●タスキ 襷(たすき)
★襷(たすき) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
和装用具の一つ。着物の袂(たもと)を紐(ひも)でからげて、仕事の能率をあげるために用いられるもの。「襷」は国字で、古くは手繦とも書いた。現在では袂を始末する用具の一つであるが、古墳時代の人物埴輪(はにわ)の女子像には筒袖(つつそで)の小袖に掛けている姿がみられるところから、神事の際の神に奉仕する意味が含まれていたことを物語るものであろう。後世になって、小袖の袂が長く大きくなるにつれて、本来の意味は失われ、仕事の能率をあげることへ、つまり儀礼から実用へと変わったのである。襷の材料は、古代には木綿(ゆう)があり、江戸時代には縮緬(ちりめん)、木綿(もめん)などの絎(くけ)紐、あるいは絹糸、木綿糸を編んでつくった組紐、よしの竹を約15ミリメートルに切ったものを糸で通した竹襷や、ガラス玉を通した水晶襷、数珠(じゅず)玉を通した玉襷などがある。農家では多く藁(わら)襷をする。襷の掛け方は、1本の紐の両端を結んで、一ひねりして左右の袖を通すか、さらに一ひねりして、8字形の中に通したりする。また紐を結ばずに首に掛け、両わきの下を通してから、首の紐を上から通して左右に出してこれを花結びにした例が『法然上人(ほうねんしょうにん)絵伝』の絵巻や名古屋城の屏風(びょうぶ)のなかにみられる。そのほか、襷の一端を口にくわえて袖下を通して別の袖の上から下に回して襷の両端を結ぶ方法、また京都壬生(みぶ)狂言では、踊りながら目にも留まらぬ速さで結ぶ方法などもある。[ 執筆者:遠藤 武 ]
★襷文(たすきもん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
広義に解釈すれば格子模様の一形式。縦・横の筋(すじ)が直角に交差する一般の格子に対して、斜めに交わるものをとくに襷とよんで区別することがある。わが国では櫛歯(くしば)状の用具を使用して、土器の表面に施文した弥生(やよい)時代の素朴な襷文や銅鐸(どうたく)にみられる袈裟襷(けさだすき)文から始まり、奈良時代の染織に表された襷文へと展開していく。とくに奈良時代に流行した羅(ら)という、4本の経糸(たていと)を1組としたからみ織では、組織の線が斜めに走るため、自然と襷模様が織り出されていく。奈良時代以後はこうした織模様の系統の襷に、物差しを使って割り付けた種々の襷模様が加わって、その形式をしだいに整えていった。[ 執筆者:村元雄 ]

