●詩吟

★剃髪(ていはつ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
仏門に入る者が髪や髭(ひげ)を剃(そ)ること。剃頭(ていとう)、落髪(らくはつ)、浄髪(じようはつ)、削髪(さくはつ)、薙髪(ちはつ)、落飾(らくしよく)ともいう。経典によれば、剃髪は煩悩(ぼんのう)を断じ、おごりたかぶる心を除くためともいわれる。仏教では釈尊以来行われたが、釈尊当時のインドでは頭髪を剃ることは罪の一つで、人々はそれを恥としたらしい。今日では在家者が出家する得度(とくど)式で剃髪が行われるが、浄土宗や真宗では頭上にかみそりをあてて剃髪に擬する。これを俗に「おかみそり」という。古くは、女性の出家者は髪をすべて落とすことはなく肩のところで切りそろえたが、それを「尼そぎ」と称した。[ 執筆者:松本史朗 ]
★煩悩(ぼんのう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
仏教で説く、衆生(しゅじょう)の身心を煩わし悩ます精神作用の総称。クレーシャkleaというサンスクリット語が中国で「煩悩」「惑」と翻訳されたのであるが、この語は「汚(けが)す」という意味合いももっており、そのために「染(ぜん)」「染汚(ぜんま)」などとも訳された。またこのことばは元来、不善・不浄(ふじょう)の精神状態を表す数多くの仏教術語のうちの一つであったが、やがてそれらの心理作用や精神状態を総称し、代表することばとして使われるようになった。このような広い意味での煩悩には、もっとも基本的なものとして、「三毒」「三垢(さんく)」「三不善根」などといわれる貪(とん)(執着)・瞋(じん)(憎悪)・痴(ち)(無知)がある。これに慢(まん)(慢心)・疑〔(ぎ)、仏教の教えに対する疑い〕・見〔(けん)、誤った見解〕を加えて六煩悩といい、根本的な煩悩とされる。このほか、潜在的な煩悩である随眠(ずいめん)、現に作用している煩悩である纏(てん)、あるいは結(けつ)・縛(ばく)・漏(ろ)など、人間の不善の心理状態を詳細に分析して、きわめて多種多様の煩悩が説かれ、「百八の煩悩」「八万四千の煩悩」などといわれた。これらの煩悩を滅ぼし尽くすことによって解脱(げだつ)することができるのであり、したがって煩悩はあくまで断じられるべき対象として説かれたのである。しかし後世の大乗仏教のなかには、煩悩と悟(さと)りの本質はなんら異なるものではないという、「煩悩即菩提(ぼだい)」を主張するものも現れるに至った。このように煩悩の問題は、悟りの境地と深くかかわるため、重要なテーマとして仏教においてさまざまな形で論じられている。[ 執筆者:池田練太郎 ]
★衆生(しゅじょう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
「命ある者」「心をもつ者」の意。サンスクリット語サットバsattvaの訳語。有情(うじょう)とも訳す。インドでは仏教も他の諸宗教も、人と動物との間に根本的な区別を設けず、業(ごう)(カルマ)によって種々に生まれ変わる(輪廻(りんね))と説く。仏教では地獄・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・阿修羅(あしゅら)・人・天の六道を輪廻転生すると説く。通常は輪廻に迷う存在を衆生とみなすが、広義には輪廻から脱(ぬ)け出した(解脱(げだつ))仏・菩薩(ぼさつ)も衆生に含める。また、竜、羅刹(らせつ)、夜叉(やしゃ)、乾達婆(けんだつば)、緊那羅(きんなら)、摩呼洛迦(まごらか)など神話上の異類や、地獄の獄卒(ごくそつ)などを衆生とみなす場合もある。[ 執筆者:小川 宏 ]
★纏(まとい) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
戦国時代には、敵味方の目印にするために用いた幟(のぼり)や馬印(うまじるし)のことであったが、江戸時代になると、もっぱら火消組の目印をさすようになった。前者の纏は、永禄(えいろく)・元亀(げんき)(1558~73)のころ北条氏康(うじやす)の家臣が初めて用いたと伝えられる。有名なものとして、豊臣(とよとみ)秀吉の金の千成瓢箪(せんなりびょうたん)や徳川家康の金の扇などがある。
江戸時代、大名火消や旗本の定火消(じょうびけし)ができると、家紋や先祖の由緒にちなんだ陀志(だし)飾りのついた纏が考案され、加賀百万石の加賀鳶(とび)の銀塗り太鼓や、本多能登守(のとのかみ)の本文字に日月の纏など、それぞれに華美を競った。1718年(享保3)江戸に町火消の制が定まり、しだいに整備されて、10組の大(おお)組の下にいろは四十八組(ただし、「へ」「ら」「ひ」「ん」のかわりに「百」「千」「万」「本」)の小(こ)組が置かれると、各小組ごとに目印として纏を持つことを許される。時代により形が多少変わったが、江戸時代の末ごろには、陀志飾りの長さ2尺(約60センチメートル)、白漆塗りで馬簾(ばれん)(円形の枠に、細い紙や革の条を長く垂らしたもの)のついた、一般によく知られる纏らしい形となった。なお、纏持ちのことを単に纏ともよび、組のシンボルとして、火消しや行事で競い合った。[ 執筆者:片岸博子 ]
★加賀鳶(かがとび) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
加賀藩前田家の、江戸屋敷に出入りの鳶職人で編成したお抱え消防夫。江戸時代の消防組織の一つである大名火消のなかでも、特異な装束と威勢のよさ、みごとな火消し活動で名高い。加賀藩邸のみならず、8町四方の火災、藩主の親戚(しんせき)大名および菩提寺(ぼだいじ)の近火の際に出動し、また幕府の学問所である聖堂の消火も担当した。加賀百万石の特権意識も手伝って、制度の異なる町火消との縄張り争いが絶えず、それは歌舞伎(かぶき)世話狂言『盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)』(河竹黙阿弥(もくあみ)作)にも仕組まれている。[ 執筆者:稲垣史生 ]
