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志葉楽のブログ-江戸戯作は色彩の豊かさも特徴



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これも日本文化だよ
一日がかりで調べたけれどもマダマダこれでも一部です。
みなさんもこの日本を楽しんで下さい。

桃山晴衣うた語り/長者と鉢(信貴山縁起絵巻より)作:円城寺清臣
http://www.youtube.com/watch?v=B7UvLGlNAOI&feature=youtube_gdata_player
雪女/脚本・作曲・演奏:桃山晴衣 語り:桂小文枝 作詞:円城寺清臣
http://www.youtube.com/watch?v=hjkE38JI0uA&feature=related
『戯作三昧』 芥川龍之介  ちくま文庫芥川龍之介全集
『戯作三昧』は、『南総里見八犬伝』を書いた滝沢馬琴の芸術至上主義の生き方を、ある1日を取り出して描いた作品である。
http://www.geocities.jp/pluto_naoko/1-11.html
芥川龍之介 戯作三昧
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/38_14487.html
江戸時代後期戯作の研究【発表論文一覧】
http://kigoshi.ypu.jp/paper.html
書物逍遥 石川巖の『明治初期戯作年表』 
http://blog.goo.ne.jp/rubaiyat_2009/e/b71225afc55c4000596ebf83e7d6115f

戯作(げさく、ぎさく)
◆戯作(げさく、ぎさく)とは、近世後期、18世紀後半頃から江戸で興った読み物の総称。明治初期まで書かれた。戯作の著者を戯作者という。

● 種類
戯作は、洒落本、滑稽本、談義本、人情本、読本、草双紙などに大きく分けられる。さらに草双紙は内容や形態によって赤本、黒本、青本、黄表紙、合巻に分けられる。

▲ 洒落本(しゃれぼん)
洒落本とは、遊所での遊びの様子を書いたもの。山東京伝の『傾城買四十八手』などがある。

▲ 滑稽本(こっけいぼん)
滑稽本とは、おかしみのある話。式亭三馬『浮世風呂』、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』などが代表的。

▲ 談義本
談義本とは、滑稽さと教訓を合わせ持っていた、滑稽本のはしり。

▲ 人情本(にんじょうぼん)
人情本とは、主に恋愛を描いたもの。為永春水の『春色梅児誉美』や『春告鳥』などに代表される。

▲ 読本(よみほん)
読本とは、口絵や挿絵もあったが、文章中心の読み物であるところから読本と呼ばれた。中国文学の白話小説から影響を受けて生まれた。史実に取材することがあっても基本的にフィクションであり、勧善懲悪思想などを中心に据えた読み物であった。
娯楽性も強いが、草双紙などと比べ文学性の高いものと認識されており、初期読本は知識人層によって書かれた。印刷技術や稿料制度など出版の体制が整っていたこともあり多くの読者を獲得したが、発行部数などは草双紙に及ばない。江戸や大坂で上田秋成、曲亭馬琴、山東京伝といった作者が活躍した。

代表的な読本には、秋成の『雨月物語』や馬琴の『南総里見八犬伝』などがある。

▲ 草双紙(くさぞうし)
草双紙とは、絵に仮名で筋書きが書き込まれた物語。絵草紙(絵双紙)または単に絵本と呼ばれることもあった。子供向けのものが多かったが、次第に大人向けの洒落・滑稽な内容のものが書かれるようになった。表紙の色と内容によって分類される。

赤本 - 子供向け。桃太郎などの昔話ほか。
黒本 - 敵討ちなどの忠義や武勇伝など。
青本 - 少年や女性向けで、芝居の筋書きを書いたもの。
黄表紙 - 大人向けの、娯楽性が強い本。筋書き以上に、言葉や絵の端々に仕組まれた遊びの要素を読み解くことに楽しみがあった。表紙の色は黄色だったが、当時は青本と区別されていなかった。
後年の研究者によって分類された。
合巻 - 話が長く、三冊以上の分冊になったものを一巻に綴じたもの。絵入りだが、内容も比較的読本に近い。草双紙と言えば合巻のことを指すこともある。
歴史 [編集]「戯作」の言葉自体は中国に古くからあり、その影響から日本でも江戸時代以前から使われていた。正当な表現に対するパロディや軽く茶化した表現のことを戯作と呼ぶようになった。

