日本でも海外でも

日本人にいるのが


「一つ盛る」人。


自分の人生に

過剰な期待をし過ぎている

お受験ママタイプに多い

かも知れない。


「一つ盛る」とは


「少しだけオーバーに言う」


「ちょっとだけデフォルメする」


という事だ。


少しだけオーバー

ちょっとだけデフォルメ


などという表現を使うと

何だかかわいらしい印象があるが


「一つ盛る」は

声のトーンや

その表現や

言い切り方などが

積み重なるとモンスターとなる

可能性がある。


例えば

この「一つ盛る」現象は


「自分の知り合いにこういう人がいる」


ということを話す時に

現れるケースが多い。


この「一つ盛る」タイプは


「自分の知り合いは

できるだけ凄い人でいて欲しい」


というただならぬ願望

いや欲望があるのかも知れない。


それは自分を大きく見せようと言う

見栄か偏見か

その吹き溜まりかわからないが


自分の知り合いの肩書きは

必ず一つ盛られて説明される。


「支社長」は「オーナー」


となり


「店長」は「社長」


となり


「人気作家」は「超人気作家」


となるなど


本当に一つだけ盛られる。


また


マンションを一軒持っていれば


「不動産王」


となり


有名店で見掛ければ


あの店の「超常連の人」


となる。


悪気はない。


多分。


きっと。


悪気がないから

さらに人に不快な感じを与える。


こういうタイプに限って

声が大きく通る。


何か張って生き続けなければ

何かを隠せないのかと思ってしまう

ぐらいに。


また

この「一つ盛る」タイプは

全く聞いてもいないにも拘らず

出会いがしらに

その偶然会った数秒間で


自分の予定や

今後のスケジュールを

突然伝えて来る事が多い。


それも


「来週から海外の〇〇に行く」


という

全くこちらとしては

知りたくもない情報を

押し売りしてくる。


これも「一つ盛る」に入る。


さらに

これらの人はもう一つ盛る

ケースが多い。


5日間行くんです。


多分3泊5日なのだろう。笑


その国に行く事も

何日行くかも

本当に言われても困るし

それを勝手に耳に入れられた事は

とても苦痛であり

ある種

当て逃げ状態である。


またスケジュールだけならまだしも

その数秒間に自らの生い立ちの記の

一つ盛られた華やかな部分だけを

早口で捲し立てて伝えてくる人もいる。


僕は自由自在に手を使わずに

耳をふさぐテクニックを持っているが

いいひとは本気にするだろうなぁ。


ここで思うのが


なぜ普通に言えないのか

ということである。


支社長は支社長

店長は店長

でいいではないか。


もし目の前で言われたら

言われた本人も困るし

嫌な思いをするのではないだろうか。


もっと言えば

知り合いが大物でそれがどうした

というのだろうか。


知り合いが大物

来週海外に行く事


が何を大きく見せることに

繋がるのだろうか。


知り合いが大物

来週海外に行く事の報告

一つ盛られた過去


を語れば語る程

小さくなっていくという事に

気づかないのだろうかと

考えてしまう。


さて


こういう人は

一つ盛ることが頻繁で日常化し

かなり激しい一つ盛りタイプだが


人間少なからず

自分の話を盛ることはある。


なぜ人は一つ盛るのか。


やはり

何か笑えるエピソードを体験した時

それを誰かに伝える時は

一つ盛ってしまっていることはある

かもしれない。


もちろん

そのままという時が多いが

さらにわかりやすく伝えたいという

思いから

思わず

「今一つ盛ってるな俺」

という時は正直ある。


できるだけ

盛らずにと思うが

人間

ひとを楽しませようと思った時は

つい一つ盛っているかも知れない。


そうか。


という事は

上で書いたタイプは

もしかしたら

楽しませようとしているのか。


さらに恐ろしい。


しかし


人間は何かを伝える時に

少しずつ盛るとしたら


様々な史実も

その歴史と時間を積み重ね

後世に伝えつがれる度に

少しずつ一つずつ盛られている事も

あるかも知れない。


笑い話ならまだしも


人間が話に一つ盛るという

習性があるとしたら


これは

積み上げて行けば

子供の頃にやった

伝言ゲームのように

その言葉は少しずつ微妙に

変化して伝わり

その時間と共に


見た事もない

モンスターとなっている可能性はある。


それにしても

なぜ人は一つ盛るのか。


この一つ盛る習性がある

ということを知っておくことと

無駄に一つ盛る事は

逆に自分を盛り下げるという事を

要注意していないとならない

のかも知れない。


おちまさと


一日

一回も何も盛らずに

生きて行けるだろうか。


誰だか忘れてしまった人に

突然挨拶されて思い出せないにも

拘らず


「おいっす!」


みたいに返すことも

それも一つ盛っていることだ。


「お似合いですよ」


というショップの店員さんも

一つ盛ったという事だ。


調子悪いのに


「元気っす!」


っていうのも。


そう考えると


一回も盛らないで

一日生きるのは不可能か。


だけど

上に書いた

知り合いの肩書きに一つ盛る怪物

とは意味が違うが。


できるだけ

フラットに生きたいもんだ。


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