昨日のレッスンの前、サロン・ド・パッサージュ にて、
調律師さんによる”ヨーロッパピアノの歴史と構造を探る旅”
という勉強会に参加してまいりました!
「輸入ピアノって、何が違うの?」
ヨーロッパピアノ史の立役者や工場の写真を見ながら
いろんな疑問を解決!
パッサージュ人気の調律スタッフによる勉強会。
先週、愛野由美子先生のセミナーでうかがったばかりですので、
場所はバッチリでした。
『愛野 由美子先生のセミナー』→http://amba.to/UvZG9Y
その下調べでこちらのサロンのHPを見ていて、
この勉強会を知り、速攻申し込みしておきました。
私は、こうした生の声を聞いたり、実物を見るのが大好きです。
11:00から早速勉強会が始まりました。
担当は坂野 麻由美さん。
始まる前、
「荒木先生のHP拝見しました♪…先生、
お歳が同じだと知りまして、なんだか親近感がわきました。」
とおっしゃってくださり、恥ずかしいやら嬉しいやら…。(;^ω^A
坂野さんのお話し、開口一番。
「先生方、このピアノの鍵盤、何の音かわかりますか?」
と紙でできた白鍵を、ずいっと目の前に出されました。
「…?!なんだっけ??」
毎日ケンバンを見ているのに、わからなかったのです。
が~ん! Σ(゚д゚;)
そして、次に本物の白鍵を持ってきてくれました。
※ベヒシュタインの鍵盤ですヽ(*'0'*)ツ
「…え~っと。。」
…みなさん、ピアノを見ずに、どれが何の鍵盤かわかりますか?
ご一緒に考えましょう。(*^.^*)
私はこの問いかけでじっくりピアノを観察して、やっと納得しました。
見ているようで、見ていないものですね~鍵盤…!
このように始まりました、勉強会。
これは、油断できないぞ~!(笑)
(始まる前。ワクワク。)
(左奥の、白いカバーのかけてあるものは何だろう?)
(右がヨーロッパの地図。左は、ドイツの地図。
でも、昔はドイツという国ではなくそれぞれ独立した州でした。)
”ピアノ”という打弦楽器が生まれてから、300年!
この”ピアノ”が生まれるまで400年かかっています。
こちらのピアノは↓クリストフォリが製作した、
“グラヴィチェンバロ・ピアノ・エ・フォルテ”を復元したもの。
(昨年度、浜松市楽器博物館に行った際の写真です。)
ちなみに復元したのは河合楽器製作所です。
クリストフォリは、“強弱の出るチェンバロを作りたい”という一心で
この楽器を生みだしました。
1726年製作のピアノを参考に調律師さんが作ったのが、
こちらのレプリカ。↓廃材で作ったのですって…すごいですよね。
”ピアノ”が世に出たのが、大バッハがおじいちゃんの時代。
それまでは、オルガン、クラヴィコード、チェンバロが主流でした。
今のドイツの一部、ザクセンのジルバーマン(ピアノ製作者)が、
このクリストフォリのピアノを真似てピアノを作り、
大バッハに弾いてもらったそうです。
のちに、フリ―ドリッヒ大王に”音楽の捧げもの”という作品を献呈
しましたが、これはピアノで弾くためのとして作曲されました。
その後、ドイツに7年戦争が勃発し、ピアノ技術者ものがれて
そのほとんどがイギリスへ渡りました。
でも、ドイツに残った技術者もいました。
その一人が、シュタインさん。
現在のピアノは打鍵すると、10mm沈むそうですが、
このウイーン式メカニック(…ベーゼンドルファーに受け継がれている技術)
のピアノはタッチが軽く、モーツアルトの時代は5~7mm沈むくらい。
ピアノが軽やかだったから、モーツアルトの作品も軽やかなのですね。
これは、今のピアノの鍵盤と構造。
モーツアルトが旅に持って行ったのは、クラヴィコード。
ウイーンで暮らすようになって初めて、ピアノフォルテを持ちました。
続いては、古典派のベートーヴェン。
このころイギリスで産業革命が起こりました。
最先端の技術はもちろんピアノにも取り入れられ、
鉄骨が入ったり(フレーム)、
鉄の弦から鋼鉄の弦になったりしました。
ベートーヴェンの初期のソナタと後期のソナタでは
音域ひとつとっても格段の違いがあるのは、
この影響が大きかったと言えます。
ウイーン式の軽やかなメカニック、
イギリス式の鍵盤が重いメカニック、
どちらのピアノもベートーヴェンは弾いていたのですね。
その使用する楽器によって、作品の内容も変わったということ。
このころ、”ピアノフォルテ”から”ピアノ”と呼ばれるようになりました。
…・話がついつい長くなっています。
このままですと、夜も更けて明日になってしまいますので、はしょります。。
世界に名だたるメーカーの、興味深い成り立ちのお話しは、てんこもりあるのですが。
シュトライヒャーにザウターさんが弟子入りしていたことや、
ハープを作っていたエラ―ルさんが
「ピアノも作ってみようかな」とピアノを作り始めた話、
スタインウェイは「(ドイツでは)州を越えると税がかかる」から、
という理由でアメリカへ渡った話。
プレイエルの工場にいたパープさんが、
ハンマーのフエルトを開発して特許を取ったこと。
そのパープさんに弟子入りしたのが、
カール・ベヒシュタインであること。
などなど…!
