皆さんこんにちは。
平成26年最初の投稿です。こんなに遅くなってしまい、申し訳ありません。
本年もよろしくお願いいたします。
さて、このブログでは昨年から「現代語大東亜会議演説集」の公開を続けています。元々は昨年平成25年が大東亜会議から70年という節目の年だったので、私も興味を持ち始めたのですが案の定、年を越してしまいました・・・。
ですが、今日においても大東亜会議は世界史に燦然と輝いております。
現在はビルマのバー・モウ首相の演説を公開しています。では続きを。
私はこの教訓を非常に高価な代償を払って獲得した国から来た者として所見を述べているのであります。多数の国家国民もこの教訓を勝ち得るために苦い目に遭ってきました。ビルマについて言えば、我々は慈悲も正義の心もない敵に対して代償を払っただけでなく、今なおあらゆる形で、死と破壊との代償を払っているのであります。わずか1600万人のビルマ人が自らの力で国家として生きるために戦った時は、常に失敗に終わりました。何代にもわたって我が国の愛国者は奮起し、民衆を率い、打倒英国に邁進しましたが、我々がアジアの一部に過ぎないこと、1600万人の人間が成し得ないことも、10億のアジア人が団結すれば容易に成し遂げることができること、これらの基本的な事実を認識できなかったため、我々の、敵に対するあらゆる反抗は、あえなく踏みにじられたのであります。今から20年前に起こった全国的な反乱の際には、ビルマの村々は焼き払われ、婦女子は虐殺され、志士は投獄、絞殺、または追放されました。しかし、この反乱は敗北に終わったとはいえ、この火、アジアの火は全てのビルマ人の心の中に燃え続け、反英運動は次から次へと繰り返され、闘争は続けられたのであります。そしてついに、我々の力は1600万のビルマ人の力のみならず、10億のアジア人の力である日が来たのであります。即ち、東亜が強力である限り、ビルマは強力であり不敗である日が来たのであります。
以上、私は東亜を全体として所見を述べてまいりましたが、実は東亜は今なお全体としてまとまってはおりません。我々は東亜権がなお不完全であり、あちらこちらに隙間があることを認めざるを得ないのであります。特にインドを指してこのように申し上げます。何人もインドを除外して東洋を考えることはできず、この点については理由を申し述べる必要はないと思います。これまで私は、よく自由なるインドなくして自由なるビルマはないと申してまいりましたが、今日、私は一歩踏み込んで、自由なるインドなくして自由なるアジアはないと断言いたします。
インドはアジアにおける反・アジア侵略の武器庫であり、宝庫であり、足場であります。故に侵略者をインドから、この無尽蔵の宝物を有し、資源・人・物力を有するインドから、追い出さなければならないのであります。我々はこれからのインドの資源を敵の手から奪い取らねばならないのであります。これが、私がインドの独立はアジアの独立に欠かせないと思う要素であり、インドの戦いは実にアジアの戦いであり、我々の戦いであると断定する私の所見に閣下各位が同感であることを確信しております。
私は必ずや、スバス・チャンドラ・ボース氏が、私の発言はわずかな誇張もない文字通りのものであり、しかも絶対的信念を持って述べていることをお認めになるものと信じて疑いません。
次に、大東亜戦争及び東亜の秩序について述べたいと思います。実はこの点につきましては、代表各位が既に述べられたのに対し、私から付け加えることはほとんどありませんが、概念的に申し上げたいと思います。我々にとってこの戦争は絶体絶命の戦いであります。東亜は、この戦争を勝ち抜き生きながらえるか、そうでなければ戦い敗れて滅亡するほかなく、他に選ぶべき道はありません。東亜と東亜民族にとっては、生存そのもののための戦いであり、将来千年にわたる東亜の独立、平和並びに繁栄のための戦いであります。
現実を勇敢に直視してみたら、いかなる状態でしょうか。ビルマは現に恐るべき事実に直面しております。故に私も率直に述べているのでありますが、同時に私はここに集う国々に代表される全東亜各国に代わって述べているものと信じております。もし東亜が一体となり、強力となり、自給自足の境地に達すれば何事も成らないものはなく、10億の東亜民族が結束して決起するときは、いかなる戦、いかなる平和をも勝ち取ることができます。
(次回へ続く)