小保方晴子さんの記者会見についての私見 | 中下大樹のブログ

小保方晴子さんの記者会見についての私見

かつて小松左京さんはこう言った。


「現代の大衆というものは、真におどろくべきこと、まったく信じられないようなことが実際に起こっても、ひとつも驚かないし、関心を示さない。むしろ、いかにも起こりそうなことが起こった方が、はげしい関心を示す」と。


小保方晴子さんが、水曜日午後1時からの記者会見を行った。テレビ局は全て他の番組を取り止めて、全局で生中継され、異様なほどの注目を浴びた。


原発事故が起こっても興味を示さないのに、偽ベートーベンこと、佐村河内さんの記者会見は驚くほど興味を示す人がいる。小保方さんの記者会見も、同じようなものなんだろうか?


記者会見はニコニコ生放送でも配信され、累計55万人以上が視聴するなど、こちらも記録的な視聴者数となったという。


数字だけ見ると、今迄、小保方さんの名前も知らないどころか、理化学研究所の存在すら知らなかった人々が、一斉に興味を持ってテレビにかじりついたと言えるだろう。


社会からバッシングされ続けた小保方さんが、公の場において、どんな言葉で謝罪するのか?また、理化学研究所に対してどのような反論を行うのか?世間の多くの人々は関心を持ったと思われる。


私は理化学研究所や小保方さんと接点はない。同時に、STAP細胞に関する専門知識もない。ただの一般素人の見解に過ぎない。だから、それらの問題について本来、語る資格はないのかもしれない。


だが、小保方さんを巡る一連の社会状況には一言、言っておきたいと思う。


①マスコミについて


テレビで、小保方さんが最初に謝罪するシーンの数分を見た。


まず、あまりにたくさんのカメラフラッシュが一斉にたかれているのを見た瞬間、それだけで私はもう興ざめしてしまった。


カメラマンさんたちも、会社や上司から言われているから、仕方なく撮っているかもしれない。


世間のニーズもあるだろう。人々が欲しているものを提供するのがメディアの仕事だということは、私も理解している。


だが、私は問いたい。


あなたたちは小保方さんが涙を流し、頭を下げ、謝罪するシーンを激写するためにカメラマンになったのですか?と。


その点にまず違和感を感じた。何だか、「いじめ」の現場を見ているようだった。


故・ダイアナさんがパパラッチに追われ続け、壮絶な死を迎えた時に感じた「悲しさ」を、また今回も感じた。


一方、小保方さんの外見、お化粧やファッションにまでマスメディアで語られると、私はそれだけで引いてしまう。もっと他に考えるべき問題・語るべき話題があるのではないかと、私なんかは思ってしまう。


※私は全てのマスコミ関係者を批判するつもりはない。私のもとに取材に訪れる記者さんの多くは勉強熱心で、誠実な人が多いことを付け加えておく。



②小保方さんの論文について


小保方さんの論文に関しては、研究者としてやってはいけない一線を超えてしまったと感じている。


捏造が事実ならば・・・


理化学研究所から「一刻も早く、結果を出せ」と言われ続け、かなりのプレッシャーもあっただろう。


しかし、一線を越えてしまった・・・それはやってはいけないことだろうと思う。


だが、ここで問題なのは、小保方さんを一方的にバッシングする世論の方だ。


確かに、小保方さんは一線を越えてしまったと私は思う。


しかし、私たち一般人も多かれ少なかれ、小保方さんほどではないにしろ、「やってはいけない」ことを日々、やってはいないか?


今迄、一度も嘘をついたことがない、人を欺いたことがない人がいるだろうか?


「今が良ければそれでいい」「他人のことなど知ったことか」と感じながら、今を生きてはいないか?


私たちは皆、程度の差はあれ、罪深い生き物だ。


小保方さんを一方的に糾弾する時、もし自分が小保方さんと同じ立場だったら、どんな行動をとるのか?


そのことを想像してみる必要があるのではないだろうか?



皆、仕事や家庭のフラストレーションを、叩きやすい誰かに向けることによってガス抜きをしようとしているだけではないか?そのことをどのくらいの人が自覚しているのか?



そして、何より恐ろしいと感じたのは、「私は絶対正しい」という考えのもとに、他者を裁く空気感だ。


「私は人生において一度も間違いを犯さない」と言い切れる人は、どれくらいいるのだろうか?


自分の中にある「悪」を見ずして、他人の「悪」を批判するは得意な私たち。


誰にでも間違いはある。大切なのは、間違いを犯した後、どのように振る舞うかだ。


小保方さんの記者会見では、謝罪の言葉は見られたが、、「STAP細胞はできたんです。信じて下さい」と訴え、「捏造ではありません」と連呼。


だが、具体的な証拠となると、「ノートは機密研究なので見せられない」「再現実験に成功した第三者の名前は明かせない」「具体的なレシピは将来の研究で明らかにする」等と言って巧妙に逃げてしまっていた。


うやむやにして、時間を稼ぎ、逃げ切り作戦を狙っているかもしれない。



※法政大学教授・水島宏明さんの意見 

「まるで「女優」のような、小保方晴子という人物 記者会見で見せた特異な"才能"」

http://www.huffingtonpost.jp/hiroaki-mizushima/obokata-haruko_b_5122889.html




③ 理化学研究所という組織の在り方


かつて、「社員は悪くないんです!」と泣きながらマスコミの前で謝罪した山一証券の社長のことを覚えているだろうか?


だが今回、理化学研究所の対応は山一証券の時と全く違った。


今回の一連の件で悪いのは小保方さんで、理化学研究所としては非はないという感じだ。


小保方さんを理化学研究所として雇った責任はあるのではないか?また、研究リーダーを任せた責任はないの?


その点を見ずして、トカゲのしっぽ切りのように小保方さんを切り、組織として逃げるのはどうかと思う。


会社の社員が何か問題を起こした時、経営者は株主に対して「それは社員がやったこと。我々は悪くないんです!」と訴えた場合、それは許されるのだろうか?


例えば、銀行で、銀行員が銀行のお金を横領したとする。それが公になったと仮定する。


その場合、銀行としては社会に謝罪するとともに、株主に説明責任を果たし、再発防止のために組織としてどう取り組むかが問われる。


場合によっては、トップが危機管理能力のなさを問われ、辞任することもあり得るだろう。そのために管理職がいる。


しかし、今回の場合、「横領は社員が勝手にやったのだから、組織は関係ない」と理化学研究所は言っているのと同じこと。


さらに言うと、小保方さんは、国民からの税金で研究をしていた。


理化学研究所の問題だけでなく、何か不祥事があった時の組織の有り方の問題は、もっと議論されてもいいのではないか?


最後に・・・・


次から次に、ニュースが生まれ消えていく現代社会。あれだけ騒がれた佐村河内さんの件ですら、もう人々は飽き始めて、忘れ始めている。


大衆が求めているものを提供するのがメディアの仕事だ。


メディアが提供する分かりやすいゴシップネタ振り回されている「私たち自身の生き方」を見つめ直さない限り、この現状は変わらないだろう。


小保方さんのニュースですら、そのうちに消費され、「ああ、そんなこともあったね」と一年後には巷で言われているに違いないということを最後に付け加えておく。