★河竹黙阿弥(かわたけもくあみ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .(1816―1893)
歌舞伎(かぶき)作者。本名吉村芳三郎。俳号其水(きすい)。江戸・日本橋の商家4世越前屋(えちぜんや)勘兵衛の長男に生まれる。14歳のとき柳橋で遊興中を発見され勘当される。下町の通人仲間と交わり茶番集を書いたり、貸本屋の手代となって諸書を乱読したのち、1835年(天保6)に5世鶴屋南北(つるやなんぼく)に入門して狂言作者となり勝諺蔵(かつげんぞう)を名のる。病気と家庭の事情で再三引退したのち、1841年に4世中村重助(じゅうすけ)の招きで再勤して二枚目格となって柴晋輔(斯波晋輔)(しばしんすけ)と名のり、1843年に2世河竹新七を襲名して立(たて)作者格となる。旧作の補綴(ほてい)や小説の脚色、一幕物の世話物などで活躍したのち、1854年(安政1)の『都鳥廓白浪(みやこどりながれのしらなみ)』で4世市川小団次に認められ、以後1866年(慶応2)に小団次が没するまで、彼のために講釈種(だね)の白浪物(しらなみもの)など生世話(きぜわ)狂言の傑作を次々と書いて不動の地位を築く。その間、安政(あんせい)の大地震以後は市村座の立作者として重年し、3世桜田治助(じすけ)、3世瀬川如皐(じょこう)と三座体制を維持する一方で、中村・森田両座の重要な新作をも引き受け八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をした。
明治になってからも筆力は衰えず、小団次の遺児初世市川左団次をもり立てるとともに、新政府の方針をくむ若き興行師12世守田勘弥(もりたかんや)を助け、9世市川団十郎のためには史実に基づく「活歴劇(かつれきげき)」を、5世尾上菊五郎(おのえきくごろう)のためには明治の新風俗を写した「散切物(ざんぎりもの)」を書いて新境地を開拓した。1881年(明治14)に『島鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ)』を一世一代に引退して古河黙阿弥(ふるかわもくあみ)を名のるが、作者無人の劇界が黙阿弥の引退を許すはずがなく、死の直前まで新作を提供し続け、明治26年1月22日に78歳の生涯を終えた。門弟に3世新七、竹柴其水(たけしばきすい)、勝能進(かつのうしん)などがいる。
黙阿弥の作品は時代物、世話物、所作事あわせて約360にも及び、いずれにも力量を発揮したが、その真骨頂は講釈などに取材した生世話物にあった。代表的なものとして、小団次のために書いた『蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)』『鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)』『網模様灯籠菊桐(あみもようとうろのきくきり)』『黒手組曲輪達引(くろてぐみくるわのたてひき)』『小袖曽我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)』『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』『八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)』『勧善懲悪覗機関(かんぜんちょうあくのぞきからくり)』『曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)』『船打込橋間白浪(ふねへうちこむはしまのしらなみ)』のほか、5世菊五郎には『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』『新皿屋敷月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)』『水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)』『四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)』『盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)』、9世団十郎・5世菊五郎には『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』、3世沢村田之助には『処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)』(切られお富)などを書いた。なお、舞踊劇には『土蜘(つちぐも)』『茨木(いばらき)』『船弁慶』『紅葉狩(もみじがり)』などの代表作がある。
坪内逍遙(しょうよう)はこのような黙阿弥の業績全般を評して「真に江戸演劇の大問屋なり」と称賛している。その作風は、化政(かせい)期(1804~30)の4世鶴屋南北が完成した生世話をさらに洗練、古典化し、時代物の世界から完全に独立した講談、実録調の筋立てのなかに、勧善懲悪、因果応報の理が強調されている。ことに小団次と提携した白浪物の諸作には幕末の逼塞(ひっそく)した世相が反映されている。そして逃げ道のない袋小路に入ってしまった小悪党の心情をうたった、七五調の「厄払(やくはらい)」とよばれる感傷的で音楽的な台詞(せりふ)は近代人にも共感され、今日でも歌舞伎のもっとも上演頻度の高いレパートリーとなっている。[ 執筆者:古井戸秀夫 ]