★角兵衛獅子(かくべえじし) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
少年少女たちの演ずる軽業(かるわざ)の獅子舞。昭和に入ってからは新潟県西蒲原(にしかんばら)郡月潟(つきがた)村の郷土芸能となったが、もとは門付(かどづけ)の巷間(こうかん)芸能であった。親方が数名の獅子の児(こ)を連れて一年中諸国を巡って歩き、6月25日の月潟村の地蔵祭には帰村して奉納した。親方だけが月潟または近隣に籍を置き、獅子の児は他所(よそ)の孤児などもらい子だった。扮装(ふんそう)は、小さな赤い獅子頭(がしら)を頭に頂き、筒袖(つつそで)の着物に襷(たすき)を掛け、卍(まんじ)紋の入った胸当てをし、裁着袴(たっつけばかま)をはき、白い手甲をつけ、日和下駄(ひよりげた)を履いて、腹に腰鼓をつける。芸には、金の鯱(しゃちほこ)、蟹(かに)の横這(よこば)い、獅子の乱菊、淀(よど)の川瀬の水車などの一人芸と、二人一組芸の肩櫓(かたやぐら)、大井川の川越(かわごし)、唐子(からこ)人形の御馬乗りなどがある。由来譚(たん)は水戸浪人角兵衛の伝授など数種あるが、その存在が宝暦(ほうれき)期(1751~64)まではさかのぼれる。越後(えちご)獅子、蒲原獅子、月潟の獅子ともいう。江戸風俗を飾り、地歌、富本節(とみもとぶし)、長唄(ながうた)舞踊劇、下座(げざ)音楽などの題材となった。[ 執筆者:西角井正大 ]
★懸帯(かけおび) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
公家(くげ)女性の衣服の付属物。
(1)中世公家女性が社寺に詣(もう)でるとき、袿(うちき)や被衣(かずき)の上に、胸から背に懸けた絎紐(くけひも)状の赤い帯。古代の襷(たすき)の名残(なごり)といわれる。
(2)中世末、近世の女房装束(十二単(じゅうにひとえ))の裳(も)につけられた帯。元来裳は、腰で締めて着装するものであって、平安時代中期以降の裳が、単に威儀を正し、装飾的なものとなって後方に引くだけのものとなってからも、腰の位置で締めることに変わりはなかった。しかし、服装の簡略化によって、室町時代末ごろから、裳に懸帯とよぶ紐を左右に結び付けて肩から背面、裾(すそ)にかけて垂らすようになった。江戸時代になると、懸帯は唐衣(からぎぬ)の地質と同じものを用い、刺しゅうを施したものとなった。[ 執筆者:高田倭男 ]
★あやとり(あやとり) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
1本の糸や紐(ひも)を輪にして両手に掛け、おもに指を使って糸のつくりだす形を変えていく遊び。「綾取り」などとも表記される。二人あるいは数人で互いに糸を取り合って、次々と形を変えていく「ふたりあや」や、「はしご(橋とも)」「ほうき(松とも)」など一人で形をつくりあげたり、手指や腕に絡めた糸を引き抜く手品のような遊び方がある。
江戸時代の「あやとり」(江戸)、「いととり」(京、大坂)は、「ふたりあや」だけをさす呼び名であったが、今はこの糸遊びの総称となっている。三都以外の地方には「ちどり、たすきどり、かせとり、とりこ」などいろいろな呼び名があった。「あやとり」の語源については諸説あるが、「あや(綾、文)」には「X状に交差した形」の意味があり、「ふたりあや」で二本の糸の交差を取り上げることに由来するという説が有力である。
あやとり紐には、麻糸、木綿糸、毛糸などが使いやすい太さにして用いられてきた。裕福な家庭の子女が、組紐のような太さのある紐で遊んでいたことは、江戸中期以降の木版絵本や錦絵(にしきえ)などにみえる。彩りの美しい紐で楽しむ「ふたりあや」は日本人好みの優雅な遊びのイメージでとらえられ、日本固有の遊びと思われがちであるが、実際には広く世界に分布している。
1880年代からの調査で、世界各地で3000種を超えるあやとりが伝承されていることが明らかになった。大昔、人間が紐類を手にしたときから、自然発生的にあやとりが始められたと考える研究者もいる。「ふたりあや」はアジアや欧米で、「はしご」は世界各地で、どちらもさまざまな呼び名で知られており、その発祥地は不明である。
日本のあやとりの起源を古代の宮中の神事や風習に求める傾向があるが、今のところ、江戸時代以前にあやとりが存在したことを示す証拠は発見されていない。海外のあやとりの場合は、オーストラリアや北米の先住民の儀式のなかで大人が神話の一節を歌い語りながらあやとりをしたり、パプア・ニューギニア先住民や極北地方のイヌイットが呪術(じゅじゅつ)目的のあやとりを伝えていた例がある。
世界各地のあやとりがインターネット上で見られる時代となり、一人で取り方を習得することもできるようになった。しかし、この遊びのベースには、家族・友人だけでなく初対面の人であっても、取り方を教え教わるうちに互いに打ち解けていく心の交流の喜びがある。小学校の昔遊びの時間のような、人から人へじかに伝える機会を増やすことが、この糸遊びの存続の鍵(かぎ)を握っている。[ 執筆者:シシドユキオ ]


