「接見禁止が出てる場合、弁護士と同行した修習生が接見に同席するのを拒否される事例が相次いでいるとの情報に接した。貸与制の影響か?」
貸与制の影響というわけではないと思います。
もともと、修習生が同行する法的根拠は、法務省の通達(それも昭和25年(;´Д`))しかないのですが、さらに、被疑者に接見禁止がついている場合は、
接見禁止中の被疑者あるいは被告人につきまして、このような措置がとれるかどうかという問題でございますが、これは接見禁止決定がなされております特殊な事件でございますので、事件の性質、あるいは被疑者の心情を勘案いたしまして、その事件を担当いたします検察官、さらには勾留担当裁判官、被告人でありますれば公判担当の裁判官が異存のない場合に限って修習生をお連れ頂きたい、こういうふうにお願いいたしたい。
(研修時報40号(1970年)P52下より引用)
(研修時報40号(1970年)P52下より引用)
ということのようです。
だから、対症療法的には、接見禁止の現場に修習生を連れてく弁護士としては、事前に捜査機関側に申し入れをしておくべきなのかなと思います。
ただ、修習生の接見拒否があまりにひどくなるようであれば、ひとつ懸念が出てきます。
「弁護士」なのに、刑事弁護がわからない人が増えるのではないか、ということです。
こういうお話を伺いました。(以下、東京の実情等なので、不正確かもしれません。その点あればご指摘くださると幸いです)
先週金曜日に、東京横浜の若手の先生が来られて、当会の若手会「木曜会」との間で意見交換会があったのですが、その席上で、東京では、もとより全体的に刑事事件が回ってこないうえ、修習生指導担当をしていても刑事事件が回ってこない、とのことでした。
つまり、弁護修習の立場で刑事事件を見ることもないまま、すなわち、刑事弁護の実務を見ることのないまま修習を終える修習生もいるようです。
弁護修習は民事のことが主なので、もともと刑事を見れる機会は本当に限られているわけです。
にもかかわらず、接見禁止という理由で修習生が接見に立ち会えない事案が続発しているということであれば、さらにその機会は狭められることになります。
これでは、修習の意味がありません。
これは、大きな問題だと思うのです。
しかも、弁護士になっても、上記の通り、刑事事件が回ってこないというお話も出てきました。
福岡では大体月に1件程度ある当番弁護の待機日(※文末注)さえ、東京では半年に1回程度、それも、事件を取るのは早い者勝ち/くじ引きということなので、あぶれてしまうこともあるようです。ということですから、弁護士になっても、刑事事件を長くやれないまま過ごすということが、わりと普通になってきているのかな、という印象でした。ちなみに、東京では、新人に対する刑事弁護の研修も、それまでは義務付けられていて、それを負えないと当番弁護の配点の対象にならないとされていたのですが、事件が少ない(見せられない)という理由から、義務化を終了したとのことでした。
つまり、刑事弁護に関するOJTの機会が、もはや失われつつあるのではないかと、少し驚きました。
すなわち、
・修習でも刑事弁護が見られない(→修習の空洞化、無意味化)
・弁護士になっても刑事弁護がなかなか見られない
・ロースクールなど論外
・弁護士になっても刑事弁護がなかなか見られない
・ロースクールなど論外
というわけで、刑事弁護がまったくわからない弁護士が増加するんじゃないかという問題が起きます。
それは、そうなった「弁護士」の責任ではなく、法曹養成課程のどっかに重大な欠陥があるということの現れなのではないかと思っています。
「どっか」ってどこよと言われたら、もうこれだけで長い話になりますが、要するに人数増やしすぎ&ローが無意味ってことの二点に絞られるとは思います。
人数増やしてもローでしっかり教えられてるのなら、修習が少々スケールダウンしても、こんな問題は起きなかったはずです。
もはや取るべき策は、
①合格者数を減らす
②ローをテコ入れする
③修習をスケールアップする
④弁護士になってからの研修の充実
②ローをテコ入れする
③修習をスケールアップする
④弁護士になってからの研修の充実
のどれかしかありません。が、どれも難しいでしょうね。
④は考えられていますが、結局、これも弁護士が支払っている会費(福岡は月6万)の中から予算とマンパワーを組んでやるわけで、なんで本来国家がやるべきことを、弁護士相互の手出しの会費からやんなきゃならんのという意見は当然出てくるところでしょう。弁護士会ってのはそんなに予算もマンパワーも潤沢ではありません。
結果、刑事弁護の弱体化は、ますます強まると思っています。
刑事弁護が弱体化しようと、オレ別に警察なんか捕まらんし、捕まる方がワリイんだからどうだってエエわいと思っている人もおられるかもしれません。むしろ、刑事弁護なんかに国の費用(税金)で国費を使うな!とかいう人もいるかもしれませんね。ではこういうお話はいかがでしょうか。
もし刑事弁護が弱体化すれば、捜査機関側が強くなるということになります。
捜査機関という圧倒的に強い国家権力に対し、弁護士側は、民間にすぎません。
しかしながら、わずかながら持っている一定の弁護人としての権限を、知恵とノウハウを共有し、OJTで鍛え、すなわち心神を総動員して駆使してきたことで、ようやっと、捜査機関という国家権力とのパワーバランスを保ってきたのです。
これが、崩れ去ろうとしている。
つまり、国家権力側が圧倒的に強くなる。
理不尽と思える捜査でも罷り通ることになるでしょう。
たとえば、Youtubeで浜崎あゆみのPVをダウンロードして単に見た>逮捕される。
理論的にはあり得なくもない話です(条文上、そう解釈できてしまいます) 。
今なら「実務的に」そんなことで逮捕されるなど、あり得ないといえるのですが、「実務的に」といえるのは、まさに弁護士側がなんとか維持してきたパワーバランスがあったからです。
極論します。
Youtubeで浜崎あゆみのPVを見ても逮捕されてもいい世の中で良ければ、
刑事弁護の弱体化、上等です。
こういうことになると、刑事弁護の現場を見てきたなりに、私は思うのですがいかがでしょうか。
私は、もし自分が弁護士じゃなければ、そんな世の中は、いやですが。
弁護士の立場としては、いかなる世の中になろうと、職責を全うするだけのことですけど。
世論だの国民的選択だのいいますが、ホンマかい!と突っ込みたくなります。
ん?ちょっとまてよ?
今の法曹養成制度って、「プロセスによる養成」とかぬかしておられませんでしたか?
して、いかにも、旧制度より素晴らしい
こうなりつつある今って、素晴らしいのこれ。
※注 当番弁護というのは、身柄拘束された被疑者が、1回限り無料で弁護士を呼べるサービスで、弁護士会の費用をもって賄っています(国がまかなってるわけではありません。私たちの支払う会費(福岡は月6万)が原資です)
福岡市周辺部の場合、1日に10人が当番として待機しており、被疑者→取次者(警察だったり裁判所だったり)→弁護士会に出動要請がかかり、弁護士会から待機している弁護士に電話/FAXしたうえで、これを受けた弁護士が、被疑者のもとへ行くシステムです。私も待機していることがあります。
東京では、待機ではなく、しかるべき場所に行って、その日に来ている事件(おそらく被疑者→取次者→弁護士会と書類が来ている)を「取りに行く」スタイルだそうです。「取りに行く」スタイルなので、早い者勝ちだったり、くじびきだったりするようです。