● 江戸時代の戯作
荻生徂徠などの影響で、当時の中国文学の口語小説の紹介・研究が進み、その影響を受けて読本などが書かれるようになった。また、『風流志道軒伝』などを書いた平賀源内は戯作者の祖と言われる。
初期の戯作者の多くは大田南畝などの武士階級であった。18世紀中盤から洒落本や、草双紙の中でも黄表紙が栄えた。

しかし寛政の改革の弾圧によってそれまでの戯作に影が差すと、替わって庶民の中から式亭三馬や十返舎一九などの戯作者が現れ、読本や人情本、草双紙では合巻が多く流通するようになった。
さらに天保の改革によって人情本が衰退すると、その穴を埋めるように合巻の刊行点数が増大した。

● 戯作者の伝記資料
石塚豊芥子『戯作者選集』(『笠間叢書』96(1978年)に、広瀬朝光影印本あり)
岩本活東子『戯作者小伝』(『燕石十種』第2輯所収)
岩本活東子『戯作六家撰』(『燕石十種』第2輯所収)
明治時代の戯作文学 [編集]滑稽な内容のものは歓迎されなくなり、一時期プロの作家は仮名垣魯文ら5人にまで減少した。
しかし政治的背景を元にした古典文芸の復権があった他、新聞の連載小説形式や活版印刷技術などの登場を機に明治10年頃から合巻が再び脚光を浴びるなど戯作は明治期にも続けられていた。坪内逍遥らが近代文学を成立させるためにはそれまでの戯作に対する批判をする必要があった。

◆ 関連項目
・小説
・浮世草子
・お伽草子
・日本の近世文学史
・戯画
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%AF%E4%BD%9C 」より作成

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◆洒落本(しゃれぼん)とは、江戸時代中期の戯作の一種である文学。半紙四分の一大の小型の判型で「こんにゃく本」とも呼ばれた。

遊所(遊廓など)での遊びについて書かれたものがほとんどで、粋(いき)を理想とし、遊女と客の駆け引きを描写したり、野暮な客を笑いのめした内容が主であり、話を楽しむためだけでなく、実用的な遊び方指南や一種のガイド本として読まれた。

もとは仮名草子の遊女評判記の類や、井原西鶴らの浮世草子にある遊里の描写がルーツであるが、洒落本の元祖と目されるのは享保年間出版の『両巴巵言(りょうはしげん)』(1728年)、『史林残花』で、漢文体で江戸・吉原の風俗を滑稽に描いたものである。

のちには俗語の会話体を主としたものに変わっていった。无々道人(漢学者沢田東江の変名)の『異素六帖』(1757年)は仏者、歌学者、儒者の3人が色の道や遊里について面白おかしく議論するという内容である。

明和期の『遊子方言』(1770年)に至って洒落本のスタイルが整った。
通人をきどる男がうぶな息子を連れて吉原に行くという筋で、茶屋の女房や遊女らとの会話を中心にして吉原の風俗や粋と野暮との対比を描いている。これが評判となり、類書が多く作られた。遊里の細部を描写する「うがち」を特徴とする。
洒落本の全盛は天明期前後で、代表的な作者は山東京伝らである。大田南畝もいくつかの変名で書いているといわれる。

松平定信が主導した寛政の改革のもと、1791年に京伝の作(黄表紙と洒落本)が摘発され、版元の蔦屋重三郎は過料、京伝は手鎖50日という厳しい処罰を受けたため、一時洒落本は姿を消した。寛政の後期から復活し、十返舎一九、式亭三馬らも洒落本を書いたが、やがて遊里の世界を離れた滑稽本や人情本が主流になっていった。

洒落本の叢書として『洒落本大成』(29巻、補巻1、中央公論社)が刊行されている。

● 主な作品
『異素六帖』(1757年)无々道人=沢田東江
『遊子方言』(1770年)田舎老人多田爺
『甲駅新話』(1775年)山手馬鹿人=大田南畝という(甲州街道の内藤新宿が舞台)
『傾城買虎之巻』(1778年)田にし金魚
『通言総籬』(1787年)山東京伝
『古契三娼』(1787年)山東京伝
『傾城買四十八手』(1790年)山東京伝
『繁千話』(1790年)山東京伝
『傾城買二筋道』(1798年)梅暮里谷蛾

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◆仮名草子(かなぞうし)とは、江戸時代初期に仮名、もしくは仮名交じり文で書かれた、近世文学における物語・実用的な文章を総称したもの。

