人生のパートナーに必要なこと」という記事をアポロ漫録に書きましたが、たいていの人は恋人として付き合う相手にいろんなことを期待してしまうものなのかもしれません。

どんな人と付き合いたいのかと聞くと、「外見にはこだわらない」なんてことを言う人が多いのですが、その代わりに

「優しい人がいい」
「一緒にいて癒される人がいい」
「共に成長できる相手がいい」
「生活力のある人がいい」
「信頼できる人がいい」
「尊敬できる人がいい」

などと、内面に対する要求が次々と出てきたりします。

結局のところ、こだわる部分が外見であろうと内面であろうと、何らかの条件を相手に求めていることには変わりないわけで、その条件が満たされなければ「付き合う価値なし」とみなされてしまうわけです。

いろんな憧れや理想を抱くことは悪いことではないと思うのですが、人と付き合う条件として何らかの要求がある場合、そのような関係は長続きはしないと思います。

例えば、癒されることを期待して人と付き合っていたとしたらどうでしょうか?
当然ながら相手は人を癒すための便利な道具ではないので常に癒してくれるわけではありません。
あなたを癒してくれるときは幸せだと思うかもしれませんが、そうでないときには相手に利用価値がないと感じてしまうばかりか嫌悪感すら感じてしまうかもしれません。
相手としても、自分の存在価値が「癒し」だけかと思うとうんざりしてくるでしょう。

やがては、お互いの間に欲求不満がたまるばかりで、「もっといい相手、もっと癒してくれる人がいるはずだ」と考えるようになって、他の人に目が行くようになります。
そうなったら二人の関係は終わりですよね。

人生のパートナーはお互いの利害関係で成り立つビジネスパートナーではありません。
利用価値がなくなれば切り捨てていいようなものではないのです。

利用価値がなくても愛し続けられる関係。
それが、本当の人生のパートナーと言えるのではないでしょうか。



貧しいもの、卑しいもの、醜いものにこそ仏が宿るなどと昔から言いますが、そういった何の利用価値もないような相手でも愛せる気持ちは、とても美しいと思います。