●【侃侃諤諤】(かんかん‐がくがく)
現在の社会で特に国会などでは伺い知ることが出来ない様である。
明治期には幕末も含めて町のアチコチで見られた風景だろう。
国を語る。
こんな言葉を知らない人が大半を占める世の中になっている。
昔は良かった。
そう言いたくも成る。
 
その中でも明治のこの人などは面白い人だったのだろう。
歌舞伎座を創設して今は無きあの建物を造り今は見る影もない某新聞を設立している。
交際範囲も広い人で有った。
人を見目を備えた人が沢山出てきた時代でもあった。
今は良い意味ではなくて 悪い意味での人を見る目の如何に多いことか。
 
温故知新(おんこちしん)の意味・語源・由来
【意味】温故知新とは、歴史・思想・古典など昔のことをよく調べ研究し、そこから新しい知識や見解を得ること。
【温故知新の語源・由来】
温故知新は、『論語(為政篇)』の出典によるもので、孔子が師となる条件として、先人の思想や学問を研究するよう述べた言葉。
温故知新は、「子曰く、故きを温ねて、新しきを知れば、以って師と為るべし」と訓読され、「温故」は「故きを温ねて(ふるきをたずねて)」と読まれるのが一般的であるが、「故きを温めて(あたためて)」と読むべきとの解釈もある。
 
こういう言葉も身に付けた人は少なくなっている。
タダの観光旅行に終わる人が多いのでは無いかな。
色んなモノを見てモノを見を養わないと行けない。
 
★侃々(かんかん)とは - Weblio辞書
正直で気性が強いさま。剛直。
「―たる議論に満場を驚かす程の運動は/もしや草紙(桜痴)」
★電子化資料 - 福地桜痴(源一郎)著『増訂もしや草紙』
(1)http://bit.ly/xiMEmc (2)http://bit.ly/yZXgzL (3)http://bit.ly/zOfQfV
(4)http://bit.ly/AuEHud (5)http://bit.ly/xsGhr3
★福地源一郎 Wikipedia http://bit.ly/x4smzh
幕末から明治時代にかけての武士(幕臣)・ジャーナリスト・作家・劇作家。
★転身し続けた異彩の人 http://bit.ly/zIwmlq
★福地桜痴(ふくちおうち) http://bit.ly/zuJgdk  歌舞伎座を創立
★福地源一郎 | 近代日本人の肖像 http://bit.ly/AmSiSn

★「侃々」の検索結果 - Yahoo!辞書 http://bit.ly/wvgNaB
1.かん‐かん【侃侃】
[ト・タル][文][形動タリ]気性が強く信念を曲げないさま。剛直なさま。
「―として生民の痛苦を訴え」〈東海散士・佳人之奇遇〉
2.かんかん‐がくがく【侃侃諤諤】
[ト・タル][文][形動タリ]正しいと思うことを堂々と主張するさま。また、盛んに議論するさま。
「―と意見をたたかわす」
 
★諤諤【ガクガク】デジタル大辞泉の解説.
1.正しいと思うことを、はばからずに直言するさま。「侃々(かんかん)―」
2.口やかましく言うさま。
 
★福地桜痴/福地源一郎 http://bit.ly/yQnArq
★2、福地桜痴紀功の碑 http://bit.ly/z824ry

★慶應義塾大学出版会 http://bit.ly/xxhTaf
『東京日日新聞』(『東日』)社主の桜痴福地源一郎(おうち・ふくち・げんいちろう)の筆になる社説は名文の誉れ高く、「吾曹」(ごそう:「われわれ」の意)と自称したことから、福地は「吾曹先生」と呼ばれ、その現実的な漸進論は信望を集めた。
また御用新聞と呼ばれるだけあって太政官の情報を正確に伝える媒体としての信頼度も高かったのである。
 
★東京中央区銀座/歌舞伎座 動画 YouTube
福地源一郎(桜痴)が中心となり明治22(1889)年に開場。
http://www.youtube.com/watch?v=N8prdV-b04k
 
★老兵は黙って去りゆくのみ http://bit.ly/yg63V4
 
★社会(しゃかい)の意味・語源・由来
【意味】社会とは、人間が共同生活を営む際のまとまった組織や、その相互関係。世の中。世間。同類の仲間や集団。
【社会の語源・由来】
社会は、福地源一郎(福地桜痴)による英語「society」の訳語。
明治初期まで「society」に相当する訳語は存在せず、「交際」「仲間」「連中」「組」「俗間」「社中」などが当てられていた。
その中で、明治8年(1875年)、福地源一郎が『東京日日新聞』に「ソサイエチー」のルビ付きで「社會(社会)」の語を使用したことで、「社会」という訳語が定着した。
ただし、当初は「小さな共同体」「会社」など狭い意味で用いられており、明治10年頃から一般にも普及し、現在のように広い意味で用いられるようになっていった。
福澤諭吉が「society」の訳語として「社會(社会)」という語を作ったとする説もあるが、福地源一郎の方が早い。
「社会」という語自体は、中国の宋学の入門書『近思録(1176年刊)』に見られ、日本でも文政9年(1826年)の『輿地誌略』に「教団」「会派」の意味で「社會」が用いられている事からも分かるとおり、福地源一郎による造語という訳ではない。
 
★社会学の日本はじめて事情(人物編) 1.福地源一郎(福地桜痴) http://bit.ly/zB8oHt
★歴史くらぶ 福地源一郎(桜痴) http://bit.ly/vZqaVE