さて石上神宮を後に「山の辺の道」を辿ることに。



$穏やかな時を求めて



「山の辺の道」は奈良盆地の東側の山裾を通っている古代からの道。

幸いにも開発から取り残されて今まで残っていたのか

狭くて細い道がくねくね続きます。



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しばらく歩くと大きな池が現れました。



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かつて権勢を誇った大寺院、「内山永久寺跡」だそうです。

孫と二人で池を見ながら話していると

近くにいたおじさんに声をかけられ、しばらくお話を聞かせていただきました。



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ここは昔、明治時代の廃仏毀釈で廃寺になるまで

それはそれは大きなお寺があったのだ、と。

永久年間(1113~7)に建立された寺で

鳥羽天皇の受戒の師であった亮恵上人の開基と伝えられているそうです。

そんな由緒ある古いお寺だったのが

今ではわずかにこの池しか残っていないなんて・・・残念なことです。



(広大な寺域がしのばれる地図)



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先ほどの池のことを

おじさんたちは小さい頃から「馬の首池」と呼んでいたそうです。

それは

昔、後醍醐天皇が時の政権から追われ吉野に逃れる途中に

ここ「内山永久寺」に寄られた時

馬の嘶きで追っ手に居場所が知られるのを恐れ

馬の首を切り落として池のほとりに埋めたから、と言うお話でした。



(写真真ん中のちょっと出っ張った所に馬を埋めたと言われているそうです)



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家に帰り、少し調べてみると

後醍醐天皇の逃避行のお話とともに確かに馬の話もありました。

その伝説では従者が切った馬の首が池に落ち

後に草しか食べない「馬魚」と呼ばれる「ワタカ」という魚になったというお話です。


お魚になったとしても、なんとも可哀想な馬のお話でした。

そんな謂れや、池のずーっと下の平地までがこの永久寺の敷地だったんだとか

いろいろなお話を聞きながら

この池も又歴史の数々を見てきたのだなって、しばし感慨にふけながら眺めていました。


そして、今でもこの池を見守り池の謂れを語るおじさんを見ていると

昔からの語り部とはこういう人たちだったんではないかなと思いました。

少しずつ少しずつ時代とともにお話の内容は替わっていくでしょうが

根っこの部分は残っていくのではないかと・・・

時として勝者である権力者の資料より

伝承に案外真実が隠されているのではないかと言われる事にちょっと納得でした。