● 概略
御伽草子の延長に生まれ、仮名を用いた庶民向けの読み物として出版され、雑多な分野を含む。
作者の多くは当時の知識人層であり、浅井了意、鈴木正三(しょうさん)、烏丸光広らが知られている。

仮名草子の中から井原西鶴による『好色一代男』などの優れた文芸が著されるようになり、これは後に浮世草子と区別して呼ばれるようになる。

● 内容
啓蒙的な内容のものが多い。儒教的な教訓を含んだ物語や説話集、笑話のほか、名所案内記、また野郎評判記、遊女評判記のように実用的なガイドブックとして読まれたものもある。

● 主な作品
『仁勢物語』(作者不詳)
『清水物語』(朝山意林庵)
『竹斎』(富山道冶)
『恨之介』(作者不詳)
『東海道名所記』(浅井了意)
『あづま物語』(作者不詳・遊女評判記)
『難波鉦』(酉水庵無底居士・遊女評判記)
ほか多数


仮名草子の叢書として約200編を収める「仮名草子集成」(全45巻、東京堂出版)がある(2009年3月現在、45巻まで刊行)
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◆遊女評判記(ゆうじょひょうばんき)は、江戸時代初期 - 中期に刊行された遊女の評判記。

もとは仮名草子の中に遊廓を案内するものがあった。遊女一人一人の評判を記したものとして1655年(明暦元年)の「桃源集」があり、京都・嶋原遊郭の高級遊女(太夫・天神)53名を取り上げている。

宝暦(1751-1763年)頃まで刊行されたが、吉原遊廓の太夫が姿を消した時期に刊行が途絶えた。

● 関連項目
吉原細見
役者評判記
● 参考文献
『江戸名物評判記案内』(中野三敏、岩波新書)
『近世初期遊女評判記集』(小野晋、古典文庫、1965年)
『近世文学資料類従. 仮名草子編 34-36巻』(勉誠社、1978-1979年
『初期浮世草子年表・近世遊女評判記年表』(野間光辰、青裳堂書店、1984年)

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◆滑稽本(こっけいぼん)は、江戸時代後期の戯作の一種。読本や草双紙とともに、俗文学の一種。

談義本を継いで生まれたおかしみのある話。物語性を重視し漢語がちりばめられた読本に比べ、滑稽本は会話文を主体とした平易な文章で、単純な言葉の引っかけや常識から逸脱した言動、下ネタなどで大衆的な読者の笑いを誘う。
半紙本で比較的高価な読本に対し滑稽本は中本で廉価なものが多く、読本ほどの漢語知識と構成力は必要とされないため仲間内で趣味的に作られることも多く、地方でも独自に出版された。
当時の落語と相互に影響を与え、滑稽本に書かれた話が落とし話として演じられることもあった。

● 主な作品
『浮世風呂』(式亭三馬)
『浮世床』(式亭三馬)
『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)

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◆人情本(にんじょうぼん)とは、江戸時代の戯作文芸の一種で、退廃的な恋愛や風俗を中心に描いたもの。

洒落本を前身に19世紀初頭頃から書かれるようになった。
為永春水の『春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)』や『春告鳥』などに代表される。天保の改革によって特に好色画本が禁圧され、為永春水らが罪に問われるなど戯作者・版元に圧力が加えられると、人情本は衰退し、その穴を埋めるように合巻の刊行点数が増大した。

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◆読本(とくほん)は、語学の教科書や一般向けの入門書。外国語教育において、文法、会話などと並ぶ、文章を読解することおよびそのための能力を育成することを目的とした課程およびそのための教科書などの名称。
読本(よみほん)は、江戸時代後期の戯作の形式の一種。

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◆読本(よみほん)は、江戸時代後期に流行した伝奇小説。
寛政の改革以降流行し、文化文政の頃全盛となり、明治になっても活字本として流布し読み継がれた。

● 概要
文章中心の読み物であるところから読本と呼ばれたといわれてきたが、後期読本(江戸読本)に成ると、作者が下絵を描いた口絵や挿絵の存在意義も重要になる。
史実に取材することがあっても基本的にフィクションであり、勧善懲悪や因果応報を作品構成の方法として採用した読み物であった。
娯楽性も強いが漢語が散りばめられ、会話文主体で平易な滑稽本や草双紙などと比べ文学性の高いものと認識されており、高価であった。印刷技術や稿料制度など出板の体制が整っていたこともあり、貸本屋を通じて流通したため多くの読者を獲得したが、大衆的で廉価な草双紙とは流布した量では比較にならないほど少ない。
18世紀の大阪では都賀庭鐘や上田秋成が、19世紀になると江戸で曲亭馬琴・山東京伝といった作者が活躍した。