★鶴屋南北(つるやなんぼく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .http://p.tl/g8Oo
3世までは江戸歌舞伎(かぶき)の道外方(どうけかた)で、4世から歌舞伎作者となり、5世まである。ただし代数は「南北」の代数で、2世までは南北孫太郎を名のった。4世がもっとも名高い。[ 執筆者:古井戸秀夫 ]

★道外方(どうけがた) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
歌舞伎(かぶき)の役柄の一つ。数多い役柄のうちで、きわめて古く成立したものに属する。西欧の道化師のように、滑稽(こっけい)な台詞(せりふ)や物真似(ものまね)を巧みに演じて人を笑わせる役。初期歌舞伎における「猿若」の系統を引いて、野郎(やろう)歌舞伎時代に役柄としての確立をみる。元禄(げんろく)歌舞伎においては、劇構成のなかに重要な一場面を任されて、滑稽な演技を見せる場があり、司会役も兼ねる重要な役柄と認識されていた。江戸中期以降、しだいに立役(たちやく)や端役(はやく)の芸のなかに道化的な要素が吸収されていき、役柄としては衰退に向かった。天明(てんめい)・寛政(かんせい)期(1781~1801)の初世大谷徳次が道外方の名人とうたわれたのを最後に、ほとんどなくなってしまった。それ以後は、「半道(はんどう)」または「半道敵(はんどうがたき)」「チャリ敵(がたき)」などにその名残(なごり)がある。道外方を「三枚目」というのは、看板や番付に、最初に一座の花形役者、二枚目に若衆方(わかしゅがた)、三枚目に道外方を並べる習慣があったことに基づくというが、かならずしも明らかでない。和事(わごと)師を二枚目とよんだのに引かれて生まれたことばではないかと思う。[ 執筆者:服部幸雄 ]

★猿若(さるわか) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
初期歌舞伎(かぶき)の役柄および狂言の名。
(1)初期の女歌舞伎に登場した道化役。粗末な青色系統の単衣(ひとえ)を着け、黒の脚絆(きゃはん)・白足袋(しろたび)を履き、手拭(てぬぐい)のような布で頬(ほお)かむりするといった独特な扮装(ふんそう)をし、唐団扇(とううちわ)を持った。舞台では、主役が扮する歌舞伎者の下人の役どころで登場し、木遣(きやり)の音頭取り、獅子(しし)踊り、雄弁術、滑稽(こっけい)な物真似(ものまね)芸など雑多な芸をこなした。女太夫(たゆう)(和尚(おしょう)といった)の登場について、床几(しょうぎ)や持ち物を運ぶこともあった。この役柄が野郎歌舞伎時代の「道外方(どうけがた)」に受け継がれた。なお、民俗芸能や大道芸にも、猿若と名づける道化役や物真似芸を見せる芸人がいたことが知られる。
(2)1624年(寛永1)に猿若勘三郎が創始した猿若座(後の中村座)に、由緒のある「寿(ことぶき)家の狂言」として「猿若」という狂言を伝承していた。これは、主人に隠れて伊勢(いせ)参りをした下人が、主人の大名の叱責(しっせき)を逃れようと流行唄(はやりうた)まじりで道中話をする筋の単純な狂言で、そのなかに木遣音頭や獅子踊りなど、初期の猿若が得意にした芸が取り入れてある。[ 執筆者:服部幸雄 ]

★物真似(ものまね) [ 日本大百科全書(小学館) ] .http://p.tl/lv86
自分以外の人間、動物、器物の音声や形態を、自分の声や身ぶりでなぞること。また狭義には、そういう物真似を演じて見せる芸をいう。

★和事(わごと) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
歌舞伎(かぶき)演出用語。優美な色男の恋愛描写を中心にした、柔らかみのある演技様式をいう。やわらか事、やわら事ともよぶ。この種の演技を主体にした役柄のことでもあり、これを得意とする俳優を「和事師」という。堅実な男子の写実に近い演技を中心にした「実事(じつごと)」に対するもので、初世嵐三右衛門(あらしさんえもん)(1635―90)や初世坂田藤十郎(1647―1709)ら京坂の名優が基礎をつくり、江戸でも同時代の初世中村七三郎(1622―1708)が『浅間嶽(あさまがたけ)』の巴之丞(ともえのじょう)、『曽我(そが)』の十郎など、この種の役柄を確立させたが、おもに江戸の荒事に対する上方(かみがた)歌舞伎の特色として発達、近年まで伝わってきた。『廓文章(くるわぶんしょう)』の伊左衛門、『河庄(かわしょう)』の治兵衛、『封印切(ふういんきり)』の忠兵衛などが代表的な役。なお、『双蝶々(ふたつちょうちょう)』の与五郎のようなとくに柔弱な役は、突けば転ぶという意味から俗に「つっころばし」とよばれ、ほかに和事・実事の中間を意味する「和実」、若干強みのある役をいう「ぴんとこな」などの名称がある。[ 執筆者:松井俊諭 ] .