白河市からの自主避難は「放射脳」か~妻子逃がす男性の怒りと落胆 | 民の声新聞

白河市からの自主避難は「放射脳」か~妻子逃がす男性の怒りと落胆

妻や3人の娘を被曝から守るため、周囲の冷笑と闘っている男性が福島県白河市にいる。妻子を新潟市内に母子避難させているが、周囲からは「大げさだ」と嘲笑されている。依然として、放射線量が低くなったとは言えない白河市。むしろ、場所によっては高い値が計測されるのにもかかわらず、むしろ同じ福島県人から非難の言葉を浴びる現状に、男性の怒りは募る。男性は問う。「どこまでの惨事なら、白河市からの自主避難が許されるのか」─。


【西郷村で目の当たりにした〝黒い雨〟】

短い動画がある。1年7カ月前のあの日の午後。経験したこともない揺れに、白河市内の店舗前のアスファルトには、一瞬にして亀裂が入った。道路は波打っていた。電線がビュンビュンと音をたてて揺れていた。店舗内はあらゆるものが倒れ、大きなダッシュボードがいとも簡単に位置を変えていた。とっさにカメラを回したAさん(40)が近所の人を前に叫んでいる。「これはやばいっすよ」。だがしかし、この揺れが長い被曝との闘いの幕開けになろうとは、知る由も無かった。

「あれだけの揺れですから、学校も倒壊していると思っていました。だから覚悟はしました。きっと死んでるだろうと」

妻は、卒業間近の長女のクラス会のため、小学校に出かけていた。携帯電話は不通。ようやくツイッターで妻や娘の無事を知ったのは、しばらく後のことだった。2人の妹は下校途中で、急な下り坂で揺れに遭遇していた。今年で10周年を迎えた店舗の倒壊も、家族の死も免れたのは不幸中の幸いだった。しかし、安心したのもつかの間、徐々に被曝への関心が強くなっていく。

避難への思いが一気に高まったのが、一通のメールだった。店の顧客に宛てられた、福島原発の労働者からの言葉は衝撃だった。

「全県避難になるかもしれない。事態はそれだけ深刻だ」

逃げよう─。慌てて妻に荷物をまとめさせた。妻と2台の自家用車に分乗し、3人の娘とともに幼馴染の親戚のいる南会津を目指した。途中、西郷村で〝黒い雨〟が降った。「何だ?この真っ黒い雨は?」。危機感はさらに高まった。南会津に着いた時、ワイパーは黒くなっていた。

結局、知人の親戚宅には一泊もせず、さらに西へ向かうことになった。

「南会津でも近いんじゃないかと思って、新潟に向かいました」

Aさんは、妻と娘を被曝させるわけにはいかないという想いで一杯だった。3月15日。死を覚悟した未曽有の揺れから4日が経っていた。
民の声新聞-白河市①
民の声新聞-白河市②

激しい揺れであらゆる物が倒れ、散乱したAさん

の店舗。幸い建物自体は倒壊しなかったため、

現在は営業を再開している

=白河市内(Aさん提供)


【「中越沖地震で世話になった」と支援申し出た男性】

北陸自動車道・黒崎パーキングエリアにようやくのことで着いた時、日付は変わり午前1時になっていた。辺りは雪。途中、磐越自動車道は利用できず、大渋滞の一般道で新潟を目指した。津川インターチェンジから高速道路に入った。ほっと一息をつけたPAは、深夜にもかかわらず福島ナンバーの車が目立った。知り合いなどいなかったが、誰彼かまわず情報交換をした。誰もが危機感を抱いていた。何がどうなっているのか、どこまで逃げれば被曝を免れるのか。ガソリンスタンドでは、2-3時間は並ばないと給油できないという話もあった。仕事柄、燃料だけは潤沢だったことは幸いした。
夜が明け、Aさんは再び車を走らせた。娘たちは身を寄せ合って寒さをしのいだ。着いたのは、激しい風雨が吹き荒れる新潟市巻町。かつて、原発新設の是非をめぐって日本初の住民投票が実施された町。通年営業の民宿を探し、一泊した。翌日、地元の不動産業者をまわり、アパートの賃貸契約を結んだ。福島からの避難だと話すと、厚意で敷金や礼金は免除された。一緒に巻町まで逃げた友人は、数日して白河市に戻った。
ここで、思いもかけない出会いがあった。

