★風流   ●日本文化の礎
ワビ サビに通じて歌舞伎にも通じる。
日本語の良さを感じた。
色んな言葉がある。
どれが先に出来たか後から付いてきたか。
そんな事は判らない。
色んな言葉が日本文化 日本を縦糸と横糸になり紡ぎ出している。
子孫である我々が其れを一つ一つ解しどのような繋で繋ぎ合わされているか。
時には振り回されて和氣が判らなくなったりもする。
日本語とは凄いね。
 
 
★風流 - Wikipedia http://bit.ly/yUeSJ7
風流(ふりゅう)とは、中世以後の日本において高揚した美意識の1つ。
人目を驚かすために華美な趣向を凝らした意匠を指し、婆娑羅や数寄とともに侘び・寂びと対峙する存在として認識された。
後にはこうした意匠に沿った芸能や美術・建築などにも用いられた。
なお、室町時代の漢和辞典である『下学集』には「風流の義也。日本の俗、拍子物を呼びて風流と曰ふ」とある。
現代の日本語で日常的に用いられる「風流(ふうりゅう)」の言葉の指す美意識とは若干異なるものである。
『万葉集』においては、「みやび」と和訓が振られ、「好き心」などの意味も有したが、平安時代には歌合などの行事に用いる故事や文芸作品に由来する作り物や衣装などの意味で用いられ、平安末期以後には祭礼の山車や衣装、宴席の州浜台などに施された華美な趣向を指して「風流」と呼ぶようになった。
また、こうした嗜好を好む人を風流者(ふりゅうざ)とも呼んだ。
一方で、永長元年(1096年)には貴族・官人から庶民までが風流な格好を纏って田楽を演じながら行進した永長大田楽や久寿元年(1154年)の今宮社御霊会において傘の上に風流な飾りの花を掲げて唄い囃した「風流のあそび」が行われ(『梁塵秘抄口伝集』巻14)、後世における音曲や歌で囃す「風流」の原型が記録されている。
 
★ばさら http://bit.ly/xMcaCE
日本の中世、南北朝時代の社会風潮や文化的流行をあらわす言葉であり、実際に当時の流行語として用いられた。
婆娑羅など幾つかの漢字表記があり、梵語(サンスクリット語)で「vajra = 金剛石(ダイヤモンド)」を意味するが意味の転訛は不明であるとされる。
身分秩序を無視して公家や天皇といった時の権威を軽んじて反撥し、奢侈な振る舞いや粋で華美な服装を好む美意識であり、後の戦国時代における下剋上の風潮の萌芽となった。
足利直義主導の下に、室町幕府の基本方針として編まれた『建武式目』では、ばさらを禁止している。
ばさらに対して批判的な古典『太平記』には、足利氏筆頭執事の高師直や、近江国(滋賀県)の守護大名の佐々木道誉(高氏)、美濃国(岐阜県)の守護大名の土岐頼遠などのばさら的な言動・行動が記されている。
これらの大名は「ばさら大名」と呼称されている。
 
★サンスクリット語(梵語から転送)http://bit.ly/zXRJV5
 サンスクリット (梵: संस्कृत; saṃskṛta, Sanskrit) は古代から中世にかけて、インド亜大陸や東南アジアにおいて用いられていた言語。
現在の母語話者は少ないが、インドでは憲法で認知された22の公用語の一つである。
宗教的な面から見ると、ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語であり、その権威は現在も大きい。
日本では、一般には言語であることを明示して「サンスクリット語」と呼ばれる。
また、古くは梵語(ぼんご、ブラフマンの言葉)とも呼ばれた。
なお、日本における仏教関連の辞典や書物では skt などと略称される。
 
★数寄者(数奇から転送)http://bit.ly/AuDWk4
 数寄者(すきしゃ、すきもの)は芸道に執心な人物の俗称。
「数奇者」と書く場合もある。
現代では、本業とは別に茶の湯に熱心な人物、特に多くの茶道具を所有する人物として用いられる。
「数寄」とは本来「好き」の意味であり、特殊な当て字として流布している。
専門業とはせずに何らかの芸事に打ち込む様を、特に「すき」と称しているのであり、現代の俗語としては「あんたもすきね」「ものずき」などに通じる。
古くは「すきもの」とは和歌を作ることに執心な人物を指した様であるが、室町時代には連歌が流行し、特に「数寄」が連歌を指すようになったとされる。
さらに桃山時代には富裕な町衆の間で茶の湯が流行し、「数寄」も連歌から茶の湯へと意味を変えている。
このため江戸時代には、数寄のための家「数寄屋」も茶室の別称として定着する。
なお近代になって財界人の間で茶の湯が流行するが、こうした茶人達は多くの名物道具の収集を行っており、その様が桃山時代の数寄者に似るところから「近代数寄者」と呼ばれる。
特に益田孝と原三渓を初めとして、根津嘉一郎 (初代)、小林一三、五島慶太、細川護立らが有名である。
 
★数寄屋造り(すきやづくり)http://bit.ly/wOmXV2
日本の建築様式の一つであり、数寄屋(茶室)風を取り入れた住宅の様式とされる。
語源の「数寄」(数奇)とは和歌や茶の湯、生け花など風流を好むことであり(数寄者参照)、「数寄屋」は「好みに任せて作った家」といった意味で茶室を意味する。
数奇屋大工(大工を参照)が造る木造軸組工法の家屋。
 
