての、男性による同性愛・少年愛の名称および形態である。
「若衆道」(わかしゅどう)の略であり、別名に「若道」(じゃくどう/にゃくどう)、「若色」(じゃくしょく)がある。
 
平安時代に公家や僧侶の間で流行したものが、中世以降武士の間にも広まり、その「主従関係」の価値観と融合したとされる。
 
◆河原者(河原乞食・河原人)http://bit.ly/yaxwB9
中世日本の代表的な被差別民の一種である。