10月22日(土)


 ライシュのグローバル経済分析は、前回まとめたとおり。それは、

国内的にはどのような帰結を生んでおり、われわれは何をすべきか。


 これがライシュの次の課題となる。


 経済活動が国内に限られていた時代には、「啓発された自己利益」

(トクヴィル)が成立している。つまり、他人のための投資が、回りまわ

って自己の利益に結びつき、またその逆も成り立っていることをひとび

との素朴な信頼がある。「お互い様」が成り立つ時代である。今風に言

うとソーシャル・キャピタルが成り立つ社会ということになろうか。


 グローバリゼーションによって、この土台が壊れ、製造業の労働者は、

他国との競争の勝敗だけのゼロ・サム・ナショナリズムにとらわれる。

自国民の福祉だけを考え、他国を排斥する偏狭なナショナリズムであ

る。 


 一方、世界に活躍の場を持つシンボリック・アナリストは、特定の国に

愛着を持たない醒めたコスモポリタン主義に陥る。彼らは、自国の恵ま

れないひとびとを助けようという動機や気持ちを持ちにくい存在となる。


 ライシュは、この二つの態度に対して、積極的な経済ナショナリズム

という考え方を提示し、推奨する。その内容は、「どの国の国民も、十全

で生産的な生活を送るために自国民の能力を向上させることに主たる

責任を負うが、自国民の生活改善によって他を犠牲にすることがないよ

うに他国と協力する。」(425頁)というものである。


 確かにこの立場は優れたものである。しかし、これはどのように実現

されるのか。政策担当者の努力はもちろん必要であるが、これを進め

るインセンティブや仕組みが構想されなければならない。


 WTOやIMF、そして国際連合の諸機関などはそのための仕組みであ

ろうが、十分に協力であるとはいい得ない。われわれの課題とである。


                                      つづく


                                 

 昨日は海辺のホテルで研修会。久しぶりに若い人たちとゆっくり話す

機会を得た。懇親会には、海の幸が豊富に提供された。かにや海老よ

りも新鮮なイカのゲソ焼きが一番おいしかった。そろそろ日本酒がおい

しくなる季節である。