● 歴史
当時の中国文学の白話小説から影響を受けて生まれた。古典とは違い同時代の中国語で書かれた白話小説は、唐通事という当時の中国語通訳のための教科書として日本に持ち込まれたが、やがてそれらの小説を実用目的ではなく楽しみとして読むものが現れ、影響を受けた創作や翻訳を行うものが現れた。
特に荻生徂徠らに中国語を教えたこともある岡嶋冠山、さらに岡田白駒、都賀庭鐘、沢田一斎らによって出版物や講義の形で一般に俗語小説が広められ、読本が生まれる環境が作られた。

そのため初期読本は古典的知識を持つ知識人層によって書かれた。白話小説からの翻案が行われ、さらに18世紀の後半には単なる翻案に留まらない『雨月物語』などの代表作が書かれ前期読本が栄えた。

明治時代に入ってからも馬琴の評価は高く、坪内逍遥や二葉亭四迷によって近代文学が打ち立てられるまで日本文学は読本など戯作の影響を逃れなかった。

代表的な読本 [編集]『雨月物語』上田秋成
『南総里見八犬伝』曲亭馬琴
『繁夜話』都賀庭鐘
『英草紙』都賀庭鐘
『本朝水滸伝』建部綾足
『椿説弓張月』曲亭馬琴


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◆草双紙(くさぞうし)とは、江戸時代の戯作文芸の一種で、絵を中心に仮名で筋書きが書き込まれた物語。
絵草紙(絵双紙)または単に絵本と呼ばれることもあった。
子供向けのものが多かったが、次第に大人向けの洒落たものや滑稽なものが書かれるようになった。
江戸において出版された草双紙のことを地本といい、地本や錦絵を商う版元を地本問屋といった。

● 種類
表紙の色と内容によって以下のように分類される。

● 赤本
草双紙の初期の作品。享保の頃が全盛期。貞享、元禄から宝暦頃に流行する。大きさは半紙半截、1冊5丁を形式的条件とし、初期のものは、半紙半截よりやや小さく、赤小本といった。
子供向けの読み物。桃太郎、舌切り雀、さるかに合戦などの昔話や絵解きなど、教育的な要素が強く、正月の贈答品にもなっていた。おおむね鳥居清満、近藤清春など画工により作られた。

● 黒本
表紙の色から黒本という。敵討などの忠義や武勇伝、浄瑠璃・歌舞伎、謡曲、仮名草子、軍記物、御伽草子、浮世草子など多様な内容になってきた。およそ創作性が加わった。
作者と画工を兼ねる場合が多い。同一内容が赤本、黒本の2種として同時刊行されさえした。青本と前後して流行するが、体裁が野暮ったいとして早くすたれた。
延享年間から刊行され、半紙半截5丁、まれに6丁を1冊とし、2、3冊で1部とした。青年男女を読者とし、内容も赤本より高まり、安永4年(1775年)以降もわずかに刊行された。

● 青本
黄色(もえぎ色)の表紙(黄色を青と称した)で、少年や女性向けに芝居の筋書きなどを書いたもの。おとぎ話、歌舞伎・浄瑠璃物、歴史物などがある。
黒本と前後して流行し、内容も似たようなものであるが、明和・安永の初めが全盛期で、しだいに男女の恋愛や遊里なども取上げられるようになった(大人向けの黄表紙というジャンルが生まれるが、同時代にはまとめて「青本」と呼ばれていた)。

● 黄表紙
大人向けの娯楽性が強い本。筋書き以上に、言葉や絵の端々に仕組まれた遊びの要素を読み解くことに楽しみがあった。
表紙の色は黄色で当時は青本と区別されていなかった。
安永4年(1775年)に刊行された恋川春町の『金々先生栄花夢』が黄表紙の代表作であり、のちにはこれ以降の草双紙を黄表紙として青本と区別するようになった。
フキダシの様なものが描かれるなど現代の漫画に通じる表現技法を持つ。漉返半紙または上半紙半截二つ折本、1冊5枚の形式、これが2冊または3冊で1部をなす。
研究者によっては安永4年(1775年)から文化3年(1806年)刊行のものをいう。