コインランドリーで洗濯をしていたときのこと。1人の男性が入ってきた。辺りを見渡し、Aさん夫妻に話しかけた。「外に停まっている福島ナンバーの車、おたくの?」。Aさんが原発避難者だと告げると、男性は「中越沖地震のとき、福島の人々には本当に助けてもらった」と、ポケットから小銭を出し、洗濯機の代金を支払った。副業としてこのコインランドリーを管理しているオーナーだった。同い年ということも手伝い、意気投合するのに時間はかからなかった。男性は、Aさんが恐縮する言葉に耳も貸さず、契約したばかりのアパートの住所を聞くと、翌日、ワンボックスカーに一杯の家財道具や食料を積んで現れた。クーラーボックスの肉はあふれ出しそうになっていた。使いきれないほどの布団も毛布もありがたかった。この男性とは今も、交流を続けている。

都市ガス業者は、Aさんがガスコンロを持っていないことを知ると、無料で貸与してくれた。新潟の避難生活は、比較的温かい雰囲気で始まった。だが今、Aさんは激しい怒りと悔しさを抱えている。福島原発から80kmも離れた白河市からの自主避難がどれだけ白眼視されるか、思い知らされることになったからだ。
民の声新聞-白河市⑤
民の声新聞-白河市④
白河駅周辺では、依然として0.4-0.5μSVの放射

線量が計測される。原発から80kmも離れているが、

被曝の危険性は低くない


【「金に余裕があるから逃げるのではない」】

改めてアパートを借り、妻子を残してAさんは白河市に戻った。娘たちには「いのちを守るためだ」と話した。アパートは民間借り上げ住宅となり、光熱費だけの負担で済むようになった。転入した学校の給食費も負担しなくて済んでいる。
だが、厳しい視線が〝身内〟から浴びせられる。

白河市で耳までふさぐことのできるマスクをして生活しているAさんに、近所の人は「放射脳」だと冷笑する。「俺はここに住んでいるんだ。放射能と口にするな」と怒られたこともある。娘ばかり3人の父親だけに、被曝回避には全力を尽くしてきた。「この危機感は他人にはわからないでしょうね」とAさん。「金銭的に余裕があるから逃げられるんだよね」という言葉は聞き飽きた。
地区の会合では、嘲笑のタネにされることが多い。

「奥さん、まだ帰って来ないの?大変だねぇ」

「新潟って、そんなに居心地が良いの?」

「家賃を払ってもらっているんだろ?結構なご身分だな」

避難先には福島県人が少なくないが、大半が福島市や郡山市からの避難者。白河市からの避難に「妻は少なからず負い目を感じている」とAさんは話す。白河市内は原発事故の影響をあまり受けていないように思われがちだが、Aさんの店舗外の地表に線量計を置くと、今でも0.4-0.5μSVを計測するという。私の線量計でも、小峰城で同様の放射線量を計測しており、被曝の危険性は決して低くない。避難先で定期的に開かれる自主避難者の集いでも「福島の現状、自主避難者の想いがあまりにも伝わっていない」という声が多いという。

「どこまで酷い事故なら逃げることが正しいと言ってもらえるのか?もし4号機が倒壊したら、みんな逃げるのだろうか?」

9月、小学校3年生の末っ子の尿検査を依頼したら、放射性物質は不検出。避難させて本当に良かったと実感した。

妻子を守る闘いは、始まったばかり。

原発事故後、佐藤雄平福島県知事には失望させられることが多かったというAさん。

「仮に放射性物質がゼロになったとしても、妻や子を、あんなリーダーがいる県には戻したくない」


(了)