楽器は、初代がなに人で、どこで勉強したのか
によって音が違う、と。
楽器の製作には、作られた土地の文化、革命や戦争によって、
大きな変化が生まれたということ。
その変化を積極的に受け入れ、開発改良を加えていったメーカーあり、
新しい技術を拒み、あくまで”伝統”を守ろうとしたメーカーもある。
アメリカへ渡ったスタインウェイは、
”カーネギーホールで、どれだけ響かせるか”
という点に力を入れたので、大きなホールでもすみずみまで
音が届くピアノを作り、今もコンサートホールにたくさん入っています。
対して、ドイツのピアノはお家で弾いて美しい音色を目指しました。
ピアニッシモで美しい音を…。
どこで弾くのか、どう弾いたら美しく響くのか、
きわめて幅の広い選択肢の中から、それぞれのメーカーが
何に重点を置いてピアノを製作したのだろうか。
その苦労・努力・試行錯誤の時間や労力は
計り知れないものがあります。
今は、楽器に限らず多くの製品が量産の時代ですが、
”ピアノ作りの原点は、弟子から弟子への技術の継承”
であると、ほんの少し私にも理解できました。
”ピアノ”という楽器のすばらしさに感動した方は、
ぜひ応援して下さい!
ぽちっと一押しお願いします。
…でも、実はまだ記事は続きますが…σ(^_^;)
さて、ここからは画像でお楽しみくださいませ。
グランドピアノで連打が楽なのは、この構造のおかげ。
先生方はご存知かと思いますが…。
最初に見た、白い布がかかったものは、この
”ベヒシュタインの輪切り(短冊切り?)”でした!…うわ~~っ。
試弾もさせていただきました。
私は好きです、この音色♪
スタインウェイ B-211
そして最後に弾かせていただいたのは、
グロトリアン…このピアノを弾いていて、
自分の指に、体にプルプルと音が沁み渡っていくのを感じました。
(ヘンな表現ですが…。)
でも、そう伝えた私に、
「そんな表現をいただけて、調律師としてとても嬉しいです。」
と板野さんはおっしゃってくださいました。
(恐縮です…。そんなに演奏が上手なわけではないので。)
まるで生き物のよう。
自分のタッチを、敏感に察知してくれます。
普段より、自分の音に真剣に向かい合いました。
勉強会後の、いろいろと脱線しながらのお話し。
ついつい長居してしまいました。
楽しくて、嬉しい、すばらしい時間を過ごさせて頂きました。
板野さん、尾形さん(いずれも女性です)、
貴重なお話しをありがとうございました。
ベヒシュタインの鍵盤、修理中
中身が見られるのも、とっても嬉しい私。
最後に、おみやげも!
メーカーさんのパンフと、素敵な便せんやはがき、
そして、”つい先日まで現役だったハンマー”の
キーホルダーをもらい、テンションMax
みなさま、今日は長い長い私のブログにお付き合い下さり、
本当にありがとうございます。
1クリックしていただけますと、大変励みになります。
あらき音楽教室のHPは→こちら です。
どうぞおたずねくださいね