耳をふさぐ保護者たち~「被曝」や「検査」を口にすると白眼視。郡山市の母親は語る | 民の声新聞

耳をふさぐ保護者たち~「被曝」や「検査」を口にすると白眼視。郡山市の母親は語る

原発事故の地元なのに、どうしてきちんと向き合わないの─。子どもへの甲状腺検査を呼びかけると白眼視され、被曝を口にすると文句を言われる。原発事故から3年が経ち、現実から目を逸らして生活を続けている大人たちの様子を、郡山市の母親(45)が語った。娘の甲状腺で見つかった無数ののう胞。だからこそ、他の子どもたちもきちんと検査を受けて欲しい。母親の話からは、「福島は安全だ」と自分に言い聞かせて暮らし続ける大人たちの、複雑な心理が垣間見える。


【「忘れたいのに…」と迫った保護者】

 ただ呆然とするしかなかった。

 PTA役員を務めていることから、100人ほどの保護者の前で被曝や甲状腺検査について話をする機会があった。自宅の庭は、昨年夏の段階で2μSv/hもあった。近所の家族は自主避難先から続々と戻ってきていた。避難先の新潟県からそろそろ戻ろうかと持ちかけられた友人には、戻らない方が良いと話した。こんなに汚染が酷いのに。せめてきちんとした検査を受けて欲しい─。集まった保護者らに呼びかけた。ところが…。

 「自宅に電話がかかってきました。あなたの言っていることは間違っていると。被曝のことは忘れたいのに何で思い出させるの?とも言われました」

 別の母親からは「本当のことを知った時、落ち込んでしまうから検査は受けない」と言われた。「どうせ親は先に死んでしまうのだからいいじゃん」と無責任な言葉を投げかける保護者もいたという。「みんなに危機感を持ってほしいのですが、耳をふさいでしまっている状況です」。

 少しでも健康被害が起こらなければ良いと発言し続けてきたが、最近は少なくなったという。相手の反応にイライラし、心を病むのも馬鹿馬鹿しい。そんな気持ちになるのも無理もない。「それに、自分の子どものことで手一杯ですから」。長女の甲状腺で今、のう胞が増え続けているのだ。
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除染が済んだ郡山市内の公園。見にくいが手元の線

量計は0.3μSv/h前後を示した

=郡山市日和田町


【無数ののう胞が見つかった長女】

 「まるで〝クモの巣〟のようでした」

 エコー写真を目の当たりにしたときの衝撃を、母親はそう表現した。福島駅西口にある「ふくしま共同診療所」。福島県立医大での甲状腺検査は「異状なし」だったが、やはり心配で、当時16歳だった長女に自主的に二次検査を受けさせた。検査希望者が多く、数カ月待った末、ようやく検査にこぎつけた。

 結果は「A2」。もはや数えることもできないほどののう胞がエコー検査で見つかった。結果は両親に告げられた後、検査をした医師から直接、長女にも伝えられた。「小児がんを発症する可能性がないとは言えない」。

 16歳の少女には酷な結果。長女は3日間、部屋に引きこもり、食事も摂らなかった。「どうせ早く死んでしまうんだ」などと、ツイッターでネガティブな書き込みもした。「原発事故」「被曝」「健康被害」という問題に、母娘が直面した瞬間だった。

 思えば震災直後は、屋外で行列に加わるばかりの毎日だった。

 当時、スーパーマーケットには開店前から長蛇の列が出来ていた。母親も、長女を連れて午前9時から並ばざるを得なかった。ようやく店内に入れても、目当ての商品が無いことも珍しくなく、わずか数分で別の店舗に移動することもしばしばあった。帰宅するのは午後1時すぎ。放射性物質に関する情報が乏しい中でのこのような日々が、長女ののう胞増加につながったのかも知れないと考えると胸が痛む。

 18歳になった長女はその後、定期的に甲状腺検査を受けている。4回目となった直近の検査でも、少しずつのう胞が増加しているのが確認された。「こんな状態なのに、なぜ県立医大はあっさりと『異状なし』と判定したのか?不思議でなりません。共同診療所が開設されたから良いですが、そもそも、郡山市内の病院に電話をかけて甲状腺検査を依頼しても『甲状腺検査はやりますが、2万円です。それに被曝に関する検査ならやりませんよ』と言われるばかりでした」
 ガラスバッジを使った個人被曝量測定も、実際には正確な測定がされていないことを実感している。長女も3歳年下の長男も、ガラスバッジを首からぶら下げずに放置していることが少なくない。同級生も、報告書には適当に数値を記入しているという話を耳にする。「これで『健康に影響はない』と言われても…。やはりきちんと二次検査を受けるべきだと思います」。母親は保護者の意識が変わることを望んでいる。

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(上)福島県と県立医大が配布している「県民健康管

ファイル」。うたい文句は「放射線に関する貴重な記録

となります」

(下)ふくしま共同診療所での甲状腺検査の様子

(イアントーマスアッシュ監督作品「A2-B-C」より

(c)Ian Thomas Ash 2013)

【難しかった県外避難】

 福島県外への避難も考えなかったわけではない。

 「子どもの年齢がもっと低ければ、動けたかもしれません。でもね、結局、戻ってきたら再び放射線を浴びるわけで、そうしたら一時的に避難しても同じような気もして…」
 震災の年の4月に予定されていた東京への修学旅行は秋に延期され、部活や学習塾での講習などが目白押しになっていく毎日で、避難のタイミングは逃すばかりだった。九州で暮らす親類が呼んでくれたが、今後の収入や学校のことを考えると動くまでには至らなかった。

 「それに、震災直後の世の中は、『福島の人』というだけで冷たい仕打ちをしたものです」

 近所の家族は県外に避難したが、転校先の学校で「放射能がうつるから近づくな」といじめられ子どもが不登校になった。福島ナンバーというだけで自家用車を傷付けられたという話も多く耳にした。夫は、福島から赴任して来たというだけで、転勤先の職場でただ1人線量計を持たされた。母親は結局、郡山市での生活を続け、定期的に検査を受ける道を選んだ。
 長男は幸いにして多数ののう胞が見つかることは無かったが、姉の状態に思うところがあったのか、中学校に進学した直後の自己紹介で、こんなことを口にしたという。

 「僕は30歳で死にます。放射能を浴びて被曝していますから。皆さんさようなら」

 子どもたちに深刻な健康被害が生じるのか否か、誰にも分からない。だからこそ、定期的な検査は続けて行こうと考えている。

(了)