★茶室(ちゃしつ)http://bit.ly/yfWBHw
茶事の主催者(主人、亭主)が客を招き、茶を出してもてなすために造られる施設である。
日本庭園の中に造り、露地を設けるのが一般的であったが、近年ではホテルや公会堂、商業ビルの一角などに造られることもある。
また茶道部があるために、キャンパス内の片隅に茶室を構えている大学も多い。
茶道の稽古をしたり、茶を楽しむために炉が切ってある和室(畳のある部屋)も一般に茶室と呼ばれるが、本項では主に四畳半以下の草庵風茶室について述べる。
 
★露地(ろじ)http://bit.ly/zPO2jY
茶庭ともいい、茶室に付随する庭園の通称である。
(一般的には露地とは屋根などの覆いのない地面のこと。露地栽培、露地いちごなどという。)
本来は路地であるが、江戸時代の茶書『南方録』などにおいてこの「露地」という名称が登場している。これは『法華経』の「譬喩品」に登場する言葉であり、当時の茶道が仏教を用いた理論化を目指していた状況を窺わせる。
以後禅宗を強調する立場の茶人達によって流布され、今日では茶庭の雅称として定着している。
 
★歌舞伎者 http://bit.ly/yrFP5V
 かぶき者(かぶきもの。傾奇者・歌舞伎者とも表記)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に慶長から寛永年間(1596年~1643年)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した。
異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。
茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。
 
★歌舞伎(かぶき)http://bit.ly/vTJnT1
歌舞伎という名称の由来は、「傾く」(かたむく)の古語にあたる「傾く」(かぶく)の連用形を名詞化した「かぶき」だといわれている。
戦国時代の終わり頃から江戸時代の初頭にかけて京や江戸で流行した、派手な衣装や一風変った異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特にそうした者たちのことを「かぶき者」とも言った。
そうした「かぶき者」の斬新な動きや派手な装いを取り入れた独特な「かぶき踊り」で、慶長年間(1596年 - 1615年)に京・江戸で一世を風靡したのが出雲阿国である。慶長8年(1603年)京都で始めたと言われる。
その後阿国を模倣したさまざまな踊りが世に出たが、その多くが「かぶき踊り」の範疇で受け取られた。これが今日に連なる伝統芸能「かぶき」の語源となっている。
この「かぶき」に「歌い舞う芸妓」の意から「歌舞妓」と当て字したのはその後のことだった。
寛永6年(1629年)に女歌舞伎が禁止されると、芸妓に連なる「妓」の字に代わって伎楽に連なる「伎」の字を用いた「歌舞伎」の表記が見られるようになるが、江戸時代を通じてこの「歌舞妓」と「歌舞伎」は混用されていた。これが現在のように「歌舞伎」に落ち着いたのは明治になってからのことである。
 
★わび・さび(侘・寂)http://bit.ly/xiSklq
日本の美意識の1つ。一般的に、質素で静かなものを指す。
本来侘(わび)と寂(さび)は別の概念であるが、現代ではひとまとめにされて語られることが多い。
侘(わび、侘びとも)とは、動詞「わぶ」の名詞形で、その意味は、形容詞「わびしい」から容易に理解されるように「立派な状態に対する劣った状態」となる。
転じては「粗末な様子」、あるいは「簡素な様子」を意味している。
もっと端的にいえば「貧しい様子」「貧乏」ということになろうか。本来は良い概念ではなかったが、禅宗の影響などもあってこれが積極的に評価され、美意識の中にとりこまれていった。
 
★美意識(びいしき)http://bit.ly/zezs4f
人が美しいと感じる心の働き。
美しいと感じる対象は個体差が大きく、時代、地域、社会、集団、環境などによっても大きく異なる。
例えば、整然と並ぶものに美を感じるものもいれば、ランダムに並ぶさまに美を感じるものもいる。
左右対称を美しいと感じるものもいれば非対称に美を見出すものもいる。無調を心地よいと感じるか否かなども美意識に関連している場合がある。
西欧では華美な装飾や対称の美しさを核とした人工の美をその美意識の中心においているが、日本人の美意識はむしろ自然と対立せず、寺社、庭園に見るように、自然に溶け込むこと、朽ちては再生するプロセスそのものへの馴染み、死をも敵対するものとしては捉えず、侘(わび)、寂(さび)に見るように朽ち果てゆくものへの素朴な同調などが基調になっている。
粋は江戸時代後期の文化文政期の町人の間に生まれた美意識である。建築において、コンクリート打ち放しを美しいと感じるか否かなどは、近年問いかけられたテーマである。
世阿弥が「秘すれば花」と表現したが、日本人には全体的調和を重んじ自己主張を抑制し隠蔽することによって却って受け手の想像力を刺激し、日本人特有の奥深い表現を成しえるといった側面があるように、その国特有の文化、生活、歴史観などに大きく左右される部分が多い。
あるいは、住んでいる環境・自然から受ける影響も大きいと考えられる。自然と対峙するか、自然と調和するかによって美意識は大きく異なる。
 
★風流踊 http://bit.ly/yv7AWt
 風流踊(ふりゅうおどり)または風流(ふりゅう)
中世芸能のひとつで、鉦・太鼓・笛など囃しものの器楽演奏や小歌に合わせて様々な衣装を着た人びとが群舞する踊りである。
室町時代に流行した。
 
★煎茶道 美風流 http://bifuuryuu.com/  『茶経』の復原
★風流仏 幸田露伴 http://bit.ly/AxLhyb  小説
★風流に「桜」をたしなむ猫たちの画像と動画特集 http://bit.ly/wkFEso
★日本國風流詩吟吟舞会 http://bit.ly/xCn3ZZ   吟舞 漢詩 邦楽の楽しみ
★日立風流物 [発見!!いばらき] http://bit.ly/Agmo0u  山車(だし)の上で行われる からくり人形芝居