● 合巻
長編化し、それまで五丁で一冊に綴じていたものを十丁ないし十五丁単位で一冊に綴じたもの(この形式を明瞭にとったのは、文化3年(1806年)の式亭三馬の『雷太郎強欲悪物語』からである。
三馬は合巻形式の発案者であるという)。
絵入りだが、内容も比較的読本に近い。草双紙と言えば合巻のことを指すこともある。
柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』などが代表作である。しかし天保の改革の影響により華美な装丁が禁じられ、いったんは衰退する。しかしこの改革によって好色画・好色本が禁圧され人情本が衰退すると、人情本の読者が合巻に流れて刊行点数が増大した。
また改革の影響で既存の版元の枠組みが崩れたことにより、新興の版元が多くの合巻を出版するようになった。

明治に入ると合巻の作者は執筆の場を新聞の連載小説に移し、新たな読者層を獲得した。長編の伝奇ものが流行した。また活版印刷の導入によって絵に対して文章の比重が高まったほか、発行部数の増大などの変化があった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E5%8F%8C%E7%B4%99 」より作成

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◆黄表紙(きびょうし)は、江戸時代中期の1775年(安永4年)以降に流行した草双紙(一種の絵本)のジャンルの一つ。

恋川春町の『金々先生栄花夢』(1775年刊行)が、それまでの幼稚な草双紙とは一線を画する、大人向けの読み物として評判になった。それ以降の一連の作品を、のちに黄表紙と呼ぶようになった。1冊5丁で、2・3冊からなるものが多い。毎年正月に刊行されるのが通例であった。なお、朋誠堂喜三二、恋川春町の「文武二道」を冠する黄表紙は、松平定信の文武奨励策を風刺したものとして、幕府から圧力を受けた。山東京伝の洒落本・黄表紙も摘発され、京伝は手鎖50日の刑を受けた。文化期頃から敵討ち物が全盛となって長編化し、合巻というジャンルに移行した。

● 特徴
『金々先生栄花夢』からも知られるように、黄表紙の筋書き自体はたわいもないような話であるが、言葉や絵の端々に仕組まれた遊びの要素を読み解くことに楽しみがあった。ふきだしの様なものが描かれるなど現代の漫画に通じる表現技法を持っていた。

代表作 [編集]『金々先生栄花夢』(1775年)恋川春町[1]
『江戸生艶気樺焼』(1785年)山東京伝
『文武二道万石通』(1788年)朋誠堂喜三二
『鸚鵡返文武二道』(1789年)恋川春町


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◆合巻(ごうかん)とは、19世紀前半の草双紙の一種であり、黄表紙が内容の複雑化に伴って長編化したものである。
従来5丁1冊のものを数冊合綴したところから、このように呼称されるようになった。

伝奇色の強いものが多く、歌舞伎絵風の華麗な表紙・挿画が読者の関心をひいた。
文化ごろから明治中期にかけて盛行した。

● 代表的な作者
初代 姥尉輔
式亭三馬
柳亭種彦
山東京伝
曲亭馬琴

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◆漫画(まんが、英: comics(コミック)、manga )とは、狭い定義では笑いを企図した絵をいう。これは「戯画(カリカチュア)」の概念と近い。
広い定義では、必ずしも笑いを目的としない「劇画」「ストーリー漫画」「落書き」「アニメ」なども含み、幅広い意味を持つ。

これは"comic"と同義であり、明治時代に北澤楽天や今泉一瓢が"comic" "cartoon"の訳語として「漫画」という言葉を使用したことに始まって以後、この意味での「漫画」が昭和初期に普及し、現代における漫画という語へ定着するようになった。
ここでは、日本の漫画独特の表現や歴史ではなく、comicと同義語としての漫画として説明する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%AB%E7%94%BB

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江戸という時代はとてつもないエネルギーを潜ませて居たようだ。
これも日本文化の一令にしか過ぎない。
余計なモノ大分省いてもこれは説明できない量になってくる。
ある人が言っていたけれども外国人が日本を理解出来ないのはアタマで考えるよりも体で感じないといけない。
何度も書くけれども日本に生れて良かったし喜びを感じる。
私の様な学識もまともに無いものでもこれだけの事を見て感じる事が出来る。
ほとんど転載だけど読んで居て半分も理解出来ない。
範囲が広すぎる。デモ幸せだけは感じている。
これだけのものを編んでくれた諸先輩に感謝します。
読んで下さる皆様にも感謝します。
ありがとう