★駅伝競走(えきでんきょうそう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
道路上を走る長距離のリレー競走。距離、区間、人数にとくに規定はないが、一般的には5~10区間、1人が走る距離は5~20キロメートルとなっている。各走者は自分の区間を走ったあと、たすきを次走者に渡す。たすきはかならず肩からわきの下に掛け、渡すときは投げたりしないで手渡ししなければならない。日本で始まったレースだが、いまでは海外でも行われるようになった。国際陸上競技連盟では「ロードリレーRoad relay」の名称を与え、全体の距離はマラソン(4万2195メートル)と同じとし、6区間6人でリレーすることが望ましいとしている。
日本で初めて行われた駅伝競走は、1917年(大正6)4月27日から3日間にわたった東海道駅伝徒歩競走で、京都・三条大橋から東京・上野不忍池(しのばずのいけ)までの508キロメートル、23区間を走った。このとき主催の読売新聞社社会部長土岐善麿(ときぜんまろ)が、大日本体育協会副会長武田千代三郎(1867―1932)と図り、このレースを東海道五十三次にちなんで「駅伝」と名づけた。
グラウンドを離れ道路あるいは山野を走るクロスカントリー・レースは外国でも盛んだが、これをリレーでつなぎ、しかもたすきを手渡す方式は日本特有のものである。日本では中学、高校、大学、実業団、あるいは一般などに分かれて、小は町単位、市単位から大は全国大会、国際大会まで多くの駅伝が、トラックシーズンが終わる11月から3月にかけて全国各地で行われ、冬の風物詩にもなっている。
期間の長いものでは、九州一周駅伝(51区間、739.9キロメートル)のように8日間もかかるものもあるが、一般的には1日で終わるレースが多い。代表的な大会としては、男子は正月名物といわれる1920年初開催の東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝、1月2、3日)をはじめ、全日本実業団対抗駅伝(1月1日、前橋)、全国都道府県対抗男子駅伝(ひろしま男子駅伝、1月、広島)、全日本大学駅伝(11月、名古屋―伊勢(いせ))、全国高校駅伝(12月、京都)などがあるが、最近では女子や中学生のレースも行われるようになった。女子のおもなレースでは1983年(昭和58)から始まった全国都道府県対抗女子駅伝(1月、京都)をはじめとして全日本実業団対抗女子駅伝(12月、仙台)、全日本大学女子駅伝(11月、仙台)、全国高校駅伝(12月、京都)などが次々と誕生。いまでは男子とほとんど変わらない数となっている。
全国中学駅伝も1993年(平成5)から始まったが、発育途上にある中学生に関してはアスファルトなど固い道路を走るのは足に悪影響を与えるとして、レースの会場は公園周辺などの芝生や土のあるところに限定され、走行距離も男子6区間18キロメートル、女子5区間12キロメートルなど1人3キロメートル程度になるよう配慮されている。しかし、実際には県予選段階では一般の固いアスファルト道路を走ったり、また全国都道府県対抗大会に出る「ジュニアの部」の選手は、一般の選手と同様の固い道路を走ったりなどしており、この配慮はかならずしも守られているとはいえない。
また駅伝は海外にも広がりをみせ、1986年には北京(ペキン)で日中友好万里の長城駅伝が開かれたのをはじめ、ニューヨークでは全米50州対抗駅伝、韓国ではソウル国際女子駅伝などが開かれている。日本国内でも国際千葉駅伝(男女混合、11月)などに多数の外国チームが参加しており、いまや駅伝は「EKIDEN」の名でも海外に知られるようになった。[ 執筆者:加藤博夫 ]

★たすき【×襷/手×繦】
1 和服の袖やたもとがじゃまにならないようにたくし上げるためのひも。背中で斜め十文字に交差させ両肩にまわして結ぶ。
2 一方の肩から他方の腰のあたりに斜めにかける、輪にした細長いひも。「次走者に―を渡す」
3 ひもや線などを斜めに交差させること。また、そのような形や模様。
4 漢字で、「戈」などの「ノ」の部分。
5 古代、神事に奉仕するための物忌みのしるしとして肩にかけるひも。
「白たへの―を掛けまそ鏡手に取り持ちて」〈万・九〇四〉
◆「襷」は国字。
[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]

★たすき‐がけ【×襷掛(け)】
1 たすきをかけること。また、その姿。
2 ひもや縄などを斜めに交差させてかけること。
3 子供の髪置(かみおき)の祝いに用いる麻苧(あさお)。
4 ⇒襷反(たすきぞ)り
5 「襷掛け人事」の略。
[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]

★たすきがけ‐じんじ【×襷掛け人事】
合併した官庁・企業などが、幹部として、元の組織ごとにそれぞれの出身者を均等に就かせる人事。

◆旧組織どうしの勢力を均衡させるために行う。例えば、当期は会長・専務は旧A社から、社長・常務は旧B社から選び、次期にはこれと逆の任用を行うなど。
[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]


★「ジャパンナレッジ」には面白いことが書いている(有料になります)。
1.た‐すき【襷・手】-日本国語大辞典
〔名〕古代、神事奉仕の物忌みの標(しるし)として肩にかける清浄な植物繊維の紐。*書紀〔720〕神代上「天香山の真坂樹を以て鬘にし、蘿〈蘿、此をば比舸礙(ひかげ)と云ふ〉を以て手〈手、此をば多須枳 ...
2.たすき の の字(じ)-日本国語大辞典
(字の形から)の形の「の」の字の称。「乃」を字源とする「の」の字と区別するためにいう。襷掛けののの字。*浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕道行「たすきのの字にたぐりかけ」 ...
3.たすき‐うし【田鋤牛】-日本国語大辞典
〔名〕「たかきうし(田掻牛)」に同じ。《季・春》[キ] ...