『誰かのために生きる』

それは素晴らしいこと。


でもそれが自己犠牲であってはなりません。


幸せにしたい誰かは幸せではなくなるからです。



『誰かのために生きる』のも、


『自分のために生きる』のも、


同じことです。


それは同じ意味です。



犠牲の元では、愛は成り立ちません。



自分より誰かを優先したまま幸せになることは、お互い出来ません。


誰かのために生きているつもりが、誰かはあなたのために生きるようになるのです。


犠牲の愛を捧げるなら、その誰かも犠牲にしています。



『誰かを幸せにする』のも、

『自分を幸せにする』のも、


同じことです。


それは同じ意味です。



愛とはお互いの間を、行ったり来たりして通い合うものです。


目には見えないけど、暖かい、或いは冷たい、エネルギーのようなものが通い合うのです。


辛い気持ちや、嬉しい気持ちや、いろんな気持ちは誤魔化せないのです。


エネルギーが行ったり来たりするのです。


犠牲心ではなく、まず、あなたが幸せでいてください。


『幸せにしたい』じゃなくて『幸せになる』であってください。



私は幸せです。

私は満たされています。


それは嫌味でも我儘でもなく、本物の愛しあうもの同士が呼応し合う言葉なのです。


愛する人たちへ、どうか必ず、幸せでいてください。

私は幸せです。

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